見出し画像

志村正彦という人

地元で一番大きな花火大会があった。部屋の窓から花火を眺めながら、今年もフジファブリックの「若者のすべて」の季節になったな、と思う。当時のボーカルの志村正彦と、とうとう同い年になってしまった。

思えば、フジファブリックの存在を知った中学2年生から今まで、ずーっと心の核のようなところに志村正彦の面影がある気がする。彼が亡くなる数年前の両国国技館のライブ、セトリやパフォーマンスはさることながら、一番印象に残っているのは「若者のすべて」を歌う前のMC。以下のサイトより抜粋します。

歌詞ってモンは不思議なもんで。

創った当初とは、詩を書いている時と、曲を作って発売して、また自分の曲を聴くんですけども。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。

解釈は違うんだけど、共感できたりするという。自分で共感してしまうという。

もちろん、曲を聴いてもらえばいいんですけど、今回のツアーで言いたいなと思ったのは、何かあるたびに。例えば、センチメンタルになった日だったり、人を結果的に裏切る事になったりした日だとか、嘘ついた日、逆に素直になった日、色んな日があると思うんですけどそんな日の度に立ち止まっていろいろ考えていたんですよ。僕は。

だったら、それはちょっともったいないなという気がしてきまして。

だったら、BGMとか鳴らしながら歩きながら、感傷に浸るっていうのが得じゃないかなと思って。

だから言ってしまえば、止まってるより歩きながら悩んで。
一生死ぬまで楽しく過ごした方がいいんじゃないかということに、26~7になってようやく気づきまして。


そういう曲を作ったわけであります。

というわけでその「若者のすべて」やります。

学生当時あれこれと悩んでいた当時の自分の気持ちを代弁しているような言葉で、それが今でも心に残り続けている。結局今もあの頃と変わらず悩み続けているんだと思う。たくさんの人を傷つけてきたし、同じくらい傷つけられただろうし、そして多分これからも。

そんなことを思いながら近所の居酒屋のカウンターで一人で飲んでいた時、彼の生前最後に遺した曲「夜明けのビート」が流れてきた。自分の脳内が読まれているのかと思うくらいの偶然だった。

こんな夜をまた思い出せるように、家に帰ってこの日記を書いている。けど志村正彦のことは、夏の花火を眺めるたびに思い出すだろうなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?