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歪でグロテスクな混沌の先に見えた宇宙 ー務川慧悟「プロコフィエフ・ピアノ協奏曲第2番」


早いもので5月ももう終わり。あーもう半年終わってしまうと卒倒しそうになるが、はっ! いやいや、気づけば私の推しである務川慧悟さんのコンサート週間が遂にやってきたではないか! と急にハッピーになる今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
というわけで3月以来のお久しぶりの務川さんご出演コンサートに行ってきたので、そのレポートです。〈お久しぶり〉とはいえ、まあ、ゆうて2ヶ月ぶりなわけで、これを〈お久しぶり〉と言っていいものかどうかは見解の分かれるところでしょう(笑)。しかし普段はパリに住んでいる務川慧悟さんが2、3ヶ月置きに帰国公演をし、ファンがその度に新鮮に喜んでしまうのはもう、これは仕方がない。いわば生理現象ですよ。狙っているわけではないでしょうが、これは戦略としてはなかなかのものだと思う(笑)。


🎵日本センチュリー交響楽団 第273回定期公演

■5月26日(金)19時開演
■シンフォニーホール(大阪)
■出口大地(指揮)務川慧悟(ピアノ)日本センチュリー交響楽団

ご帰国公演第一弾!


※毎度のことですが、推しに特化した記事なので、2曲目のピアノ協奏曲、しかも推しの演奏部分にしかほぼ触れませんので、ご了承ください。


🎹インタビュー

公演前、日本センチュリー交響楽団さんのツィートに務川さんと出口大地マエストロとのインタビュー動画が上がっていた。


指揮の出口大地さんは1989年生まれ、今回の舞台である大阪府のご出身で、務川さんとは4歳違いの同世代。今回が初顔合わせだそうだが、事前のインタビューでも気の合った様子がうかがえる。この後も一緒にスシローに行ったそうだ。何を召し上がったのかなー。

⭐︎内容を少し抜粋⭐︎

・出口さん「(務川さんの)噂はかねがね聞いていたが、生で聴くととんでもないですね。衝撃的な上手さと叙情性と、優しそうな顔なのに凶暴性も併せ持っていて、確固たる音楽が中にあって。僕もオーケストラメンバーもどんどん引っ張られ飲み込まれ、めちゃめちゃ楽しいです」
・務川さん「あ本当に? (出口マエストロは)プロコフィエフの独特な世界観をいい感じの語彙を使って伝えてくださるから、いい感じだよね」
・出口さん「いい感じだよね。キテレツな感じがね」
・務川さん「プロコフィエフが若い時に、野心むき出しで書いた曲だと思うのだが、悪魔的な雰囲気の宿る作品で、それを出したい」
・出口さん「野心作を野心を持って(笑)。務川さんは、個人的には名前も知っていたし共通の友人も多いし、会ったことはなかったが何か近い気がしていた」
・務川さん「最初の2人の打ち合わせからフレンドリーに接してくれて、僕もやりやすい」
・出口さん「波長が合う感じがする」
・務川さん「波長が合うね」いぇ〜い(ハイタッチ)

日本センチュリー交響楽団5/24Twitterより


曲はプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16」。
言わずと知れた難曲であり、務川さんが2021年エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門3位になった時にファイナルで演奏した、特別な曲でもある。



大阪シンフォニーホール、19時。舞台上の日本センチュリー交響楽団はもうすでにチューニングを終えた。
ドアが開き、ほぼ満席の会場から送られる拍手とともに、ピアニスト務川慧悟さん、続いて指揮者の出口大地さんが登場した。燕尾服姿も凛々しい。本日はオーケストラの皆さんも燕尾服。あ、出口マエストロはスーツであったが。
務川さん、お久しぶりです! ファンにしてみれば、2ヶ月ぶりとはいえテンションが上がる瞬間だ。務川さんは客席ににこやかにご挨拶の後着席。マエストロと目配せし、曲が始まった。木管と弦の短いパッセージの後、ピアノが入る。

第1楽章

畝るような左手アルペジオに乗って右手がメロディを奏でる。たっぷりとゆっくりと。不穏な気配が満ちてくる。個人的にいつもこの箇所では、これから繰り広げられる混沌の前の静けさ、穏やかな情景を感じていたのだが、この日の演奏からは全く違う印象を受けた。
務川さんのゆったりとした動きに合わせるようなテンポに、ちりばめられるルバート。聴きながらメロディの流れに身を任せようとするのだが、いつの間にかふっとズラされ一歩先へ着地する。あるいは触れようとするといきなりその形が変わるような感覚。まるで夜の海中に放り出され、蠢く波を虚しく掴もうとして掴めず、ただたゆたっているよう。この不安定で不穏な中にも何かが始まるのではないかという、ひそやかな緊張感が高まってくる。これから途轍もない世界が広がっていくのではないだろうか……。
曲は進み第2主題へ。ピアノの歯切れ良くリズミカルなアクセントが軽快に響く。正確に移行するスケールが、心の琴線を一つ一つかき鳴らしていく。照明の中で務川さんの左手が道標のようにサッと舞った。曲に合わせて身体を少し後ろに開いたり、あるいは脚を後方にずらしたり。またすぐに鍵盤に覆い被さる。
そして絶品のカデンツァ
鍵盤上を駆け巡る音の羅列は、スパークのように鋭い光を一瞬放ち去っていく。地から響く轟音が足元から立ち上り、会場全体を包み込むようにして空中に広がっていく。ペダルが大きな音を立て踏み込まれた。まるで闘いに挑んでいるような推し、いや彼は実際に戦っているのだ。カデンツァとはそういうものではないだろうか。ただ1人で戦い、広い会場を己の音のみで満たす。ソリストの生命を賭けた闘いの様子を、客席もオーケストラも見守るしかない。
激しく揺れ、飛翔し、混沌の世界へ分け入っていく務川さん。その音楽はナイフのように聴く者を刺し心をえぐり取る。しかし一番傷ついているのは彼本人なのだ。その悲哀が浅瀬に広がる海水となって会場を浸していく。
この曲は、明確にピアノがオーケストラを主導している。つまりこのカデンツァは曲全体の核であり、ここで提示されたグロテスクな混沌の世界こそがいわば悪魔の正体、ラスボスなのである。
エリザベートの時よりも、もっと逸脱していて、もっと凶悪だ。明らかにあの時と違う。
なんとおどろおどろしい世界なのだろうか。こちらまで身震いしてしまう。
恐ろしいカデンツァをオーケストラが引き取る。互いに絡み合いながらますます高まっていく大音量とグロテスクな和声。悪魔的な世界が会場を蹂躙していく。
ひとしきりの騒乱が収まった後、再びピアノによる第1主題が戻ってきて、曲は静かに終わった。
終わっても、今さっき聴かされた衝撃からなかなか立ち戻れない空気が流れていた。務川さんがふっと顔を上げ、マエストロと笑顔を交わす。その瞬間、ようやく会場の緊張も解けた。

第2楽章

スケルツォ、ヴィヴァーチェの三部形式。ピアノがリエゾンで無窮動に動きまくる。
プロコフィエフがこの曲を作曲したのは20歳前後。この楽章は、そんな天才でも若い頃はイライラしたのかしらと思わせる、性急な切迫感に溢れている。追い立てられるようなフレーズを務川さんは正確なタッチでぐんぐん弾いていく。スピード感に貫かれた展開は、ともすればピアニストが振り回されてしまう可能性もあると思うが、務川さんの切れ目のない確実なスケールが、トレースを描きながらこちらへ伝わってくる。出口マエストロやオーケストラとの息もぴったりで駆け抜けた!

第3楽章

間奏曲。アレグロ・モデラート。オーケストラの重厚な伴奏に乗せて、ピアノが短く歯切れの良いピアノのパッセージを展開し主導していく。途中のグリッサンドが美しい。その後ピアノにオーケストラが合流し、再び全合奏で頭を持ち上げたグロテスクの咆哮を轟かせた。 

第4楽章

息もつかせぬラッシュで第4楽章になだれ込む。再びピアノに凶悪性が戻り、悪魔的なスケールが上下する。火花が飛び散るような切磋琢磨。なりを潜めていた悪魔がいよいよ牙をむき出しにしてくる。襲いかかるオーケストラとピアノ。務川さんのピアノが鋭く決然とした音を響かせる。
そして中間部。一転して子守唄にも似た落ち着いた曲がピアノによって語られる。叙情性を抑えながらもルバートを取り、たっぷりと行間を読ませる務川さんのピアノ。先ほどまで嵐のように荒れ狂っていたピアノから流れる整然さは、哲学を語るような静かな説得力に満ちている。そして曲はラストへ。
最後の小カデンツァ。短い和音が次々に現れ消えて行く。まるで言葉と理(ことわり)が泡のように生じ浮かんでは大気に溶けて行くようだ。その言葉は次第に大きくなり、絶対的な力となって彼方へ、宇宙の果てまで飛んで行く。宇宙の果てから届いてくるアルペジオ、それはやはりがモティーフとなっているのではないか。悪魔を制する聖なる鐘の音。激しく高らかに鳴るピアノの音は、今回は澄み切っていて前へと推進して行く。
最後の瞑想のような静かな時間まで来ると、もうすぐ曲が終わってしまうという悲しみが湧いて来る。まあ聴いている方はそうだが、もちろん弾く方はまだまだ気が抜けないでしょうね。
案の定再び沸き起こる狂乱の騒ぎ。プロコフィエフが、安心していた聴衆の驚く顔を見回して「してやったり」とほくそ笑んでいそうだが、ラストはピアノの煌めく超絶技巧と怒涛のグリッサンドによって収束された。
フィニッシュ!

拍手が沸き起こる。スタンディングオベーションも! 
務川さんの顔には汗が光り、立ち上がるとすぐに出口マエストロとハグを交わす。「波長が合っている」と口を揃えた同世代の音楽家2人がタッグを組み、オーケストラと到達したプロコフィエフ第2番の世界。舞台上の演奏家の皆さんの表情は達成感に満ちていた。
しかし私達はなんという世界観を見せられ聴かされたのだろうか。
粗暴でグロテスクな悪魔的世界が、あのように整理され宇宙の法則に到るまでに知的な印象に変わって行く。まさに一編の映画、いや長い歴史の盛衰を見せられたようなボリュームと壮大さだった。終わって務川さんのホッとしたような笑顔を見ても、まだ震えは止まらない。
エリザベート国際コンクールファイナルの曲。ファンにとっても思い出深いこの曲だが、務川さんの今回の演奏からはそんな追憶のような香りは一切感じなかった。
それよりもむしろ務川慧悟の新たな1ページが開けたような気がした。エリザベート入賞後に増えた国内外の公演、CD発売など、務川さんのめまぐるしい2年間を思う。一見華やかに見えるコンサートピアニストのベースには、徹底した譜読みとたゆまぬ鍛錬、様々な経験があることを観客も知っている。
1ヶ月半前の4月9日に彼は誕生日を迎え30歳になった。若手というにはもう十分すぎるほどのキャリアを積んでいる務川さんだが、やはり一つの区切りとしての感慨もあったのかもしれない。
ふたたび出口マエストロとハグをする務川さん。これからの音楽界を背負って行くだろう、もうその戸口に立っている2人。今回のコンマスの松浦奈々さんも同世代とか。時代は動いている。

迫力のステージでした!


アンコール ラヴェル:組曲「鏡」より第2曲「悲しい鳥たち」

虚空に放たれるBーBの2音。次に羽ばたき。ポツンポツンと置かれる同音連打と、さえずりのような軽やかな音型。自由でいたいのに自由になりきれない。声を揃えたいのに揃えられない。悲しみ、諍い。プロコ2の後に聴くと、それはやはりどこか歪で、ある種のグロテスクな感触を持って聴こえてくる。不穏で不確定で歪な世界観の継承
ここでこの曲をアンコールに選ぶとは!
アンコールまでがっつり世界観が引き継がれるところからも、務川さんの今回のプログラムへの思いが伝わって来るようだ。
個人的には特に、同音連打の技術に驚嘆した。1音目とハーフタッチの2音目、ppの1音目からさらに落とした2音目。一体何段階のタッチを持っているのだろうか。しかもどんなに細やかな音も確実に届いて来る。プロの凄さを目の当たりにし、ひときわ感動した。





5月26日から開催の「初夏の務川まつり」の初日は終了。ここで再び務川さんの祭り日程を書いておきたい(笑)。
SNS等で情報が入れば日程は随時更新しますので、皆さん、約2週間の祭期間を楽しみましょうね。

・5月26日(金)19時日本センチュリー交響楽団 第273回定期公演
・5月28日(日)14時 (鑑賞)フランク・ブラレイ ピアノリサイタル
・6月3日(土)15時  横山幸雄&務川慧悟 デュオ・リサイタル
・6月4日(日)15時 ピアノ・リサイタル
・6月9日(金)19時 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第361回定期演奏会

会場に飾られていた花





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