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#13 グローブ



ほかほかのご飯。

湯気が立つほどの白飯。

光るように盛られた白米。硬すぎず、水っぽくなく、最高のコンディションで口に入る。

その味は、僕が物心付くより先に、身体が覚えている。

ばあちゃんが、毎年作っていたお米。
籾から育てるその原始的な稲作のやり方で、毎年家族だけが楽しめる何よりも美味しいご馳走だった。



ガリっと口の中で音がした。
ぺっと手に吐いて見てみると、口から出てきたのはいつの物かも分からない、乾ききった米の塊だった。

「おい、なんだよこれ」

店の奥でたわいも無い会話をする店員が、大きな調理器具で牛肉をすくいあげてご飯に乗せている。

「すみません!」
大きな声で呼ぶとすぐに来て、カタコト言葉で、
「ハイ、オマタセシマシタ、ゴチュウモンハオキマリデスカ」と聞いてきた。


上京して17年。
もう40代も後半になって、身寄りは無い。
毎日のように通う牛丼屋で、外国人店員に文句を言い付けるのは億劫に感じた。
美味しい米の味の違い、その価値観をぶつけるのに290円の牛丼では対抗できない。自分が惨めになるだけだ。



収穫が難しいと言われるばあちゃんの稲作でも、毎年夏が終わると素晴らしい黄金色の景色が完成する。家族でそれを刈り上げるのは、大変だった。

それでも、美味しいご飯が待っている、と思うとそれも辛くなかった。
たわわに実った稲穂を1日かけて刈り終えると、広い広いフィールドが完成する。

田園は刈り残された稲穂の根元だけを残して、秋の涼しい風が気持ちよく通り抜ける。
僕の兄はそこで「キャッチボールしようぜ!」とグローブとボールをいつも持って来ていた。

毎年やっていれば、毎年投げる球も、受ける側も、互いに成長を感じて、飽きる事はない。
中学生になると、野球クラブでピッチャーをやっている兄の球は、捕るのが嫌になるほど速くなり、僕のグローブの中の人差し指と中指は真っ赤になった。

兄は今でも地元で草野球に熱を入れているようだが、もう何年も会っていない。


YORIDOKOROに寄って帰ろう。

店長の内川さんはいつも僕のくだらない話を、はっはっはっはと大きく笑って聞いてくれて、さり気なく何気ない返で、こちらも次第に笑わせられる。
気付けばその日にあった嫌な事はどうでもよくなる。帰り道には、「明日は今日よりも、5分だけ少し早く起きるか」
そんな気持ちになっている。



「今日は良いのが入ってますよ、中川さん」

内川さんが進めて来たのは日本酒だった。
日本酒は自分からはあまり飲まないので詳しくなかったが、頼んでみることにした。

「醸し人九平次」と漢字で書かれたラベルが印象的だった。

香りを嗅いだ。
梅雨明けに、お母さんが部屋に運んできたメロンの情景が浮かんだ。その懐かしさと華やかさを含むフルーティさが印象的だ。僕は持っていた鉛筆を投げてすぐその果実にありついた。
口に含むと、メロンは桃、林檎、梨などの果樹園をゆっくりと歩き抜ける。周りに生える緑色の自然も、活きいきとその草や葉を風になびかせる。
そしてその先に待っていたのは、収穫を終えて待ちに待った、新米の炊き上がった瞬間。釜で炊いた、ばあちゃんのご飯の姿が思い浮かんだ。懐かしい旨味がどっと深く押し寄せて、脳の先まで達した。
後味には、ばあちゃんが仕込んだ渋柿のニュアンスを思わせた。

美味い。
美しいほど、美味い。

だから美味しいとは、美しい味と書くんだな、と一人でに思った。

この醸造所は「純粋な美味」それを生むのは「土地そのもの」である事に焦点を当てる。毎年の天候や、積み重なった土地の年齢から、出来上がったその年の米の「表情」を読み取り、それはさぞ「人間」の様に相対する。そこから日本酒作りの調整を行う。出来上がる日本酒は、それは芸術の様に美しい酒が出来上がる。

フランスを発祥とする、「テロワール(土地そのものの持つ能力)」を活かしたワイン作りに、それは共通する。
現在では、最高峰のテロワールの一つであるフランス・ブルゴーニュという土地に畑を持ち、エレガントで美しい高品質のワインを作っている。

内川さんは、醸し人九平次の魅力を沢山語ってくれた。

僕は気付けば、2合以上飲んでいた。

日本酒を作る米は、食米とは種類が違うが、米は米だ。
僕は白米が大好きなんだ。


兄が、高く高く空に投げた野球ボールを追いかけた。フライが捕れない僕に、兄はいつもそうやって投げてきた。
刈り上げた稲の根元に引っかかって沢山、転んだ。
それでも楽しかった。純粋に、楽しかった。
手はいつも、稲の香りとゴムボールの香りが混じっていた。

泥だらけになって、兄と一緒に畦道を歩いて帰った。




二日酔いにはならず、次の日の仕事は、あっという間に終わらせることができた。

いつも通る道角の家。
その前に少年が2人座って、靴紐を結んでいた。
1人は、はにかみながら、今にも走り出しそうに。
もう1人の少年は弟だろうか、わずかに歳が若く見えた。
口を堅く結んでいるように見えた。喧嘩でもしたのか、親に怒られたのか、頬が赤かった。

その2人の横には、西陽に照らされたグローブが二つ並んでいた。
綺麗に手入れされ、使い古された同じ網の形のグローブ。良い色が出ている。ラベルだけ色違い。

僕は不意にそのグローブを手に取って、ボールをパン、と打ち付けた。

そしてさらに笑いと涙が込み上げてきた。


2人の少年は、呆気に取られてこっちを見ていた。

「勝手にごめんな。もし良かったら今度おじさんも混ぜてくれないかな。もう今は出来るかわからんが」

知らない子どもに頼む大人なんて不審者と思われるかもしれない。

しかし少年たちはすかさず言った。
「いいよ!今から行こうよ!!おじさんグローブ持ってんの?」

「無いけど、手で捕るよ。これでもおじさん、野球上手かったんだぜ」
「昔の話する人は、大体今は下手くそだよ、おじさん」
と、少年たちは笑った。


昔は稲刈って、田んぼでキャッチボールして、そのまま米食ってたんだぜ。
なんて自慢にもならないか、と、僕も一人で笑った。




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