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秘曲と驚嘆と。〈田所光之・マルセル ピアノリサイタル in 多治見〉


2023年9月17日(日)バロー文化ホールに行われた「田所光之・マルセル ピアノリサイタル」についてのレポートです。考え抜かれた珠玉のプログラムを、いつものように素人オブ素人の私の感想を絡めながら書いてみました。


🎹今回のプログラム

※曲順はスヴェトラーノフから


会場はバロー文化ホール・小ホール。

バロー文化ホール・小ホール


今回のコンサートは<たじみ音楽でまちづくり市民協議会>さん主催の2023・たじみ中之郷音楽祭の一環として行われました。


驚いたのだが、多治見にはベーゼンドルファー、スタインウェイ、ベヒシュタインの「世界三大ピアノが揃う!」のだそう。というわけで、今日のピアノはベーゼンドルファー!


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私にとっては2023年1月以来のマルセルさんリサイタル。前回ラモーや「ペトルーシュカ」、ラフマニノフ「コレルリの主題による変奏曲」などから受けた衝撃は今も忘れられない。今回も期待が膨らみます。
時間となり、マルセルさんが舞台袖から現れた。高身長のスラッとした姿に、黒のスーツと黒のシャツがシックに決まっていますね。
早速演奏、ではなくおもむろにマイクを握りるマルセルさん。ご挨拶あったかなかったか(笑)、とにかく本題、プログラムの解説が始まった。

「今日のプログラムはあまり聞き覚えのない作曲家が多く出てきますが、全員何らかの関係があります。
チャイコフスキーの孫弟子がグラズノフとラフマニノフ。スヴェトラーノフはグラズノフの孫弟子で、そのひ孫弟子がプレトニョフとなります。またヘンゼルトはドイツ人なのですが、ロシアに来て活躍しました。彼はまさにロシアンピアニズムの礎を築いたといえる存在です

手に持った紙を見ながら説明をしてくださったのだが、聞いていた私のメモが不安……。恐らくこれで合っているかと。

と思っていたら、同じプログラムで行われた8月30日フィリアホール(横浜市)での公演情報Webページに、ご本人のインタビューが載っていた。上記の複雑な人間関係や曲順についても語られているので、よろしければご一読ください。

今回のプログラムは、ヘンゼルトを最も真ん中に据え、まず前半をスヴェトラーノフで始め、ラフマニノフ→チャイコフスキーの順番で時代を遡っていきます。その後、後半の最初にヘンゼルトを演奏したのち、グラズノフ→ラフマニノフ→そして現在も現役で活動しているピアニスト、指揮者で作曲家のプレトニョフ(チャイコフスキー)と、時代を現代へ巻き戻すように並べています。

田所光之マルセル:Office  FugaのHP
https://www.officefuga.jp/concert/tadokoromarcel.html


⑴エフゲニー・スヴェトラーノフ: 12の前奏曲

私にとって、スヴェトラーノフは今回の演奏会のメインでもあります。(スヴェトラーノフは)ラフマニノフを敬愛し、指揮者としてだけでなくピアニストとしても、ラフマニノフの作品を録音しています。

田所光之マルセル:Office  FugaのHPより

8/30横浜フィリアホールでのこの曲の全曲演奏が「おそらく日本での初演」だったとのこと。つまり今回は本邦2回目の演奏であり、非常に貴重な機会だといえる!

当日のマルセルさんの曲紹介。
12曲の中にはロシア民族や伝統的な曲、あるいはアメリカ音楽の影響を受けた音楽やジャズ、映画音楽のような曲が出てきます

第1番 モデラート。ネットで見た楽譜によると2小節目上、右手メロディが始まる部分にcantabile(カンタービレ)と記述があるがその通り、まさに朗々と歌い上げるドラマティックな演奏だった。
マルセルさんはこの曲を、2023年6月に出場したチャイコフスキーコンクール2次予選の一曲目として演奏している。ちなみにその時のラストの曲はシャルル・トレネの「4月のパリで」だった。その選曲について、マルセルさんはこう語っている。

今回セミファイナルでは、敢えて作曲家としてあまり知られていないスヴェトラーノフの前奏曲から2曲を選びました。その2曲目の第9番は、”Vesnianky”という、春を呼ぶウクライナの儀式で踊られる踊りとして書かれています。そして最後に、スヴェトラーノフの作品と関連する形で、フランスのシャンソン歌手、シャルル・トレネの「4月のパリで」という作品を演奏いたしました。コロナや戦争など、毎日暗いニュースが続く中で、いつか私たちにも春が来ることを願い、この曲を選びました。

田所光之マルセル X(2023 年6月25日)



爽やかさ、ワクワク感に満ちたこの第1番で幕開き、重量級の曲をじっくり聴かせ、最後は「4月のパリで」で夢のように閉じる。良い音楽を、この時間を楽しんで欲しいというマルセルさんの思いのこもったオープニングとラストの選曲だ。
この日の演奏でも、まさにコンサートの開始にふさわしい、目の前がぱあっと拓けていくような華やかさが伝わってきた。ベーゼンのふくよかな音が風に乗って会場中に広がっていく。

第2番は映画音楽、第3番のラストはおしゃれなフランス音楽のよう。感情を揺り起こすような第4番を経て、
第5番 アレグロ。スカッとする歯切れの良い演奏がとても心地よい。中間部のちょっとマーチ風な感じがフランスぽくて良い雰囲気だ。
話が前後するが、アンコールの3曲目でもこの曲が再び披露されたのだが、その時に「プロコフィエフのロメオとジュリエットに似ている」と仰っていた。なるほど! と思ったが、えっと似ているというのはプロコのロメジェリは第8曲「マーキュシオ」でしょうか……違うかも(笑)。マルセルさんのロメジュリも是非またお聴きしたいですね。

昔を懐かしむような第6番が続く。
緩、急、緩と曲が変わるたびに曲調は次々変化するが、マルセルさんの作り出す世界に、客席はすぐに惹き込まれていく。

第7番 ビバーチェ。ここでマルセルさんからクイズです。

正解はショパン/24のプレリュード第16番,Op.28 でした。下のマルセルさんの演奏、鬼気迫ってますね。

第9番 ヴィーヴォ。前述のチャイコン2次で第1番に続いて演奏された曲。舞踊的雰囲気に覆われていて、ダイナミックなスケールやスタッカートがカッコよかった。「第9番は、”Vesnianky”という、春を呼ぶウクライナの儀式で踊られる踊り」だそう。特別な思いのこもった曲だ。

第12番 アレグロ・コンブリオはまさにジャズの世界。ジャジーな響きと大胆な変化がとても魅力的だ。この曲にはリズム感や音感、あるいはニュアンスともいうべきものが必要な気がしたのだが、それはまさしく奏者の人生やセンスを映し出すもの。ダイナミックさの中の繊細。この時のマルセルさんの演奏は、弾く姿を含め数日経っても後から何度も思い起こされるほどに印象に残った。

全12曲を聴くのは初めてだったが、非常に耳触りがよくキャッチーなフレーズもたくさん出てきて、とても聴き応えがあった。マルセルさんが「この曲は〇〇に似ている」と例えて説明してくれたのも、親しみを持てた要因だと思う。分かりやすい解説、これからもお願いします。

♦︎ラフマニノフ(田所編):ヴォカリーズ Op.34-14  

♦︎チャイコフスキー:歌劇『地方長官』の主題による「ポプリ」

「チャイコフスキーが作曲した歌劇のポプリ。ポプリとは、メドレーのことです。歌劇の場面が次々に現れる、とても場面展開の早い曲です」。

素晴らしかったのですが、全体のバランス的に省略します。すみません。

ベーゼンを守るような反響板が凄い!


⑵サロン風の曲達

「後半まずはサロン文化の中で生まれた曲を演奏します。サロン風音楽は、演奏者と聴衆との距離が近かったこと、そして即興的という特徴が挙げられます。どうぞ、ゆるく楽しんでお聞きください」

♦︎ヘンゼルト:12のサロン風エチュードより

アヴェ・マリア Op.5-4 優しく素朴なメロディが流れる中を、内声が切れ目なくずっと付き従って行く。互いに慈しむように重り合う響きに癒された。
愛の詩 Op.5-11   アレンジが沢山入っていたと思う。特にラストのアルペジオがおしゃれだった。


♦︎グラズノフ:サロン風ワルツ Op.43    
ワルツオブワルツといった優雅な雰囲気なのだが、装飾音のオンパレードで複雑な印象も。迫力ある演奏が冴え渡っていた。


♦︎ラフマニノフ:サロン小品集

ワルツ Op,10-2     楽しいワルツに思えて不思議なリズム感の曲。こういう曲でのマルセルさんのアレンジがとても粋だと思うのだ。
ユモレスク Op.10-5    ユモレスクとは「19世紀の器楽曲の名称で、気まぐれなところのある、空想的でユーモラスな性格の曲のこと」(『新編 音楽中辞典』p.719音楽之友社)。あまりの激しい演奏に結構驚いたのだが、サロンの上流感満ち満ちの雰囲気を、最後に引っ繰り返してやろうという、マルセルさんのユーモアに満ちた、ちょっと反逆的な気配を感じた(笑)。

⑶チャイコフスキー(プレトニョフ編):演奏会用組曲「くるみ割り人形」Op. 71

そしてメインのチャイコフスキー。もう凄いの一言。ただ見惚れ、聞き惚れるのみだった。マルセルさんの圧倒的な技術と音楽性は、ここまでにもう遺憾無く発揮されてきているし、前回公演「ペトルーシュカ」でも既に体験しているが、やはりまた今回も打ちのめされた。毎回プログラムに組まれる有無を言わせぬ大曲は、ピアニストとしての類い稀な才能とたゆまぬ努力の賜物であり、聴く者達にいつも茫然となるほどの驚嘆、血潮が踊るようなワクワク感と楽しさを与えてくれる。知られていない「秘曲」に光を当てる一方で、大曲で圧倒する。田所光之マルセルの大きな魅力の一つだと思う。
凄腕ピアニストによるベーゼンドルファーの調べで、聞き覚えあるくるみ割り人形の世界に浸るひととき。何と幸せなのだろうか。

今回のプログラムでは、チャイコフスキーを軸にロシアの偉大な作曲家達の系譜を辿る試みがなされていたが、その最後に原曲はチャイコフスキーでプレトニョフ編のこの曲を持ってくるのがまた心憎い。先日日本各地で公演を行い大評判を呼んだプレトニョフ。その生けるレジェンド、プレトニョフがロシアンミュージックの系譜の最先端に連なっていると、このプログラムによって再確認することができたのだから。

最終曲の「アンダンテ・マエストーゾ」は、バレエ音楽の美しさと可憐さの中にも、力強い推進力が満ちた曲だ。明日への希望を見せてくれると同時に、弾き手自身についてもまたエモーショナルに想起させる。マルセルさんのこれまでの歩みを、もちろん私はよくは知らないのだが、誠実にピアノに向かう姿と繰り出される音楽に、色んな感情を掻き立てられ、グッときたのだった。

🎹アンコール

拍手に応え、サクサクとアンコールを進めるマルセル氏(笑)。

♦︎チャイコフスキー18の小品op.72-4 性格的舞曲 速いテンポで一気に弾く。激しいリズムが、どんどん盛り上がっていく舞踊の輪を連想させる。土埃、汗、上気した顔。熱気湧き上がる中で踊り続ける民衆の興奮が伝わってきた。

♦︎トルストイ ワルツ しばし考えてから選んだ曲。「あの文豪トルストイがワルツを書いているのです。彼はチャイコフスキーと同時代の人でした」。シンプルで可愛らしいワルツ。まるで切れかけのオルゴールのような、どこか儚い印象だった。

♦︎エフゲニー・スヴェトラーノフ:12の前奏曲より第5曲


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演奏が終わり、再び現れたマルセルさんは「適当に弾いてますから、写真どうぞ」と撮影タイム。スヴェトラーノフ第7曲などを弾き、聴衆の皆さんは客席から自由に撮影。サービス精神溢れている! 

撮影タイム!


さらにその後はサイン会もあり、ファンが長い列を作った。地元の方ばかりかと思っていたら、他のピアノリサイタル同様に遠征らしき女性の姿が多く見られた。笑顔でサインをする姿に、ファンはますます増えたのではないだろうか。

マルセルさん、ありがとうございました!

笑顔でサインするマルセル氏

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