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怒涛の日々だった。取り留めのない日々。

日をあけて書くと、この思い出記録の場所には、さて何を書こうと一瞬考えてしまうが、さらっと。

二月は認知と類天疱瘡という難病の母が、白内障の治療と類天疱瘡による目の癒着などの手術のため、長期実家に滞在。雪も降るほどの寒さも、意外とあっという間に慣れてしまった。
もともと春の浮かれたあの感じが子供の頃から嫌いで、雪や雨が悲しみや汚いことを埋めてくれるような気持ちにさせてくれたり、あのキーンとした空気がとても気持ちに心地いいので、栃木の空気は気持ちよく、老夫婦が住むところをとにかく徹底的にキレイにという使命を持って行っていたので、手がちょちょぎれようが(あとでピアノには影響あるが)身体も自分の家にいるより元気になった。人のためにガンガン動くことは、やはり人間をしっかりさせるようだ。

もともと転勤族の娘だったので栃木が故郷というわけでもないのだけれど、人生であちこち住めたのは、嬉しいものだった。幼馴染や友達と言うものは、ピアノもやっていたからなかったし、私の思う友達と言うのは死ぬまでに一人でもできるのだろうか?という環境だ。

東京生まれで10ヶ所くらい棲家を移し、神奈川にいるわけだけれど、幼稚園の時も神奈川に住んでいたとはいえ、よく知らない街でもある。
出来れば、私の親友(親友らしき人は皆さん、もう他界されました)のような中の一人が大好きだった白川郷のあたりに住みたかったな。

話がそれたが、結論から言うと、本当に認知の人の目の治療はとても大変だった…。
なにせ、言った側から忘れるのだ。
母「これなんて言うの?」
私「プルーンというのよ」にっこり。
そして、数秒後「これ美味しいわ!なんていう食べ物?」
「プルーンというのよ、美味しいでしょ?」にっこり。
これを食べ終わるまで、続けられてしまうのだ。なので途中で違う話をだす。

認知の人には笑顔は大切である。
私が一昨年長いこといた時には、私を高校の同級生と間違えて話していたりしたけれど、その頃は私も真面目で「私は娘よ?」というと、「え?お聞きしますが、何年生まれですか?」と聞かれたので「云々年よ」と言ったら、急に席を立ち、キッチンの方へ向かい「私頭おかしくなったのかしら」と、娘からすると胸が痛くなるような姿を見て、反省したのでした。

白内障の手術と目と瞼の癒着の切開をして、もちろん大変だけれど
「なんでこんなことされなくちゃいけないのかしら💢人の体だと思って💢」云々。

あーあー、とにかく一時間以上、その眼帯も外しちゃいけないのに、外そうとしたり、色々するので
「お母さんは目の手術をしたのよ」というと「え?」というので「鏡見てみて」にっこりして連れていく。
そうするとじっと顔を見て、「あら、…」だから今日はそっとしないといけないの。
どうも納得したようだが、5分もすると忘れている…。

人間は想像力があるし、子供の頃、学校で、お年寄りになるとどんなに大変かとクラスの代表がでて、先生が生徒の背中に重いものを乗せ、手袋をはめさせ特殊な靴を履かせ、腰にも何かを巻いて、
では、それでお財布からお金を払ってみよう!と疑似体験をして、年寄りがどんだけ大変かというのを身をもって体験させるわけだけれど、やはり介護を直接見るのは、もちろん個人差があるのだから、全くのゼロの感覚である。
わずかな一週間だったが、とにかく5キロも痩せたくらい、多分疲れ切っていた。しかし、昭和の男の父があれほどジョークを交え、忍耐強くなったなとは思ったが、私がいるとやはり怒りたくもなるらしく、母に言うこともあったので、まあまあと、私が入ったのだ。
ま、とにかく、介護というのは大変だけれど、二十年くらい前に大学卒業と共に父親の介護を13年した若い女の子がいて、彼女は医者に、あなたたちは、関わりすぎだと言われたことに、家族と一緒にいたいのがどうしてそう言われないといけないのか、もちろんぶつかることもあったけど、愛情もってしたことだから父もわかってくれてるはずなどなど、とにかく説得力のある事をブログに書いていた。
彼女は、若いのにしっかりした人で、物も最小限、そしてとても丁寧な生活をしていた。賢いのだ。彼女には、年上の私は学んだことも多かった。
地方の素敵な大きな家にお住まいだったが、その知的さはイギリス留学がもたらしたのか、あのお父様お母様の教育なのか、あの女学校なのかなどと考えることこそくだらないほどだ。

後に、彼女は結婚して子供がすぐ生まれたけれど何してるのだろう。


とにかく両目が見えるようになり今では母は明るさも取り戻した。この二年間難病のせいとステロイド治療で、かかなり体が辛かったのだろう。
しかしステロイドは続けないといけないらしい。あんなに料理ができて、家事においては抜かりない人で、裏千家の先生でもあり書道の先生でもあり、料理も近茶流の先生が褒めるほど上手く、なんでもできた人が認知…。

まだ原因がわかっていないのだから、難しいけれど私はならないようにと日々願っているというと大袈裟か。
いつ一人になるかもわからない。

やりたい事をやって過ごしたい。

アイリッシュコーヒー

コーヒーが苦手な私でも、しかもお酒も、実家からの散歩で、友達にSHOZO Cafeというところの詰め合わせを送ってあげようと、お茶している暇はなかったのだけれど10分だけと。

美味しいのですよね、このアイリッシュコーヒー。
ただ人気が出てきたからからいつもカフェは混んでいて、またまできたばかりの頃は、客も平日は少なく、夕方5時までだけれど四時くらいに行って本を読むという一人の時間を作っていた時は、貸切のように一人だったのだけれど😅

やはり本は静かなところで読みたい物ですよね。


トラベラーズノートパスポートサイズは出かける時に持って行きますが、最近はスケジュールがとにかくごちゃごちゃなので、春文館のダイアリーがトラベラーズノートにも挟めるので、これにしました。自分自身の体調や歯も含めて。もちろん親族が旅立つことも最近多いので、とにかくパッと見られてわかりやすいものとして。

ある程度の分量も書かないとですしね。足りない分は、トラベラーズノートに。

パレスチナ問題は30年くらい前くらいの時に友人たちと語り合ったりしていたことが懐かしいほど遠ざかっていましたが、ジュネのシャティーラを読んで、そこからジュネシリーズ読破、そしてシオニズムの研究などなど。頭がクラクラするくらい。
もうなぜか再販されない重要な書籍は図書館で借りて。

昔の本

最近は川口市で自警団ができたらしく、女子中学生の事件の前からもいろいろあったのでしょうが、選挙できちんと考えて行動しないとと改めて思いました。

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