もどってきて2週間。こちらでの仕事は夜勤もなく、土日祝は休み。やったことない中身ではあるが、2ターン回してなんとなくわかってきた。事務処理は苦手じゃないのでこれはこれでありかと。 なにより子供たちと向き合う時間が増えた。全員揃うのは2年ぶりだけど、そうしなさいということだったのかも。充実してます。 今は子供の習い事待ちで早朝から京都へ。久々の京都もいいですね。勝手知ったるではないけど、見慣れた街。落ち着きます。
赤羽徘徊 とうとう東京を出る日が迫ってきた。本当はいろいろ散策して、最後は銭湯で締めようと思っていたけど、こんなに雨が続いたらちょっと無理。でも、最後の用事を済ませるため、朝から懐かしき赤羽に行った。 最後の用事って言っても、そんなたいそうなものではなくて、前にも書いたハゲの薬をもらいに行くだけです。引っ越して、新しい皮膚科を探すとなると、また先生の問診を受けて、アタマ見られてというしゃあないとはいえ、屈辱的な儀式をしなければいけないので、このかかりつけで思い切って3カ月
東京を去るまであと4日になった。仕事は最後の追い込みで忙しい。その割にお誘いもそこそこあってありがたい。 こないだは京成立石というところのおでん屋に。参加者は大阪時代のしりあいばかり。町並みも自分の生まれ育った下町みたいで懐かしかった。 翌日は携わったプロジェクトの新旧チームが慰労会をしてくれた。仕事終わりの深夜に寿司屋に行っていろいろ話した。会費制にしようと言ったがいらないと言われた。うれしかった。 だから今日、非番だったので日本橋の高島屋まで行ってお菓子を買った。いつもす
朝からとんでもない強風の一日。今日は夕方に異動の発表と部会があった。 それまでに何となく、この街を目に刻んでおきたい気がして、前から行きたかった近所の庭園に足を運んだ。 行くまでは最近凝っている昭和歌謡を聴く。中森明菜と薬師丸ひろ子など。そして、着いたらイヤホンは外した。景色だけではなく、音も味わいたかったから。 入り口で150円を払い、中に足を踏み入れる。 庭園を愛でるような教養はないけれど、あまりにも澄み渡った青空で、池を優雅に泳ぐ水鳥たちや、のんびり首を伸ば
というわけで、言われていた通り、春からまた戻ることになった。内示日なのになかなか電話こんなあと思いながら、地下中華でギトギトの回鍋肉定食を食らい、もう今日ないなら帰ろうと思ってたら、言われた。 いろいろ思いはないこともないけど、まずは単身赴任が一区切りつけられるだけでもよかったかなと。次男をぬか喜びさせたくなかったので、今まで黙ってたけど、知らせたらとても喜んで、もう学校の友達にも言ったらしい。あれだけ前の学校で傷ついたけど、今はここで6年生まで通いたいと言ってくれてるから、
昨日は早朝からの仕事を終えた後、世話になっている先輩と合流して立ち飲み屋で5時間、カラオケ3時間。久しぶりの会合までの間にいろいろあったから、慰労と憂さ晴らしの意味も込めて。 そして今日は休み。昨日の疲れで昼前に起きた。冷凍庫の整理をしていこうと、月末に賞味期限が迫っていたすき家の牛丼の素、2袋を使い切る。あと残すはエビドリアだけ。 1年半暮らしたこの街とも、たぶんあと1ヶ月もすればお別れになる。たぶん。いろいろあったから、じゃあ東京に来なければよかったんじゃないか
新しい年 年明けから学校だけではなく、家も替わった。学校のためにその狭い部屋を駆け込みで借りていたのだけど、もうその必要もなくなったし。 いろいろ相談していた人に変わることを告げたら、「新しい年を新しい気持ちで迎えられると思って」と前向きな言葉を掛けていただいた。そうだと思う。 もういろいろあったことは忘れよう。
管理職から泣きながら話があった直後にまた電話があった。今度は何だろう。手続き忘れでもあったのだろうかと聞いてみると、担任ほかクラスの子が手紙を書いたのだと。ただ、管理職が見たところ、失礼なというか、そうじゃないだろうという表現も散見されて、渡すのを躊躇しているという。 うーん、そういうところなんかなと。手続きに行った時に、何の改善もされなかった状態で、普通の転校と同じように担任からの手紙はもらえませんと拒否した。にもかかわらず、子供たちにまで書かせた。同じことで、結局、
行けないまま辞めてしまった終業式。先生からみんなにお話があったらしい。何があってうちの子が学校に行けなくなって、ここを去らなければいけなかったかを。先生も泣いてみんなも泣いて、謝りたいと。 泣くことは一種のカタルシスで、自分たちへのガス抜きでもあるよなと思った。泣くくらいならと思うし、取り返しのつかないことになってから悔やんでももう遅いということもある。 いつも気丈だった管理職も、このことへの報告ではずっと泣いておられた。そりゃ、普通に考えたらむしろ、大人からしたら
手続き 結局、我が子は2学期限りで学校を辞めることになった。正式に転出の書類を記入し、大量の荷物を持って帰ってきた。これだけたくさんの荷物を抱えて、この子はこの学校で一生懸命、頑張っていこうと思っていたのかと思うと、ただただ泣けた。 管理職の先生はひたすらに謝っていた。そうするよりほかないのだろう。私たちが訴えた加害者に対しても、一部の子どもたちに対しては保護者も含めて指導は続けているという。それをこの転出の手続きの時に聞かされても、もう遅いし、どうしてもっと早くそれ
安らげる居場所は 家族のために私は昨夏から単身赴任になった。そして、次男は1学期だけの東京生活を終えて、別の学校に通うことになった。 新しい居場所。私も全く無縁の場所でもなかったので、安心して過ごせると思っていたのに、そうではなかった。 この1カ月あまり、ずっとそういうことでもやもやが続いていて、一度はここに連日のように怒りの記事をあげていたけど、ひょっとしたら改善するかも、という期待が僅かに持てた時期もあって削除した。 でも、やっぱり変わらなかった。一方的な暴力
僕は一人遠回りした 10月三連休の初日。本来なら留守宅に戻るところだが、明日が仕事のため帰ること能わず。朝に小学校に連絡をする用事があって、早めに起きた。当然、先生は誰も出勤しておらず、用件は連休明けに、ということになった。しかし、電話に出た人、初めは事務所の人かと思ったが、後で考えると前は親身に世話を焼いてくれた管理職ではなかったか。こちらは名を名乗っているのに特に反応を示さなかったので、違うのかもしれないが、喋り方、声音がとてもよく似ていた。だとしたら、ずいぶん嫌われ
ピアノで 前にも同じことを書いたけど、髭男の「universe」が、ここ最近の感傷をくすぐる一曲になっている。 日曜日、長男の学校の文化祭に行った。自由な学校で、いろんな出し物があり、自分の学校とは比べ物にならないクオリティー。自分も受けたかった学校だが、小学校の担任に反対されて受けられなかった。受けて受かる保証はなかったけど、社会や算数が得意だったので悔やまれる。 その帰り、駅前のイオンで昼食を食べた。うろうろしていると、小学生くらいの女の子が街角ピアノでuniv
夕方から 先日から妻と次男が東京に来た。習い事がない合間を縫って、おそらく10日ほどの旅程。塾がある長男は残してだが、長男も一人で集中するのがよかろう。自分が高校生の時も、家族旅行にはついていかず、祖父母宅にずっと泊まっていたなと思い出しながら。 来た翌日がようやくの休みだったので、夕方からスカイツリーに出かける。近所でいつも見慣れてはいたけど、行くのは初めて。駅を降りてそれなりのアミューズメントタウンになっていることに驚いた。 最初にプラネタリウムに行ってみる。
左遷 今日は新聞を取りに出た時、昨日の夜の雷雨のせいか少し暑さが和らいでいた。会社のある日ではあるけど、こんな時しか歩けないと思ってタオルを首に引っ掛けて近所の公園に向かった。 先日は黒夢・ラルク特集に浸ったが、今日は前に作ったごった煮のプレイリストで歩くことにした。そして、一曲目はスガシカオの「June」だった。 記憶がふっと15年ほど前に戻る。会社に入って、5、6年目くらいのころ。二つ目の支店での勤務が満期を迎えようとしていた。うちの若手社員は、だいたい2つの
黒夢を聴きながら 5月に受けた健康診断の結果が返ってきた。脂質とどっちだかの玉のコレステロールが要注意と。A3といういまいち評価が時々出る。しかし今回は単身生活となってからだから気になる。そりゃ、家族宅に返っていない時は何連続もコンビニとかになるとそうなるよね。非番の日はスーパーでできるだけ野菜を買うようにしているけど、それ以上に不摂生がたたっているのでしょう。 妻に相談したら「歩け」と。確かに、大阪に住んでいたときは山の麓に住んでいたので、妻と一緒に1時間半くらい、