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Aemilia.Arsとわたしたち

 イタリア、ボローニャにあるAemilia.Arsというレースの教室に通い始めた年だった。ヴェネツィアのサンマルコ寺院裏の趣あるレース店で、初老の店主とレース談義をしたことがある。習うレースの名を問われAemilia.Arsと答えると、10代からレース店で働きレースには詳しい店主であるにもかかわらず、それは知らない名だ、どこのレースだと再び訊かれた。  誰もが知るヴェネツィアレース以外にも、数多くのレースや刺繍技術がイタリア各地に存在し、それらはいまも限られた小さな地域でひ

    • 天才の終い道

       長年ザルツブルク音楽祭の顔であり続けたマウリツィオ・ポリーニの公演が、奏者の心臓発作のため当日急遽とりやめになったのは、昨夏のことだった。常人の想像の範疇を超える鋭い感性の持ち主が、神経の緊張を緩めるのには、紫煙をくゆらす間が不可欠だったのだろう。日本人ファンがポリーニの自宅を探し訪ねた際に、日本たばこ1カートンを手土産にしたという逸話があるほど、ポリーニの愛煙家ぶりは有名だった。  長年に及ぶ喫煙習慣が災いし近年は呼吸器系トラブルを抱えていたのか、気障りな息継ぎが

      • A Bird Without Wings 翼のない鳥

          As I sit here by the fireside   I'm turning back the years    I can hear my mother singing in the morning  ソングライター、フィル・コールターの『Gold & Silver Days』には、おそらく万人の幸せの根幹が綴られているのではないだろうか。 『ダニーボーイ』という歌がある。アイルランドに伝わる『ロンドンデリ-の歌』という古い旋律に詞がつけられ、

        • 糸とともに生きることって

          月曜の夕方だった。沖縄からやってきた友人と私はまだAemilia Arsの図案と格闘していた。疲れてステッチも間違ってばかりだから、そろそろ今日の分は締めようかと話していた頃、ボローニャの教室仲間のグループメッセージの着信がドキリとするほど続いた。    明日の教室はあるのですか?    えっ!あるの?それって舟で行くということ?  飛び交う会話の全容がよく理解できない。フィレンツェからボローニャに「舟で行く」とはどういうことなのだろう。しばらくして「明日の天候は異常

        Aemilia.Arsとわたしたち

          わたしには自分の頬を愛撫する手がない

          「輪舞」と呼ぶ図案へのステッチを4度も試みてしまった。これだけ同じ図案を刺したのは久しぶり、終えた直後の徒労感というか性根尽きたというか、手筋が強ばりアイロンが上手くつかめなかった。  図案を読むというのだろうか、ステッチを始める前に何度も糸の動線を目でシュミレーションする。  陽光のなかで19枚の葉が踊っている。葉っぱがおしゃべりする声も聞えた。あぁ、なんて楽しげなんだろう。ところがいざ刺し始めると、もう一向に葉が動いてくれない。シュミレーション通りにフォルムが描けない。

          わたしには自分の頬を愛撫する手がない

          多難の図案

           枠に張った布にレ-スを綴じつける作業が終わった。アイロンかけをすれば仕上がる。わからないことばかりのレ-スだった。間違えた箇所の課題を消化するため再度、いや再々度この図案に挑戦するつもりでいる。 次こそcomplimento(完璧)のひと言がもらえるのだろうか。  3年前の帰国前日、最後のレッスンで二分割した図案を作業の後半で繋ぐ手順を説明された。そして帰国。翌日には夫の手術についての説明を受ける病院の予約が入っていた。時差ぼけを意識する間も荷を片付ける間もない、息のつま

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          蓮糸のジャケット

           藕糸布でジャケットを誂えた。藕糸布とは、蓮の繊維を撚り合わせた糸で織られた布だ。蓮茎を数本束ね周囲にさっと刃をひと回してくるりと左右に引くと、白い数本の繊維が引かれ出る。その生まれたばかりの繊維を、わずかに湿らせた作業台の上ですっと撚ると、糸になる。1度の作業で績む糸の長さは数十センチほどで、熟練した者が1日かけても出来る糸の量はわずか15gほどだそうだ。  この蓮の繊維から紡がれる糸との最初の出会いは幼児期にある。本を読むというより絵本にある絵を眺めるのが好きな子ども

          蓮糸のジャケット

          遊牧の民

           Traibeを主宰する榊龍昭さんの、30年に及ぶ年月に収集したものが展示された『遊牧民の用と美・西アジアのトライバルラグと染織品』に出かけた。  部族の絨毯をトライバルラグという。様々な部族が重なるように存在する西アジア、中央アジアといわれる地域のトライバルラグを、長年かけ現地で調達してきたのが、榊さんだ。  トルクメニスタン、ウズベキスタン、コヒスタン。スタンという言葉は「国」を表すペルシャ語だといわれるが、もともとは何々が多い、という意味を表わしている。トルクメン人

          遊牧の民

          夫のなかの式子内親王

           昨年11月10日に夫の気管切開の部分は完全に塞がった。自発呼吸のみで血中酸素値も安定してしている。しかしここまでくる、その道のりは長かった。まだICUにいるとき、医師から唐突に気管切開を申し出られ、そうした処置が今後どのような展開をするのか、私には持ち合わせる知識が皆無だったのに加え、あとでそれは塞ぐことができます、という医師の説明で、夫が少しでも楽になればと躊躇なく同意書に記名した。しかし短期に簡単に塞ぐことなど出来ないことを、以後目の当たりにすることになった。  気管

          夫のなかの式子内親王

          針しごと

           いつの頃からか手にした針をつかみ損ね、ポロリと落としてしまうことが頓に増えた。指先が効かなくなったのよね、友達に歳のせいかしらこぼせば、まだ細かな仕事ができているのにまさか、と一笑されるが、脳からの指令と動きのタイミングにけっこうなズレが起きている。  先日も針から糸を抜き去ろうとした瞬間、膝あたりに針を転げ落とした。そろりと立ち上がり、着衣や敷物のどこかに銀色の細い光があるかと必死で探す。たいした空間でないから、たいがいはすぐに見つかるのに、今回は4、50分汗ばむ勢いで

          針しごと

          暖かな気分

          ベルギーレース教室に通っていたころの友人から、自宅で採れた八朔が送られてきた。 今年は豊作なのよ、食べてくれる? さぁ、この見事な収穫物で何をつくろうかしらと思いめぐらしながら、彼女のどこか遠慮がちなもの言いを懐かしんだ。電話で言葉を交わすが、図案を手に少しでもステッチの見栄えがよくなる術を、ああもこうも顔をつきあわせて云々した今はない時間が、限りなく愛おしく思い出される。 これはそんなに重くないから、と荷物を私に手渡しながら配達人がつぶやくような小声にいった。思わず彼

          暖かな気分

          蝋燭とレースに紡がれて

          ベルギーレ-スの教室で出会ったといえ、広島に住む彼女と関東の私が頻繁に交信し合えているのは、ほぼ彼女の懐深さに依っている。  最近彼女はクロッシェレ-スのドイリーを編み始め、目を見張る早さでいくつも仕上げている。かぎ針の編み図を解く自信など完全に失せている私は、ただただ彼女の作品が出来上がるごとに、「素敵!綺麗!」を繰り返しすばかりだ。  諸事情から延びにのびた自宅の改修工事が数日前に終わった。新しく設えた空間のひとつに、彼女お手製のドイリーがあれば、と思えて仕方がない

          蝋燭とレースに紡がれて