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鈍くなる感覚

会社員というある種の公的存在として生きる自分を眺めてみて、いろんな感覚が鈍くなっていくのを感じている。本当は気にしなきゃいけないけれども、まあいいか。見えてるけど面倒だから見えてないふり。聞こえてるけど巻き込まれたくないから聞こえないふり。最初はふりをしているだけなのに、そのうち本当に感覚が鈍くなっていくような気がしてならない。心ない一言や、なんとも言えない理不尽さになんでやねんと心の中でツッコむことすらなくなり、ただひたすらに日々を鈍く過ごすようになってしまった気がしてならない。

意識的にそんな鈍くなった感覚をもとに戻そうとはしているのだが、かと言ってピンっとアンテナを張って、常に感覚を研ぎ澄ましておくようなことは到底できない。そんな状態で日々生きていくには、風が強すぎるし、ともすればすぐポキっと折れてしまうかもしれない。

社会の中で、公的存在として生きていくには、多少、鈍感になることも必要なのかもしれないと思う。ただそれと同時に、繊細さの中にあるような大事なものまで失ってしまうのではと不安になってしまう。そのバランスをとるのはなんだかとても難しい。

そんなことを長距離バスの中で考え、なんというか気が滅入ってしまうなと思いながら迎えた今回の帰省。迎えに来てくれた父親と車の中でなんとなく話しながら、父親がうつ病になり、一時的に無職になったことについて、考えていた。

中学2年生のとき、それまで元気なように見えた父親の顔が急激に暗くなり、話しかけても上の空な状態から続いた。その後、子供の自分には見えないところで(実際にはなんとなく見えていたし、聞こえていたのだが)祖父母や母親と話し合いがなされ、全てが決まったあとで、父親からうつ病になり、会社を辞めると告げるための家族会議が開かれた。

「うつ病になったから、会社を辞めた」と父親が、家族の前で告げる。「本当にごめんな」とポツリと口にした言葉とともに流れる父親の涙を、中学2年生の自分は、ただポカンと見つめることしかできなかった。もしかしたら、あの涙を流したのは、公的存在としての父親だったのだろうか。家庭の中の私的存在としての父親しか知らなかった自分には、父親の気持ちを理解することはできなかった。

社会人になって、少しながら社会というものに触れた今なら、公的存在としての父親の内面や、彼が触れていた世界の輪郭がなんとなくわかる気がする。公的存在としての父親も今の自分と同じようなことを感じ続け、耐えきれなくなって、何かがポキっと折れてしまったのだろうか。

父の病気から10年が経ち、2020年になった。実家に到着する間際、「まあ抱え込まずに気張らずやれよ」と他人事のように父親が口にする。父親にとって、すでに病気は過去のものなのかもしれない。どこで折り合いをつけたのだろうか。自分の中でうまくバランスをとるポイントを見つけたのだろうか。

同じ話を何回も繰り返すし、人の迷惑を省みずにタバコを吸いまくるし、くしゃみも声もでかいし、腹は出てるし、そんな鈍感極まりないおっさんだけれども、ポキっと折れた何かを再建する過程で、鈍感になっていったのであれば、それはそれで生きる術の一つなのかとも思ったりする。そうなりたいわけではないけれども。

いろいろややこしい世の中だなあと思うけれども、おっさんにならない程度に鈍く、ポキっと折れない程度に繊細に、そんな絶妙なバランスの中でうまく生きていきたいと思う。具体的にどうみたいなことはないけれども、新年というか2020年代の心持ちみたいな話。

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