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母と子の写真、動画屋さんはじめます。

『六花堂想奏』(りっかどうそうそう)という名の写真屋さん&動画屋さんをはじめます。私がずっと構想していたことを2022年はガッツリ現実にやっていきたいと思います。

主に、母子の物語を、写真で、動画で残してく。
ひとりの女性として、母としての写真と、母と子の写真と、母から子へのメッセージ動画と。そういうのを撮っていく仕事、はじめていきたいと思います。

沖縄旅行中親子(iPhoneにて)
お仕事用プロフィールフォト

私の母が亡くなった時に、こんなに母の写真がないもんなんだなぁと気がついて。私と母との写真も、全然ない。遡ると、私の結婚式の時の写真が最後の2ショット写真だった。母の遺影も、私の結婚式の時の写真。母が亡くなった時からだと4年も前の写真だった。

式場のカメラマンさんが「絶対、母と娘で撮っといた方がいいですよ」と言ってくれて、撮ってもらった予定外の舞台裏での写真。その写真が私と母の最後の2ショット写真になった。

もうどっちも誰やねん状態の写真。

母の遺影を私の結婚式の時の写真を使うとなった時、父は「なんか普段の和枝(母)とは雰囲気が違うからなぁ」と少し納得がいっていなかった。でももう一枚の候補写真はほぼすっぴんで家着姿、、、「いや、でもこっちを遺影にしたら絶対おかー怒ると思うよ、、、」亡くなる前の入院中、白髪であることを気にして、人に会わないような母だった。「そうだな。。。」探す時間もあまり残されていない状況ではベターな選択だったと思う。

そして、母の遺品を整理している時に、母の財布から、ティッシュに包まれた2枚の写真が出てきた。一枚は超貴重な「家族写真」。沖縄にも帰らず、成人式にも参加しないという私を必死で説得し、父が休みの日に合わせて写真館で撮った私が20歳の時の写真。その時のセレクト用の見本写真の一部を切り取ったもの。
二枚目は、いくつの時だろう?父の乗っていた船で東京に行った際の船内での母と子の2ショット写真。この二枚が、亡くなった母の財布から包まれて出てきた。

母の財布から出てきたもの
いつの写真かもわからない
私の成人写真のサンプル用写真をカットしたもの

ホント、愚かだよなぁ。
私は沖縄に帰った時、おばあちゃんと舜明、おじいちゃんと舜明の写真はバシャバシャ撮ってた。
曾孫だ〜すごいーと。
母が私に「何で私と舜明は撮らないの?」と聞いてきたことがあった。「えー?」としか答えない自分がいた。もうその質問もめんどくさく感じていた。
私にとって「お母さん」はそれくらい「あたりまえ」の存在だった。94歳のおじいと曾孫の写真はもしかしたら撮る機会は次はないかもしれないが、母は「あたりまえ」だった。私のおじいが亡くなった1ヶ月もたたずに、母も死ぬことになるなんて。誰が想像ついただろうか。門中のお墓の番人さんでさえ驚いていた。

舜明と母の写真。うしろ姿。

あたりまえすぎて、甘えすぎて、本当に舜明と母の写真が全くといっていいほどない。まともな母の写真さえない。唯一の救いは舜明が0歳の頃のすごく短いムービーがあった。母の声を聞くことができる唯一の動画。あやして、かわいいね〜というだけの動画。姿は映っていないけれど、声が入っている。声というの写真以上にかなり貴重なのだと強く感じた。

最近、母親を亡くしたこどもたちと話す機会があって。私が小中高校の講演会などで母の死の話をすると後から「僕もお母さん亡くなったよ。小2の時に」とか「私も父を亡くしました。中2の時に」と話をしてくれる子がいる。と同時に「この子たちはどうなるんだろう」「成長見たかったなぁ」と言いながら亡くなっていくお母さんサイドの話も聞くことがあるし、自分だったら、、と思うとその苦しさもわかる。どちらもとてもツラい。このスピリチュアル面の緩和ケアと残された子たちへのグリーフケアをどっちもできるのではないかなと、動画を残すサービスをはじめていこうと思っている。よくある遺言的なものではなくて、9歳になった〇〇へ、15歳になった〇〇へ、とかを10分ずつぐらいで20歳までの動画を準備できたら。またちょっと手紙とも違い、より愛されていたことが伝わるのではないかなぁと思ったり。お母さんも伝えたいことがきっといっぱいあって、それを伝えることができるのかなぁと思ったり。ちょっと変わったカタチだけど、ACPかな、とも思っていて。

私はたくさんお母さんから聞きたいことあったけど、結局バタバタしてて何にも聞けなかったから。母は話したがっていたけど、受け止めることが当時はできないでいたから。
そういうのがあってもいいのかな。と思ったりしています。

たくさんたくさん、後悔していることがある。だから、やりたいことがある。私が看護師になった理由、私が写真を撮る理由、どちらも現場バリバリのプロフェッショナルとは遠いものかもしれないけれど、私がしかできない仕事もきっとあって、それがみんなのHAPPYにつながるお仕事であるといいなと思っています。
2021ももうすぐ終わって、また新たな年がくる。一歩一歩、こちらもしっかりカタチにしていけるといいな。


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