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そうだ、勉強しよう

要は自宅にいながら山ごもりしてる

 今年の3月以降、緊急事態宣言が開けるまで、私はコロナ恐怖でストレスに押しつぶされていて、集中する、ということが全然出来なかった。
 6月過ぎて不眠に悩まされる事もなくなった頃から、やっと無理めな事に挑戦出来る心身を取り戻した。9月になった今も通勤と運動と生活用品の買い物以外の外出はほぼしない。宣言中も宣言後も、もしかしたらそのずっと前から、私の生活はほぼ変わらなかった。
 もうひとつ、嬉しいことがあった。オンライン講座が増えたことで、これまでの対面授業に比べて通信教育にもそんなに優劣がないと実感した事だ。自宅で勉強出来るし、対面授業よりオンライン授業の方がむしろ先生方も「授業する」という姿勢で授業していらっしゃる気が……(恐ろしい発言だけど、ゼミ系の市民講座は半ば社交場なので、先生も考慮してあまりガチガチの授業をしない事がある)。社交は授業後にすればいいと思っていた私にとっては、これも嬉しい要素だった。社交だってオンライン会議アプリで出来る。
 遅いが、8月の終わりにやっと気付いた。「外出は感染症リスクが高まって危ない」ということは、恐怖心が遊びに行きたい気持ちを勝手に自制してくれる。家にいて勉強ができる環境が整っている。これは、「受験だから遊びの誘惑で一杯の都会を離れて山に籠もる」が図らずも出来ている状態?!

それにしても勉強がすごく嫌いだった

 「何も考えずにとにかく勉強する」が出来ない子供で、そのまま大学を卒業して行ったので、私は楽しいと思わないことは何もしないで暮らしている。
 その性格は今もまったく変わっていないので、何か変わったとしたら「楽しい」と思うようになったからだし、「これが必要」と思うようになったからだろう。
 ただ私のように勉強嫌いで自分と同じ成績の悪い人に囲まれて過ごしていると、しばしば勉強している事を理由に攻撃を受ける。皮肉言われたりする。「高尚ぶっているのか」とか「わかりもしないくせに、格好付けたがってる」とか。そういう人々の足を引っ張る言葉には本当に足を引っ張られてきた。同じ人間が「もっと人間として成長しろ」という事も言ってくるので、他人を追い詰めて支配したい性格の持ち主は本当に恐ろしい。こういう人は、自分を恐れて言いなりになるような馬鹿を増やしておきたいんだろう。
 とはいえ、一応別角度からも考えてみると、知識を武器に人を殴りたい人も実際に多い。勉強しているとそういう人にも会う。そういう行為を迷惑だという声は聞き入れて、指摘を受ける事があったら改めなくては、と思う。力不足の私ごときが人様を知識で殴るようなことはまず出来ないのだが。

でも10年くらい前にも同じ事を思っていた

 ある飲み会である人が、ハインラインのSF小説を差して「あなた方には難しいよ」と言っていた。SFファンを名乗る当日の自分より20歳は年上の人だったので「そうかも」と思った。
 しかしその後知り合ったまた別のある読書好きの人が「読めるよ。別に難しい本じゃないよ」と私に言った。その人は私のような庶民がどのくらい馬鹿なのかご存じない良心的な知的階級の人だったと思う。しかし、その言葉は私を強く励ましてくれた。それを長らく覚えている。
 テレビ番組でスピノザの『エチカ』を、「これは専門家の私にとっても難しい」という講師がおり、司会の人も「これを簡単といわれたらつらいです」のような返事をしていた。
 私の考え方かもしれないけど、私は「難しい」といわれると「私に出来なくても仕方ないね。頑張っても無駄だからやめる」というタイプなのです。簡単といわれたほうが「皆出来るのか。頑張らなくては」と思う。どうなんだろう。これは私の変わった感じ方だろうか? 「難しいよ」といわれた方がくじけない人多い? ただヘーゲルの購読に参加した時は、「ヘーゲルは書き方がわかりにくい」という意味で「難しい」と繰り返し解説され、「わからないように書いてあるなら、慎重に読まなくては」という気持ちになった。
 これ「難しい」の出て来た文脈にそれぞれ違う意味が含まれていそうだな……。ちょっとまだ意味が紐解けないが。

 ともかく、勉強しようと思っていた。そして、勉強したい内容はその時々で違った。でも結局は、「中学の文法からおさらいしよ」みたいな気持ちになり、「根本の理解が曖昧だから伸び悩むのか」など、何度でもやり直す事になる。ピアノだったらともかくツェルニー頑張れ。指動かなくなったらツェルニー頑張れ、って感じの話なのかな。

 そしてまた週末が終わっていく。今週は半沢も休みだしね。ふう。時間はあっという間で、なかなか到達目標にいたらなかったな。

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