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庭園にて


 朝からとんでもない強風の一日。今日は夕方に異動の発表と部会があった。
 それまでに何となく、この街を目に刻んでおきたい気がして、前から行きたかった近所の庭園に足を運んだ。
 行くまでは最近凝っている昭和歌謡を聴く。中森明菜と薬師丸ひろ子など。そして、着いたらイヤホンは外した。景色だけではなく、音も味わいたかったから。

 入り口で150円を払い、中に足を踏み入れる。
 庭園を愛でるような教養はないけれど、あまりにも澄み渡った青空で、池を優雅に泳ぐ水鳥たちや、のんびり首を伸ばすスッポンを見ていると、心が空っぽになった。秋じゃないけど、風の音にぞおどろかれぬる、で轟々と吹き荒ぶ風に時おり煽られながら、池の周囲の小道をゆっくりと歩いた。

 しかし、本当に突き抜けるような青空だった。絵の具で描いたみたいに。空の青さを見つめていると、って谷川俊太郎さんの詩をむかし教科書で読んだのをふと思い出した。その続きは忘れていたが、調べてみると、

 私に帰るところがあるような気がする

とあった。不思議。覚えていなかったけど、何だか今の自分の気持ちにぴったりで。

 1年半前の夏に引っ越してきた時にも書いたけど、この清澄白河はとても住みやすかったなと思って。タワマンは近くにあるけど、道々は山陰の田舎町みたい。お寺が多くて、小さな店がポツポツあって。僕のように初めて東京で暮らす者にもとても馴染みやすい場所だった。早朝出勤の時に、お寺の前でいつも掃除している人が「おはようございます」と声をかけてくれるのもホッとしたし、夕方に遠くにスカイツリーがいろんな色で瞬いているのを見るのも心が和んだ。

 清澄庭園でほころんだ梅をカメラに撮って、芭蕉の句碑を読んで、小一時間ほどかけてゆっくり回って、帰路についた。帰ったら、異動が解禁になって、引っ越しや解約や部会での挨拶や、いろんなことが一気に押し寄せてきた。そんなことをしているうちに、あっという間に1ヶ月がたって、僕はもうここからいなくなるのだなと思って。だから、思い立ってきょう、庭園を歩いたことはきっと生涯、忘れないと思う。

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