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親しき仲にも礼儀あり精神

仲のいい友達でも、ある程度の距離を保って。
と言われますが、
空気読めない、一般常識ない系の私には、
この「ある程度」みたいな感覚が苦手。

でも、人と付き合う時にいつも心にとどめておきたい言葉があって、
親しき仲にも礼儀あり
なのです。

で、これは私がオチを求めてしまう西日本人だというのはもちろんあるのですが、
なぜオチを付けない話をされると異様にムカついてしまうのかについて、
考察してみました。

これ、自分の話を他人に聞いてもらうんだったら、相手の時間を無駄にしたくない!という思いがあるのです!
なので、話をする時は、面白い話、又はなんらかの豆情報が入った話をするようにしています。
人様のお時間をいただいておきながら、クスっとなることもないような話題なんて、何のために!と思うのです。
これ、どう思う?とかはもちろんいいのですが、
一番イラっとしてしまうのが、
聞いた後に、で?ってなる話。
彼がご飯を作ってくれたよーとか言って、写真を送り付けてくるとか、
正気の沙汰ではないと思っています。
そして、写真で何かわかんないようなもんには、キャプションつけろや。って。
それなに?待ちなのかも、と思う時は出来るだけスルーして、すごいねー!!と褒めまくる。
何作ったか定かじゃないもんをべた褒めする、という狂気で応戦。

それとか、旦那さんが髪の毛切ったんだけど、気が付かなかったのー!とかね。
でも、旦那さんはそんなことで気にかけてますよっていう証明はいらない、と言ったんだよー。って。
出来た方ですね。という以外になんと言えようか。
そして、現にいろんな意味で出来た人なのである。
友達にこんなオチのない話をふってくるということは、
旦那さんなんて、大変な話を聞かされているはずだから。

これだけ見ると、幸せじゃないやつが嫉妬してる感がありますが、
私はこれ、とっても礼儀がないなぁと思っているんです。
私の時間を無駄遣いしないで。。。と思っているんです。
相手にとってどうでもいい話は、
自分がどれだけ人に話したくても、
話すべきではない。
もしどうしても話したければ、面白い話にでっち上げてから垂れ流してくれ。。。と思うのです。

オチを求めるめんどくさい人間であることは自覚していますが、
残念ながら、どうでもいい話を友人に話すことも非常識だ、という認識のある世界へ。と内心願っているのです。

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