見出し画像

お前がやりなさい

今回の高野山の旅は、当初はもう少し短く予定していました。

日程も、もう少し遅めの月末でもいいかな、と思っていた時でした。

いつも通っている近所の神社で、心の中で高野山に行くことを話ながら、もう少し短い方がいいでしょうかね、月末に変更した方がいいでしょうかしら・・・などと、相談するように思っていた時でした。

そのままでいい。

そう強く言われているように感じました。なんだろう、月末に、何か行かれないようなことが起きるのだろうか・・・?などと思いながら、そのまま変更せずに行くことにしたのでした。

旅の間中、私の頭にあったのは、長いこと患っている家族のことでした。

治してほしいとは言わない、でも、導いてほしい、と心に想いながら、弁天岳に向かって歩いているときでした。

お前が導いてやりなさい。

その言葉は、実は、6月にお目にかかった鑑真和上にも言われた(ような気がした)言葉でした。

鑑真和上は、それはそれは優しく、あの世へ送り出すことを私に諭したのです(という気がしています)。

これは、私の錯覚ではないのか。そんな時が来るのは、もう少し先なのではないか。

そんなことを思いながら、今度は立里荒神社で、素晴らしい山脈の景色を眺めていたときでした。

休んでいきなさい。力を付けていきなさい。

その時は、私の体力のなさを指摘されたのだと思っていましたが・・・

帰宅してすぐ、家族が予定より早く入院しました。それは、まさに私が旅の日程を変更しようとしていた月末のことでした。

その後、病と長いこと闘った家族は、ついに旅立ったのです。

思えば高野山から帰って来て以降、怒涛の日々でした。振り返ると、唐招提寺での鑑真和上坐像との出会いから高野山にいたるまで、予感めいたことはたくさんありました。また、旅立った本人も、自分の最期の日を予言していました。

なんて年だったんだろう。

でも、すべてがきっと、神様仏様の思し召しなのだから・・・

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ あなかしこ」(「白骨の章」)

ああ本当に。生きていることに感謝して、この一日を大切にしよう。

そんな風に思いながら、年の瀬を静かに過ごしています。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?