見出し画像

挫折とスガシカオ

左遷

 今日は新聞を取りに出た時、昨日の夜の雷雨のせいか少し暑さが和らいでいた。会社のある日ではあるけど、こんな時しか歩けないと思ってタオルを首に引っ掛けて近所の公園に向かった。

 先日は黒夢・ラルク特集に浸ったが、今日は前に作ったごった煮のプレイリストで歩くことにした。そして、一曲目はスガシカオの「June」だった。

 記憶がふっと15年ほど前に戻る。会社に入って、5、6年目くらいのころ。二つ目の支店での勤務が満期を迎えようとしていた。うちの若手社員は、だいたい2つの支店を勤務したら本店に異動して、キャリアアップする。希望の部署に進めるかどうかは適性や能力、そして政治力なども一因になるのだろうが、ほぼ8割くらいの人はその大きな流れに入る。が、自分はその流れに乗れなかった。

 理由はいろいろあったと思う。自分なりに仕事をこなせていると思っていたが、周りの評価は決してそうではなかったのだろう。直属の上司とも折り合いが悪く、さらにその折り合いの悪さを上長にも認識され、喧嘩両成敗的になったのだろう。間に入ってくれた先輩もいたが、その人が自分を引き立ててくれるために提案してくれたミッションを、消極的な自分は応えることができなかった。というより、答えを先延ばししてうやむやにしてしまっていた。

 その結果、同期の大半は華々しく本店に送り込まれていったのを尻目に、自分はさらに地方の小都市にある営業所に追いやられた。そこでの過酷な生活は、このnoteの一番最初の投稿で、写真もぶら下げ触りだけは触れた。詳細は思い出したくもないが、営業所の上司は劣等感の塊のような人で、会社への恨み、社会への恨みなどを一身にためこみ、酒とタバコに吐き出していた。吐き出しきれなかった澱を全て私にぶつけてきた。今なら訴えるところに訴えればパワハラ一発認定だと思うけれど、その時はそういう発想もなく、前任地で上司と揉めたことへの戒めから、上司には逆らわないようにしようとそれはそれは洗脳されたように自分に言い聞かせていたので、サンドバックのように耐え続けた。リーマンショックの時に一度転職も考えたが、踏み切れず残ってしまった。あの3年間で随分老け込んだ。その上司はもう死んでしまったが、いろいろ考えても到底あの時のことはいまだに理解できないでいる。

「愛について」

 月に2度ほど、県庁所在地の支店に業務報告に行く必要があった。2時間かけて特急に乗り、向かう。そこは本店から来た人、本店直前のいきのいい若手などがバリバリ仕事しており、左遷された私などは明らかに場違いだった。彼らが私のことをどう思っていたのかはわからないが、少なからぬ人がラインから外れたもう終わった人と憐れみの目で見ていたのだろうなとも思う。こういうことを考えること自体、卑屈さ以外の何者でもないし、今は縁あってもしラインというものがあるのなら、そんなに悪くない職責を与えられているので、当時の自分には腐るなよと言いたいが、それはまあおいておく。

 そんな状況だから、当然居心地が悪い。そこの上司もたまにしか接しないが、仕事はできるものの非常にエキセントリックな人と聞いていたので、早朝に出社した時にオフィスでサシになった時は、まるでそこに私がいないかのような振る舞いをされて、「左遷された者は相手にもされないんだな」と随分傷付いた。一方で、その人に高い要求をされても、それに応える自信もなく、どこかで話しかけられないことにほっとしている自分もいた。

 そのとき、その上司の携帯の着メロが鳴った。まだスマホが出る前だったから、いわゆるガラケーで、着メロも全盛期だった。鳴り出した曲は聴いたことがなかったが、声質でスガシカオだとわかった。聞こえて来た歌詞の断片を後で検索すると、「愛について」だった。この上司はスガシカオなんて聴くんや、と意外な嗜好を知って妙に感心した覚えがある。

 任地の小都市に戻り、すぐにTSUTAYAでベスト盤を借りた。午後のパレード、光の川、黄金の月、アシンメトリー・・・。どれも独特の世界観が、沈んでいる大人としての自分に沁み込んだ。大人の男の曲、という意味では、10歳以上年上だったであろう当時40過ぎの上司がスガシカオに傾倒していた理由が何となく分かった気がした。そして、その上司もその数年後には死んでしまったが。

「June」

 そのベスト盤には入っていなかったが、その頃、とても好きだったのが「June」だった。住宅メーカーのCMソングだったが、失意のうちに田舎町へと追われた自分の境遇にいろんな歌詞が重なった。

「June 新しい街に来て 今 何もかもが生まれかわる気がした」

 現実はひどいパワハラを毎日受けて、生まれかわることなんて絶対できない地獄だった。だからこそ、この歌詞に希望を託そうとしていたのかもしれない。一種の現実逃避として。

「June 許されなかったウソもユメも もしかしたら やり直せるかもって くちびるをかんだ」

 そう、そんな地獄にあっても、もしかしたらって言う次の歌詞にすごくすがりたくて、でもすぐには変えられないもどかしさで、唇を噛んでいる自分と重なって。いろんな感情がないまぜになりながらも、先が見えない閉塞感の中でずっと苦しんでいた。結局、そこには3年もいて、次もまた少しだけ規模が大きい支店暮らしで、同期とはずいぶん差がついてしまっていたのだけれど、次の支店での仕事が直接ではなくてもその後の転機につながったのかもしれないし、そのあたりは今でもよくわからない。

 今日の散歩の一曲目に聴いた「June」でずいぶん古い記憶が蘇ってしまった。まあ、その後の宮本浩次「異邦人」で、そんなセンチな気持ちは消し飛んで、昭和歌謡の良さを噛み締めながら公園を2周して、先日見つけたのとは別の小さなパン屋で、パンを二つ買って、シャワーを浴びて、ハンガーが足りないくらいの大量の洗濯物を風呂場に干して乾燥をかけて、今からパンを食べて、今日も会社に行きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?