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おばあちゃんへの手紙 最終章-3

100%負ける相手と戦い続ける日々なのだから、
我々生命の中には
無意識に何か得体の知れない
不安や恐れといった
居心地の悪さがつきまとうのも当然だ。


そしてそれを解消するために、
人は知らず知らず
一見生存とは関係ないようなものまでも、
夢や願いを抱いて、
それを叶え続けていこうとする。


これは
まるで何か願いを叶え続けていないと死ぬ
という活動(これが“生きる”ということだが)への依存症のようなものに感じる。

アルコール依存症との同じだ。
それがないと不安でいられなくなっているのだ。

しかし、無闇に願いを抱くことは危険だ。

なぜなら願いは叶っているうちはよいが、
(しかし、満たされることはない。
それは、願いの根本システム・発祥の仕組みが
100%負ける戦いの
プログラムから来ているからだ。)

一度叶わないとなった時、
その願いが強ければ強いほど
とてつもない苦しみの牙を剥く。

アルコールも適量なら人生の潤滑剤になり得る。

しかし毎日一杯のはずの晩酌が、
2杯になり、3杯になりと、
あっという間に歯止めがきかなくなることは
よくある話だ。

しかしアルコールは中毒性があることを
多くの人は知っているから
まだ自業自得といったところがあるが、

この願いが生きることの根源にも
根付くほどの強力な中毒性があることを
人は知らない。


ここにも
“無明”のキーワードが
浮かび上がってくる。


そして人々は
夢や願いを叶える努力への熱烈な信奉者だ。


恋は盲目という例えがあるように、
一度人は心酔してしまったものを否定されると
反応は凶暴だ。


反発心を少しでも抱かせてしまったら、
人は話を聞き入れない傲慢な存在であることは
自分の人生を省みれば自明の理である。


仏典にもあるように、
お釈迦様ですら一度は人々に
この真理を、自分が見えている世界を、
伝えることを諦めたという。

無理だ、不可能だ、
というのが率直な感想だろう。

しかし、なぜお釈迦様は
その後80歳で入滅されるその時まで、
説法をされ続けたのだろうか。

まさに死ぬその直前までだ。


でも私は今目の前の炎を見ていて
ふとわかるような気がした。


悟られたお釈迦様は、生きる次元を超えられた。

“生きる”の根本が
願いを叶えていくことならば、
生きる苦しみ、苦しみの原因が
その“叶える”という執着にあるならば、
執着をなくされて悟りに至ったお釈迦さまには
もはや“叶える”という気持ちが
湧かなかったのだろう。

しかし、
慈しみの深いお釈迦様の心に
“願い”は湧いた。


その慈悲心に従って、叶う叶わないは別問題。

ただ淡々と
目の前のするべきことをし続けた
だけなのではないだろうか。

叶えようという気持ちがない分、
焦りもなければ、気負いもない。

諦める理由もない。

目の前に
分からずに苦しんでいる生命が居続ける。

その苦しみを少しでも癒してあげようと、
背をさすりながら、
こうすると楽だよ、こう考えると楽だよと、
ただただ諭し続けただけ。

そこに“叶える”苦しみがないゆえに
淡々とをいつまでも続けていける
無尽蔵なエネルギーも合点がいく。


“叶わなくてもいいと思える境地”

執着を手放しなさい
と諭し続けたお釈迦様の真意が
垣間見えた気がした。



「おばあちゃん、ありがとう、、、」
ふと心に湧く思い。
 

とても安心する思いだ。

「ありがとう」には
何の願望も希望も含まれない。

むしろ
「もうそれで十分。」という、
「そのまんまでいいよ」という、
絶対的肯定感がある。

“ありがとう”に包まれた世界は
きっと至福の世界なのだろう。

平安であり、安穏。

おばあちゃんの夢から始まった、供養の旅が、
こんなにも穏やかな、安らぎの世界が在ることを
気づかせてくれた。

私たちは、
あらゆる生命や事物に
サポートされて生きている。


気づく心さえあれば、
自分の心を感謝の気持ちで
いっぱいにすることなど、
本当はいつでもどこでも
いとも簡単なんだ。


大自然は我々に
酸素を与え、栄養を与え、
水を与え続けてくれている。

人々は、皆仕事を通じて
多くの仲間の生活を支え続けてくれている。

そして、一番身近な家族や友人は
生活のみならず、お互いの傷つきやすい心を
支え合ってくれている。


「おばあちゃん、
ありがとう、ありがとう、、、」
いつしか炎に向かって呟き続ける私に
子供たちが合掌して呼応した。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、」

佳乃が言う、
「南無大師遍照金剛が
ありがとうになったみたい。」

勇一も語を継いだ。
「こっちの方がわかりやすくていいや」

勇作も一人前に続く。
「うん、同じ唱えるでも心を込めやすい!」

愛も言う、
「ありがとうがいっぱいの世界って
とても安心ですね、パパさん」 

私は思わず胸が熱くなった。


おばあちゃんの夢が、
おばあちゃんが連れてきてくれた世界、この光景に
感謝の気持ちが溢れている。


「ママさん、ありがとう。
佳乃ありがとう。
勇一ありがとう。
勇作ありがとう。」

今満たされた気持ちに、
願いも希望も一切なかった。

そのまんまでいい。

だから不安も恐れも一切ない。
だって、そのまんまでいいのだから。

これからもみんなどんどん変わっていく。

これは法則だから仕方ない。

でも、
この感謝の気持ちさえ見失わなければ、
いつだってこの安心安寧の世界に
在ることが出来る。

大好きだったおばあちゃんの声が
聞こえてくるようだ。

「そのまんまでいいよ。そのまんまで十分…」
私の心が満たされていく。

「おばあちゃん、ありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。」と…

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