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貴重な務川先生の講義をメモしてみた・・・


2023年8月28日(月)29日(火)クローズドコンサート。特に前半は務川さんが「フランスの古典派を知って欲しい」という思いを込めて選曲した、あまり耳馴染みない曲ばかり。しかも曲の背景説明に多くの時間を割いたことから、前半はトーク付き演奏というよりも、務川先生の特別授業が行われたと言っても過言ではなかったと思います。マイクを握り、時々手にしたメモに目を配りながら熱心に聴衆に講義してくださったことで、見知らぬ曲ばかりでしたがより親しみを持って演奏を楽しむことができました。
ということで例のごとく、私の汚メモを元に書き起こしてみましたので、ご一読くださると嬉しいです。
注意なのですが、①2日間の内容を1本にまとめています。②語彙はその通りでないです。何よりも私の知識不足、聞き間違いや勘違い、書き間違いなど恐らく多々ありますので、ご了承の上お読みください。また訂正、修正、追加等ありましたらどんどん教えていただけると幸いです。すぐに編集いたしますので。

※フォーレ:ノクターン第7番は第9番ロ短調 Op.97に訂正


(1曲目バルバストル:ロマンス ハ長調を演奏)

今日は半分授業です。(会場笑)
前半に僕が演奏する曲をご存知の方はあまりいないのではないでしょうか。
僕は現在パリ音楽院の古楽器科で学んでいます。古楽器科はチェンバロ科とフォルテピアノ科に分かれていて僕はフォルテピアノ科に所属しています。コロナもあったので全てではないですがもう5年間そこで勉強してきました。扱う曲はチェンバロ科はバロックのもの。フォルテピアノ科は、古典以降ロマン派初期までの中から大体選びますが、主にハイドンやモーツァルト、ショパンなどを弾くことが多いです。フランスの古典派の曲はフランスにいても触れることが少ないのです。
フランスではバロック時代はラモーなどのフレンチバロックが栄えていましたし、ロマン派以降はショパンがパリで活躍し、フォーレやフランク、そして印象派のドビュッシー、ラヴェルなどが活躍するなどずっと栄えている印象です。しかし古典からロマン派初期までの時代はごっそり抜けてしまっているのです。後世に名の残る作品があまりない。この時代の鍵盤音楽は、なぜ栄えなかったのでしょうか。

今年の6月に僕は授業の中で、フランス語によるプレゼンをしました。しないと単位をもらえないので仕方なかったのですが(笑)。その時取り上げたのが「なぜフランスの古典音楽は栄えなかったか、後世まで残らなかったか」というテーマです。その考察した内容を元に今日お話しさせていただきます。演奏するのはあまり知られていない曲が多いし、僕自身も全部人前で弾くのは初の曲ばかりです。興味の一環としてお聞きくださると嬉しいです。

1曲目に聴いていただいたバルバストルの「ロマンス」が作られたのは1766年頃。フランスではフォルテピアノはまだほとんど普及していませんでしたが、鍵盤音楽がなかったわけではありません。オルガンやチェンバロなどで、古典作品がいくつも作られていました。
では、それらの作品はなぜ後世まで残らなかったのか。僕が考えた3つの理由をこれからお話ししたいと思います。

1つ目の理由はフランス革命です。フランス革命は1789年、僕は歴史は苦手なんですが、これだけは覚えました。フランスに長くいると嫌でも聞く機会が多いし、789で覚えやすいんですよね。それが1794年、あるいは1799年と言う説もありますが、終わりました。時代的にはロマン派真っ只中ですね。この頃のフランスは世間に不安感が蔓延していたので、音楽に割かれるエネルギーが相対的に少なくなっていました。その中で当時求められたのは、吹奏楽や合唱を利用した民衆参加型の音楽です。屋外に長大なオーケストラがいる、長大な規模の音楽の需要が求められていたのです。そこで演奏されたのはエネルギーが大きな曲。現在のフランス国歌のラ・マルセイエーズのような曲が年に数十曲も作られていました。そんな時代だから、鍵盤音楽もあるにはあったけれど、そういう小さな音楽は求められなかったのです。

2つ目の理由はフォルテピアノの進化がウィーンやロンドン、他国より少し遅れたということです。ベートーヴェンはフォルテピアノと出会った後半生からは、フォルテピアノを意識した作曲が増えました。
フォルテピアノの歴史というと、よく名前が挙がる考案者のクリストフォリは1700年初頭にはもうフォルテピアノのアイディアを持ち、開発を進めていました。1711年ヴェネチアの雑誌に、そのメカニズムが掲載されました。1715年にはドイツにも紹介されたようです。
あのJ.S.バッハも亡くなる前に2回フォルテピアノを弾く機会があったそうです。1回目の感触はあまり満足できなかったが、2回目は良かったようです。ウィーン式ピアノという言葉をよく耳にすることがありますが、その後フォルテピアノはウィーンで栄えました。
フランスはというと1777年にエラールが初めてフォルテピアノを製作しました。しかしフランス革命が起こったため、エラールはロンドンに逃亡しそこで工房を作り、フランス革命が終わって帰国した後に、ようやくパリで工房を作りました。

モーツァルトが誕生したのは1756年です。フォルテピアノはまだ無く、幼少期はずっとチェンバロを弾いていました。1777年モーツァルトが20歳の時、ウィーンのシュタインの工房を訪れ、初めてフォルテピアノに出会います。しかしその時は高価すぎて買うことができず、5年後にようやくヴァルターを買いました。それ以降の彼の作風はピアノを前提としたものに変わりました。それまではチェンバロを念頭にした作風だったのです。
次に演奏するルイ・アダム の「鍵盤ソナタ」ハ長調の「鍵盤」とはチェンバロのことです。すごい名作と言いがたい作品というか、3楽章の作品なのですが、どうしても3楽章弾く気分になれなかったので、1楽章だけ弾きます(笑)。
ルイ=アダムはモーツァルトとほぼ同じ歳で、この曲は1784年革命の5年前に作られました。このころモーツァルトが作曲したのはピアノソナタ第13番。

(ここで冒頭部分をサラッと演奏)

僕も好きなソナタの一つですが、この曲は、完全にピアノを意識して作曲されています。その後のピアニスティックな技法を予兆させる曲です。
それに対してアダムの「鍵盤ソナタ」はチェンバロを意識した曲。シンプルで弾きやすい。実はこの曲は僕の先生も知りませんでした。僕も音源を随分と探しましたが、皆さんも音源探すのが大変だったのではないでしょうか。日本で今年この曲を演奏するのは、恐らく僕1人だと思います(笑)。

(ルイ・アダム:鍵盤ソナタとジャダンを演奏)

務川先生(※Ecの時の写真)


3曲目のヤサント・ジャダンはソナタを書いています。前半最後に演奏するモンジュルーもそうですが、彼はフォルテピアノを弾いていると、時々名前が上がってくる作曲家です。1776年に生まれ、1800年に24歳でなくなりました。この曲は20歳の時の作品で、当時のフランスの美学が感じられる興味深い作品です。フランス的センスがだんだん出てくるようになってきたと感じます。

「なぜフランスの古典派音楽が後世まで残らなかったか」。3つ目の理由は、古典派の時代におけるソナタ形式の流行です。ソナタ形式は構造の音楽です。これは僕なりの見解なのですが、それに対しフランスは一瞬の美学と言いますか、美しい和声やメロディをより重視して音楽を作っている。これはフレンチバロックの頃からロマン派に至るまで、ずっとそうです。美しい一瞬の美しい響き、構成よりも和声、全体よりももう少し細部を見たい。そういう彼らの美学が、ソナタの流行と合っていなかった。だからいわゆる名作と呼ばれるソナタが生まれなかったのだと思われます。

ヤサント・ジャダンのピアノソナタと同時代にベートーヴェンがピアノソナタ第1番を書いています。僕が最初に習ったベートーヴェンのピアノソナタでもあります。

(ベートーヴェン:ピアノソナタ第1番第1楽章冒頭を弾く)

この曲の冒頭2段の中には1度か5度の和声しか出てこない、トニックかドミナントなんですね。とても単純で、簡単に和声分析できてしまう。しかし和声的には全然凝っていないのに、構造によってこれだけの素晴らしい作品ができるのです。

(ジャダンのソナタ冒頭を弾きながら)

それに対しジャダンのこの曲は例えばこの冒頭部分などは専門的に言うと偽終始、つまり第5音から1に戻ると思わせて6で終わっています。サプライズですね。こういう凝った作りがあちこちに出てきます。音と音との関連性よりも、和声の美しさを重視する、フランス人らしい個性が表れた作品だと思います。ベートーヴェンにはない和声なども出てきます。粋ですね。

(ヤサント・ジャダン:ピアノソナタニ長調を演奏)

モンジュルー「ピアノソナタ嬰へ短調」は1811年、モンジュルー47歳の時の作品です。彼女はピアニストでヴィルトゥオーサで、パリ音楽院で教鞭もとっていました。高給取りだったようです(笑)。
同時代にベートーヴェンは告別ソナタ(ピアノソナタ第26番)を書いています。告別ソナタも和声分析という点から見ると、僕のように専門教育を受けている人間には簡単にできてしまうが、それでも傑作と言える作品です。
モンジュルーの作品はいたるところにピアニスティックな工夫が施されていて、とても複雑です。嬰へ短調、シャープがいくつ付いているんでしょうね(笑)。この時代に嬰へ短調のソナタを書くというのは珍しいし、意気込みを感じます。この作品が20年後にパリロマン派へと結びついて行った、そういう橋渡し的な存在だと思います。

(モンジュルー:ピアノソナタ嬰へ短調を演奏)


マホガニーのスタインウェイ


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「今回のようなコンサートを、ずっとしてみたいと思ってきました。でもきっとサントリーホールではできないでしょうね」と笑う務川先生。当初はクローズドということで、note記事にするのは戸惑いましたが、務川さん自身が「フランス古典をより知って欲しいから是非SNSで発信してください」と仰ったので、記事にしてみました。
これからも務川先生の講義付きのリサイタル、是非お願いしたいです。

☆クローズドコンサートの感想と後半プログラムについての記事もよろしければお読みください。

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