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高浜の臨海学舎

毎日暑い。うだるような暑さを感じているうちにまた思い出した。7月下旬のこと。これも残しておこう。誰のために?書けるということは忘れてないということだけれど、覚えておきたいからちゃんと書いておこうということで。

小学校高学年の夏

 夏のこの時期と言えば、心に残っているのは小学校高学年の臨海学舎だ。通っていた小学校では、毎年夏に必ず宿泊合宿があった。3年生の時は武田尾の紅葉館というところで、林間学舎。4年生の時は三田の永沢寺というところの本堂に泊まり込む山の学舎。そして、5・6年生は福井・高浜で遠泳に挑戦する臨海学舎がある。僕は食事の好き嫌いが多かったので、こういう泊りの合宿はほんとうに苦手だった。中学校も合宿が多く、苦痛でしょうがなかった。結局、克服できたのは高校生になって、食べ物の好き嫌いがなくなったというか、味に無頓着になったというか、たいていのものなら食べられるようになり、感覚が麻痺してしまったというところだろうか。

 話は臨海に戻るが、終業式が終わるとすぐ、3泊4日の日程で福井・高浜の旅館に泊まり込み、朝から夕方まで泳ぐ泳ぐ泳ぐ。二日目に準遠泳という1キロを泳ぎ、それができたら三日目に2キロの遠泳を泳ぐのだ。

便秘

 臨海に行く前に7月のプールの授業などを通じて、泳力に応じた班分けをされる。僕は泳ぎ自体はスイミングを習っていたこともあり、特段速いわけでもないけど、泳げないこともなかったので真ん中くらいの班に配属された。初日は、午後から泳ぎだすのだけれど、沿岸で軽く流すくらいなのでそれほど苦痛ではない、はずだった。でも、海で足がつかないことにどういうわけだかとんでもない恐怖心が出てしまって、自分でもこれはやばいと思いながらも、友達の背中につかまるなどして、だましだまし一日目を終えてしまった。

 旅館では当然和室で雑魚寝。狭い部屋に何人もが寝る。まだ子供だから狭いということもなかったけど、泳ぎへの不安以上に僕を悩ませたのが食事とトイレだった。さっきも書いたけど、好き嫌いが多くて、今にして思えば、田舎の旅館のおばちゃんたちが一生懸命子どもたちのためにハンバーグとか、子どもが好きそうなメニューを作ってくれていたのに、家と味が違うということでよう食べれなかった。結局わがままだったんやなと。あとはトイレ。海岸の目の前の旅館はまだぼっとん便所だった。それが恐ろしいのと環境の変化ですっかり便秘になってしまい、自分では食事をそんなにしていないから大丈夫だろうということで、3泊4日、一度もうんこをしなかった。帰宅したとき、夕方で親は僕の好きなトンカツを用意して待っていたのだが、おなかが痛くなってトイレに駆け込み、ものすごい硬い宿便をようやく押し出して出たときには、入る前に始まりかけていた「シティーハンター」は「Get Wild」がかかってしまっていた。

で、脱落

 二日目。いよいよ準遠泳に出る。初日をごまかしてしまったから、当然準遠泳に入れられる。前の年に2キロを泳げている6年生は免除されるが、5年生は初めてなので全員必須。当時、命綱と言って、さらしを腹に巻いて結んでおき、溺れそうになったらそこを先生が持って引き上げてくれるのだが、結構それが痛くて引っ張られるのも嫌だなと思いつつ、とにかくスタートした。

 泳ぎはじめて50メートルも行かないうちに足がつかないことでパニックになった。この班でこの場所でリタイアするなんてありえないのだが、「助けて」と無様に叫び、救助のボートに命綱をつかんで引き上げられた。

 無惨だった。結構泳ぎには自信があったのにこんなことになるなんて。でも足がつかない海が本当に怖かったのだ。翌日、みんなが遠泳に出ている間は泳げない人たちと一緒に浜辺で砂遊び。屈辱を抱えたまま5年生の臨海は終わった。

6年生のリベンジ

 翌年もまた高浜に。出発前、パンフレットをリュックに積めて準備していると、またあの恐怖感を味わうのかと憂鬱になった。逃げ出せるわけもなく。

 確かこの年は海が荒れていて、準遠泳がなかったのだ。このまま遠泳よ、なくなれと思っていたがあった。そして僕も無理やり遠泳に出された。結論から言うと、なぜか2キロ泳げてしまった。浜に上がったとき、ガクガクだったけどやっぱり達成感があった。

 夏の高浜。思い出すのは海水浴客の甘いサンオイルの匂い、休憩の時に飲まされた甘い生姜湯、砂を落とすお湯みたいなシャワー、砂浜造形、ぼっとん便所。今はもうここではやってないみたいだけど、旅館はまだやっているみたいなのでいつか行ってみたい。


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