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#6 本裕的エスプレット


雨が黒板を濡らし始めた。
白いチョークで描かれた丸く可愛らしい文字は、読みづらくて何を伝えたいのか、理解まで時間がかかった。


本裕的エスプレット。


これは、「本格的エスプレッソ」と書いているつもりだろうか。
本格的なエスプレッソって。

もはや何か、わからないけど。

イタリア現地のエスプレッソを知ってるのだろうか。
エスプレッソはエスプレッソ。深煎りのコーヒー豆を細挽きか出来れば極細挽きでグラインド。圧力をかけ熱湯と共に瞬間的に抽出する。
クレマ・ボディ・ハートに分かれる層が美しく、味にも比例する。その瞬間を楽しむには、10秒以内に飲むのが本格派のバリスタが作るエスプレッソだ。

私の頭の中で無駄な知識パレードが開催されるのはよくあることだ。

そういえば、bar YORIDOKOROで飲むエスプレッソ・マティーニは格別だ。
「エスプレッソ好きならこれだな。世界でも10位以内には毎年入る定番カクテルだよ。」と、内川さんが言っていた。
内川さんは普通はウォッカベースで作るところを、私の好きなハバナ・クラブというラムで作ってくれる。熟成による甘みと深みがエスプレッソと共鳴する。

そうだな、書くなら

「本格派バリスタがいる店」


これだけで期待感は増し増しかな。カフェラテやカプチーノも美しくカップに描いてくれそうだ。流行りの「映えー」で「栄えー」。

客足は絶対に増える。実際に、本格派であれば、リピーターが増えるだろう。

そんなことを考えていたが、実際、私が働いているのは向かいのお店。


「フラワー長井」。




花。私の、大好きな、花。

時季はそれぞれに、互いの咲くべき瞬間に咲こうと生きている植物。
元々は人間よりも早くこの世に存在した植物。世話など要らない。人間は余計に手をかけ、環境を変え、薬を使う。

花は、自らが咲くべき時に咲く。
咲くべき、時に。


それは古来から、人間に例えられる。

ヒトが、花を初めて発見したその時の気持ちになってみれば、必然的。ヒトは花から生まれたのかもしれない。


事業に成功!夢を遂につかむ!花が開きました!

と、ある一種の宗教かと思わせる広告はもう見飽きた。

咲くべき時に咲くことが出来ない人がたくさんいる。
花には種が必要だけど、種は命。人間には大概ある。萌芽までは、ほとんどの人が生長できる。それが家族だったり、学校のおかげだったり様々だけど。
養分を得る為には根を張る必要がある。光合成には、絶対に「太陽」。雨だって必要不可欠だ。一人でに、花は咲けない。


人間の多くはそれを分かっているようで分かっていない。


人間よりも先輩なんだから、ちゃんと植物に学ばなければいけないのに、そこらで踏んだり、切ったり、乾かしたり。だから本当の開花をほとんどの人は知らない。


花が美しく咲いたとき。
そこに、その瞬間に意味がある。
あとは、土に帰るだけだ。



といっても、商売は商売なので。私も生きるため。毎日世話をし、お金をもらうのが私の役目。

「本格派・花ソムリエのいる店!なんてどう?」

電話でこずえに聞いてみた。


「花ソムリエ!いいじゃーん!ナントカ大陸とか特集されそう!」

明るい声が絶対返ってくる。こずえは本当に羨ましそうに言う。

この子も音楽の世界という壁に挑み続けているのに、まだ露を蓄えた蕾かも、だけど努力は必ず報われる。そこに根があって、太陽が照らしてくれる。

こずえは本当に友人として私を愛してくれている。この子が放つ純白で黄色く明るいオーラは、いつも悩みがちな私をいつも照らしてくれる。


出会って、8年が経つ。気持ちが微妙に変わりはじめたのは5年ほど前か。

今も、まだ、これからもきっと、ずっと。
伝えきれない、この気持ちは、あまりにも

不平等だと思った。花弁というのは、ほとんどが平等に揃って咲いているけれど。ヒトは平等ではない。

それが私の自分の花屋さんをやろうとしている本当の理由。
誰にも言えない、いや、言わせてくれないか、この国は。

ひたむきに、音楽に向き合い続けるこの子の、花が咲くのはいつだろう。私はずっと見守りたい。ずっとそばにいたい。

この蕾を咲かせる太陽になりたい。

綺麗な花弁を世界に開いてやるんだ。



「ねえ、こずえ。一緒に働かない?私の花屋、二人で。あなたの好きな音楽、お店でやっちゃってよ」


電話の先のこずえの目はいま、私を見ている。ふと、外の雨が止んだ気がした。

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