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ライター交流会に出たら、はじめて自分をライターと認められた話

「ライター同士の交流会に参加してきました!」
私が憧れていたX(旧Twitter)の投稿を、先日叶えることができた。


ライティングを学びはじめた2年前

私は約2年前、ライカレ(現ものキャン)の門を叩いた。
書くことは好きでも、看護しか能がなかった私は優秀な仲間についていくのに必死の3か月だった。それでも、まよ先生とものがく先輩方の手厚いサポートのもと卒業後に電子書籍も出版し、Amazonで新着・売れ筋1位、ベストセラーを獲得。

その後も本業の病院勤めと同時進行で、ライターとしての仕事は続けていた。しかし、周囲の輝かしい成果と比べると、なんとも寂しいものだった。

卒業後に何度かお誘いしてもらったリアル交流会も、スケジュール的に参加できなかっただけでなく
「ライターとしての成果報告がほとんどできてないのに……」
という気持ちが隠れていた。

昨年11月に東京で開催されたものがくオフライン交流会も、自分の心と本業の休暇や子どもの預け先の問題から難しかった。

しかし、ものがくオフライン交流会に参加した仲間のXの投稿や笑顔が眩しく見えたのだ。
同じ師匠の下で学んだ仲間の存在は特別で、同期はこの人かな?あの人かな?なんて、ウォーリーを探せ状態で、画像を食い入るように見た(怖い)。

2冊目の電子書籍出版後に気づいた本音

そのうちに2冊目の書籍を出版。約2年ぶりの出版は浦島太郎状態で、戸惑うことも多かったが、ものがくの先輩や同期に助けてもらい叶えた2冊目の出版となった。
出版後の空っぽの頭に浮かんだのは
「やっぱり、仲間に会いに行きたい」だった。

その願いが届いたのか、ライティングスクールの先輩が率いる関西会で、1月に交流会が開かれることを知った。
このチャンスを逃したら、私ずっと参加できない。
心が変わらないうちに台所に立ったまま、交流会への参加表明をした。

念願の交流会は期待を裏切らなかった

同じ関西でも、会場の大阪難波へは1時間半電車を乗り継いで行く。
久しぶりに降り立つ大阪難波では、人の多さに圧倒された。あてにしていたGoogleマップも、地下から地上に出ると、どちらに進んでいるかわからなくなるというトラップにおちいった。

慣れない街並みと、初参加に緊張する気持ちが入り混じって、小走りになる。待ち合わせ場所に近づいていくと、道の向こうに5、6人集まっている輪がひときわ目に入ってくる。
きっとあの集まりだ!

いつもX上で交流している人たち。はじめて会うけど、はじめてではない。
なんと挨拶したらよいのか迷っているうちに輪の中に入れてもらっていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。預けている子どもたちが帰ってくる時間が迫り、二次会は参加できず。後ろ髪を引かれるように、みんなと別れた。

人生、自分で選んできたと実感した瞬間

帰りの電車で、来るときに見た景色を巻き戻しながら充実したひとときの余韻にひたっていた。

自分の生きる道を自分で決めている人たちと過ごす時間。この感じ、どこかで経験している。
そうだ!世界一周していたときに旅仲間と過ごした時間と似ている。

「私、自分の人生きちんと決めてきたんだ」

素晴らしい仲間と出会えたことへの感謝と、誰と共に人生を過ごすのかを決めることの大切さを改めて実感した。

急に走り出したライターとしての自分

ライターとしての成果報告ができていない、という後ろめたさは必要なかった。仲間と会うことで、自分のことをライターだと認めることになった。

交流会に参加したとたんに、なかなか定まらなかった目標も不思議と見つかった。本業と家事育児、抱えるタスクは変わらないけれど、それを乗り越えて仲間と共有したいのだ。

「ここからがスタートです」
ライカレを卒業したときのまよ先生の言葉。
そう、やっと私は走りはじめたのかもしれない。

これが私の2年越しのライカレ卒論。


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