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港区坂めぐり 前編


GW後半は、港区にある坂道87箇所(現在は85箇所、追加2箇所)をほぼ歩いてめぐる旅へ。

3年前の夏。
夏休みの自由研究のため、夫7割・私3割で次男を引率して、港区にある坂道を回った。
とにかく二度とやりたくない、と言っていた次男。
それであれば、私も一度やってみよう!と合計約12時間で挑戦。

ボリュームが多いので、今日は半分をご紹介。
ちなみに、坂道をめぐった時系列はこちら。
交通手段は、基本は徒歩。
ただし、通勤定期券が使えるため、品川方面、元赤坂方面に向かう際は都営バスを利用した。

割と分刻みで動いていたことが分かる


薬研坂

まずは、坂道の形状が好みの薬研坂(やげんざか)からスタート!

薬研坂①(赤坂4丁目17番、7丁目1番の間)
薬研坂②

下りと上りがあり、中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近に住んでいた者の名をとり、何右衛門坂とも呼んだ。

港区ホームページ「薬研坂」

牛鳴坂

牛鳴坂(赤坂4丁目1番、4丁目8番の間)

赤坂から青山へ抜ける厚木道で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう

港区ホームページ「牛鳴坂」

弾正坂

弾正坂①(赤坂4丁目9番、4丁目18番の間)
弾正坂②

西側に吉井藩松平家の屋敷があり、代々弾正大弼に任ぜられることが多かったため名づけられた。

港区ホームページ「弾正坂」

南部坂

南部坂(南麻布4丁目、5丁目の間)

有栖川宮記念公園の場所が、赤坂からうつってきた盛岡藩南部家の屋敷であったために名づけられた。(忠臣蔵の南部坂は赤坂。)

港区ホームページ「南部坂」

木下坂

木下坂(南麻布5丁目7番、5丁目8番の間)

北側に大名・木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂名である。

港区ホームページ「木下坂」

北条坂

北条坂①(西麻布3丁目、南麻布5丁目の間)
北条坂②

坂下近く南側に大名・北条家の下屋敷があったために、この名がついた。

港区ホームページ「北条坂」

鉄砲坂

鉄砲坂(西麻布3丁目12番、南麻布5丁目2番の間)

江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。

港区ホームページ「鉄砲坂」

大横丁坂

大横丁坂(西麻布3丁目16番、3丁目17番の間)(看板なし)

江戸時代、この付近を俗に大横丁と呼んでいたことからこの名がついた。富士見坂とも呼ばれていた。

港区ホームページ「大横丁坂」

霞坂

霞坂(西麻布1丁目8番、3丁目20番の間)

明治時代のはじめに霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、そこを貫通する道が明治20年代に開かれて霞坂と呼んだ。

港区ホームページ「霞坂」

笄坂

笄坂①(西麻布2丁目、4丁目の間)
笄坂②

坂下を流れていた笄川の名からついた付近の地名によって、こう呼ばれるようになった。

港区ホームページ「笄坂」

牛坂

牛坂(西麻布4丁目10番、4丁目11番の間)

源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。

港区ホームページ「牛坂」

御太刀坂

御太刀坂(西麻布4丁目8番)

かつてこの辺りの屋敷に名誉の太刀があり、火災などの際にすみやかに持ち出せるように常に唐櫃(からびつ)に入れ、玄関に太刀を置いていたことからこの坂名がついたとされている。

標識に記載

堀田坂

堀田坂(西麻布4丁目8番、渋谷区の境)

江戸時代には、大名・堀田家の下屋敷に向かって登る坂になっていた。

港区ホームページ「堀田坂」

紺屋坂

紺屋坂(西麻布3丁目5番、3丁目6番の間)

こうやざかとも呼ぶ。この坂付近に紺屋(染物屋)があったのでこう呼んだ。また江戸時代、坂のがけ下がごみ捨て場だったことからごみ坂ともいった。

港区ホームページ「紺屋坂」

狐坂

狐坂①(元麻布3丁目4番)
狐坂②

港区元麻布二、三丁目境で長玄寺前へ下る坂、昔はさびしいところで、狐が時々人を化したという。

標識に記載

狸坂

狸坂①(元麻布2丁目11番、3丁目13番の間)
狸坂②

人をばかすたぬきが出没したといわれる。別名で旭坂ともいうのは東へのぼるためか。

港区ホームページ「狸坂」

一本松坂

一本松坂(元麻布1丁目3番、2丁目11番の間)

源経基などに関する伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が、坂の南側にあるための名である。

港区保「一本松坂」

大黒坂

大黒坂(元麻布1丁目1番、1丁目2番の間)

大国坂とも書く。坂の中腹北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名である。

港区ホームページ「大黒坂」

暗闇坂

暗闇坂(元麻布1丁目1番、3丁目12番の間)

樹木が暗いほどおい茂っていた坂であったという。かつての宮村町を通るため宮村坂ともいった。

港区ホームページ「暗闇坂」

七面坂

七面坂(麻布十番2丁目7番、2丁目8番の間)

坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称である。

港区ホームページ「七面坂」

仙台坂

仙台坂(元麻布1丁目、南麻布1丁目の間)

坂の南部一帯が、仙台藩伊達家の下屋敷であったところから、その名に呼ぶことになった。

港区ホームページ「仙台坂」

明治坂

明治坂①(白金6丁目10番、6丁目16番の間)
明治坂②

むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正時代のはじめからであると伝わる。

港区ホームページ「明治坂」

蜀江坂

蜀江坂(白金4丁目、6丁目の間)

坂の上の丘を、紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。むかしの字名は卒古台であった。

港区ホームページ「蜀江坂」

日東坂

日東坂(白金台5丁目8番、5丁目11番の間)

日糖坂ともいう。文献はないが、日東紡績会社あるいは日本製糖会社の用地があったからと伝えられる。大正時代のはじめに開かれた坂と推定される。

港区ホームページ「日東坂」

柘榴坂

柘榴坂(高輪3丁目、4丁目の間)

坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲り、明治時代に直通して新坂と呼んだ。

港区ホームページ「柘榴坂」

洞坂

洞坂(高輪3丁目16番、3丁目19番の間)

法螺坂、鯔坂とも書く。この辺の字を洞村と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、くぼ地のため洞というなど様々な説がある。

港区ホームページ「洞坂」

桂坂

桂坂(高輪2丁目12番、3丁目19番の間)

江戸時代以前、蔦葛(桂は当て字)がはびこっていたため、坂名の由来となったといわれる。また、かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。

港区ホームページ「桂坂」

天神坂

天神坂①(高輪1丁目18番、1丁目23番の間)


天神坂②

むかし坂の南側に菅原道真の祠があったためにいう。葭原が見えるので葭見坂・吉見坂ともいったという説もある。

港区ホームページ「天神坂」

名光坂

名光坂① (高輪1丁目、白金2丁目の間)
名光坂②(看板なし)

ホタルの名所で名光の地名ができたという。転じてナコウと読み那光坂とも書いた。東側下に明治までの名光坂が残る。

港区ホームページ「名光坂」

伊皿子坂

伊皿子坂(三田4丁目、高輪2丁目の間)

付近に住んでいた明国人の名前が由来とも伝えられるが、ほかに大仏のなまりとも、更級日記の一節にある、「いいさらふ」【意味は不明】の変化ともいう。

港区ホームページ「伊皿子坂」

魚藍坂

魚藍坂(三田4丁目8番、高輪1丁目5番の間)

坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名づけられた。

港区ホームページ「魚藍坂」

幽霊坂

幽霊坂(三田4丁目11番、4丁目12番の間)

暗くさびしい坂であるため、この名がついたらしい。また、幽霊の字を嫌い、有礼坂とも書いたという。幽霊坂は東京中に多く七カ所ほどもある。

港区ホームページ「幽霊坂」

聖坂

聖坂(三田4丁目14番、4丁目15番の間)

古代・中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。

港区ホームページ「聖坂」

潮見坂

潮見坂(三田3丁目2番、4丁目14番の間)

坂の上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられた。汐見坂とも書いた。

港区ホームページ「潮見坂」

安全寺坂

安全寺坂(三田3丁目2番、4丁目1番の間)

坂の西に、江戸時代の前期に安全寺があったので、その寺名にちなんで坂名となった。誤って安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれたことがある。

港区ホームページ「安全寺坂」

蛇坂

蛇坂(三田4丁目1番、4丁目2番の間)

付近の藪から蛇の出ることがあったためと想像されている。

港区ホームページ「蛇坂」

三光坂

三光坂①(白金2丁目、4丁目の間)
三光坂②

本来は坂下の専心寺にあった三葉の松にもとづき、三鈷坂や三葉坂と呼ばれたというが、日月星の三光などともいう。

港区ホームページ「三光坂」

桑原坂

桑原坂(白金台1丁目、3丁目の間)

今里村の地名のひとつである。その起源について、特別の説は残っていない。

港区ホームページ「桑原坂」

日吉坂

日吉坂(白金2丁目、白金台1丁目の間)

能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝わる。ほかに、ひよせ、ひとせ、ひとみなどと書く説もある。

港区ホームページ「日吉坂」

綱坂

綱坂(三田2丁目3番、2丁目5番の間)

羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱が付近に生まれたという伝説による。渡部坂ともいった。

港区ホームページ「綱坂」

綱の手引き坂

綱の手引き坂(三田1丁目4番、2丁目6番の間)

綱が手引き坂ともいった。平安時代の勇士源頼光の四天王の一人渡辺綱にまつわる名称である。また、姥坂とも呼んだが、馬場坂の説もある。

港区ホームページ「綱の手引坂」

神明坂

神明坂(三田1丁目4番、1丁目13番の間)

天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引き坂との混同があるらしい。

港区ホームページ「神明坂」

日向坂

日向坂①(三田1丁目11番、2丁目1番の間)
日向坂②

江戸時代前期、南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。振袖坂ともいった。由来は不明である。誤ってひなた坂とも呼んだ。

港区ホームページ「日向坂」


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