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ブギの女王

 「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」
 平塚らいてうの余りにも有名な言葉(「青鞜」発刊の辞)だ。
 近年のDNA解析技術の進展により、女性が人類発祥の起源であったことが証明されようとしている、などとガセネタを掴ませるつもりはない。
 遍く天地を照らす太陽の如き性、それが女だと言っているのだ。
 男は、おそらく、太陽や星の輝きを遮る雲の如きものなのだろう。

 天地開闢以来の歌舞音曲の使い手、笠置シヅ子。
 その歌い踊る姿は、皆既日食の暗闇をも煌々と照らし出す。
 敗戦に深々と沈んだこの国の多くの民を励まし、再び生きること、その喜びを目覚めさせた偉大な歌手、エンタテイナーである。
 彼女のエネルギーとパワーが無ければ、戦後の立ち直りは遅れたかも、と思わせる。
 「リンゴの唄(1945年 並木路子)」と「東京ブギウギ(1947年 笠置シヅ子)」が、敗戦の惨状を、一時、忘れさせたのか。
 おそらく、そこに、活力、生き延びる気力、意欲を得たのだろう。
 それを確信したのは、彼女の「ジャングル・ブギー(1948年 黒澤明作詞、服部良一作曲)」を視聴した時だ。
 あの驚異のダンス・パフォーマンスと唸り、吠えかかる歌が何の矛盾もなく共存し、リエゾンするとは。
 信じがたい迫力、パワーで押しまくる。
 怪異、神髄を極めるパフォーマンスだ。
 炸裂するブギとダンスの乱射、参った。

 最近、朝ドラの影響か、戦前の歌謡曲、流行歌をユーチューブで漁っている。
 もとより、流行歌は、松井須磨子の「カチューシャの唄(1914年)」をもって嚆矢とし、その正統な継承者は、小林千代子であったと思う。
 「涙の渡り鳥」1933年(昭和8年)
 「旅のつばくろ」1939年(昭和14年)
 幼い頃、ラジオか何かで聴いたような気がする。
 あるいは、テレビの懐メロ番組か、戦後の歌手によるカバー・ヴァージョンか。
 音大で鍛えられたその正確無比の歌唱は、本来の美声と相俟って、大ヒット曲を産んだ。
 どことなく儚さが漂い、物憂げさも秘めている、それが何とも好ましい。

 古賀メロディーに代表され、美空ひばりにより完成された怨み、つらみの演歌の世界にこの国の民の多くが沈潜して行ったのは、高度成長の恩恵(おこぼれ)を受けられず、負の役割を押し付けられた者たちに対する慰藉の提供の意味であり、慰撫し、懐柔することで、社会の根本的な分断、政治的な激突を回避しようとしたものだろう。
 勿論、あの大戦で虚しく潰えていった多くの若者や戦火に焼かれた者たちへの鎮魂の歌でもあったのだろう。
 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき(1960年)」が60年安保闘争に敗れた者への慰労の歌となり、岡林信康の「友よ(1969年)」がその後の反体制運動の応援歌に、五つの赤い風船の「遠い世界に(1968年)」が決別の歌(反戦歌であることをもはや求めず、不正や腐敗に対する過激な反抗、闘争をやめ、公共世界から私的空間に目を転じ、平穏と思われる世界に立ち戻ること)に、赤い鳥の「翼をください(1971年)」が闘いに敗れた者への鎮魂歌になった。

 高度成長を成し遂げたこの国のその後は、バブル経済の隆盛とその崩壊、失われた30年と失楽の苑をさまよい、その間、さまざまな歌が紡がれたが、あの強烈なブギウギを超える歌手は、残念ながら出現していない。

 耳に残る歌
 シナの夜(1938年 渡辺 はま子)シーナと伸ばす感じが、甘ったるい、シーナ・イーストンっぽくて?。
 何日君再来(1940年 李 香蘭)ホーリーと来れば、聖夜の讃美歌でしょうか。

 元始、女性は太陽であった。破天荒の人であった。
 実に天地を耕す人であった。


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