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日本舞踊が踊れない

 坂東玉三郎の踊りを見ると、美しくて幸せになる。そして、邦画で和装の身のこなしが美しい俳優を観ると「踊りをしっかり学んでいらっしゃるのだろう」とまたその美しさ、粋さに幸せになる。
 そして同時にひどく自分がいたたまれなくなるのだ。
 それは私自身が、いい加減な理由で日本舞踊を習い始めて、そして藤娘すらろくに踊れるようにならずに辞めていったからだろう。
 私が日本舞踊を習った理由は「着物を着れるようになりたい」「姿勢を正しくしたい」「着物での動きを美しくしたい」といったところ。しかしいま思うとこれは、「名取を目指す」と同じ意味だったような気がする。そのくらいはいかないと、残念ながら「着物でこれだけはするな」という動作を覚える程度にしか至らないと思う。
 目標設定がそもそもおかしかった。私は「和装の美しい所作」自体がわかっていなかったのである。その状態では到達目標自体を設定できない。でも、「習いに行けばなんとかなる」と思い込んで入門してしまった。入門して驚いたのは「そもそも何が美しいのかわからない」という無知振りだった。あまりにも和装とその動きについて目が慣れていなかった。
 ここで更に間が悪かったのは、五大流派と呼ばれる名門は、そもそも舞台以外で踊りを人前に披露しないということ。日本舞踊はお稽古中の師匠の動きを見て振りと手順を覚えるのが原則なのだ。文明の発達した現代においても、DVDだの教本などは存在しない。テレビにも滅多に出ない。自分で譜を書いてメモを取るか、先生によっては音声録音を許してくれるのでそれを頼りにするか。
 また、私の習った流派は鏡を見なかった。自分の踊りも見ない。
 この練習の在り方は私にはかなりの負担だった。弟子達の条件は皆同じなので、他の弟子が次々覚えて行く中で、振りを覚えられない私は本当に意欲に問題があったと思う。この条件ではとても覚えられないと薄々思いながら習い続けた私もどうかしているかも知れないが。
 日本舞踊はとにかく先生とのお稽古に全力投球が必要だと思う。復習はお稽古終了後に即取り掛からなくては忘れてしまう。迅速にメモを取って譜にしてとにかく覚える努力をするしかない。私はそれを怠る事が多かった。
 また、私の師匠はとても親切な人で、お願いすれば練習曲をダビングして下さった。今思えばもっとお願いすれば良かったと思う。曲なら通勤中にも聴けるのだから、聞いて聞いて曲だけでも覚えきれば、そこに振りを当てて行ってもっと覚えられたかもしれない。
 そして何よりも萎えたのが、大舞台を大道具からフルセット、和装フル装備で踊る事だ。普通は弟子はあれに憧れる。和装フル装備を「こしらえ」と言うのだが、白塗りのあれをやりたいと思った事がない。私などおかめになるに決まっているし、自分の醜い姿しか想像出来ない。
 私はフォーマルなら洋装よりは和装が似合うはずだが、私は一体何が良いのだろうね。
 こう思うとやり残した事が多くて、もう一度習いたいと思う事は度々ある。
 ある、が……。
 私はたまたま良い師匠に巡り合えた。師匠は毎年用もないのに浴衣を買わせるようなことはなかったし、指定された店で品物を買うよう命令したりしてこなかった。献金のようなものもなく、月々の月謝も発表会の参加費も安価に抑えてくれていた。しかしそれでも、発表会前は手伝いに行ったり、師匠のお付き合いの方々の舞台を観に行ったり、色々とお付き合い出費や労力提供もある。これが正直きつかった。踊りの世界は日本舞踊に限らず、師弟関係で弟子のお付き合い出費があるものらしい。私の師匠はそれも抑えてくれていたと思う。
 これはもう師匠次第だというのがなんとなくわかっている。次の師匠が毎年浴衣を買わせる人だったら、私は金銭的に続けていけない。
 最初の師匠のところを辞める時、もうこれで人生最後のお稽古だろうと思った。そう思ったら、惜しくて自分が情けなく、なんとも悲しい気持ちにもなった。
 でも仕方ない。
 着物は、美しくはないが着れるようになった。身振りも美しくはないが、やってはいけない事もなんとなくは身に付いた。歌舞伎も以前より観に行くようになったし、その楽しさもわかって来た。もうここまでとしようと思う。


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