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ズーズー弁の起源を解明① ーウラル語族に属す基層言語の母音調和に由来ー


「ズーズー弁」(裏日本方言)とは

ズーズー弁とは、方言学的には音韻上「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がない方言である。また、「ズーズー弁」まではいかないものの、ズーズー弁的特徴を持つ方言の発音体系を「裏日本的発音」という。以下、裏日本的発音体系を持つ方言を「裏日本方言」と呼ぶ(金田一2005)。

裏日本方言の分布は、その名の通り、日本海側である。東北地方を中心に、北海道沿岸部や新潟県越後北部、関東北東部(茨城県・栃木県・千葉県・埼玉県東部など)と、越後中部、長野北東部、佐渡、富山県、石川県、とんで鳥取県西伯耆地方、島根県出雲地方を中心とした地域に分布する(図1)。

図1 裏日本方言の分布(赤色)
金田一春彦 昭和28年『日本方言学』の音韻分布図による
(安部(2014))

発音特徴

裏日本方言の最大の特徴は母音体系である。

①イ段とウ段が平唇中舌母音[ɨ]に近づき (それぞれ[ï], [ɯ̈]と表記),サ行,タ行,ザ行ではイ段とウ段が[ɨ]に統合し,シとス,チとツ,ジとズが区別されない。東北西部,北陸、出雲では[ï]寄りに,東北南部では[ɯ̈]寄りに統合される傾向がある。(佐藤2002)
例)寿司・煤[sɨsɨ](日本海側で「シシ」、東北南部で「スス」に近い)、知事・土[tsɨdzɨ]

これに関連して東北南部ではシュ、チュ,ジュが直音化し,シ・ス・シュ,チ・ツ・チュ、ジ・ズ・ジュがそれぞれ区別されない。(加藤1986、佐藤2002)
例)習字[sɨːdzɨ]、注射[tsɨːʃa]

②また、母音単独拍で/i/→[e]の統合が起こるほか、多くの語例で/u/→[o]の統合が起こる。(加藤1986)
例)糸[eto]、歌[ota]

出雲ではこの特徴が特に激しく、カ行、ガ行、ハ行を除くすべての行でイ段とウ段が統合、ウ段直音が長音化することから、究極の「ズーズー弁」といえる。ウ段音→オ段音の統合も起こる。(神部1983) 
例)藪[jabɨ]、麦[mogɨ]、牛乳[gɨ:nɨ:]

これらの特徴から,たとえば犬,虫は青森方言では それぞれ[enɯ̈]、[mɯ̈ʃɨ]、出雲方言ではそれぞれ[eno]、[moʃɨ]と発音される。

共通日本語からの母音力学を図示すると図2のようになる。共通日本語のイは[ɨ]または[e]になろうとし、ウは[ɨ]または[o]になろうとする。

図2 共通日本語から裏日本方言への母音力学

裏日本の方言はこのように共通日本語から明らかに逸脱した母音体系を有しており、これは、比較言語学における「音変化」の一種といえるだろう

基層言語による音変化

裏日本的発音特徴の起源は、基層言語に求めるのが自然だ。このような顕著な音変化を示す言語には、何らかの発音的下地が存在したと考えるのが普通だからである。参考に、世界の事例を見てみよう。

発音は、外国語習得の際にはとりわけ母語転移が顕著と言われる(Norris & Ortega 2000、高橋2011)。例えば、外国語母語話者の日本語学習者には、母語に基づく発音特徴が見られる(崎村1987、鹿島1999、西沼・代田2007、蘇2010、丸島2016、金2018、石山2019)。故に、接触言語では母音転移が観察されており、パラオ語においては、言語接触の際には基層言語のアクセント体系が根強く残っている(崎村1987)、スペインにおいては、バスク語の音韻体系を反映して、バスク地方の人々が話すスペイン語は発音が明瞭である(石原1994)、アイルランド英語にはアイルランド語の音声的基層による音変化が認められる(Ó Baoill 1997)、アメリカ州の黒人クレオールには西アフリカの音声的基層が存在する(Holm 1993)など、このような事例は多い。アイルランド英語や西アフリカのフランス語は、元来の英語やフランス語話者の多い都市部から離れるほど、在来の基層言語由来の”訛り”が残っており、同様の例は世界各地に見られる(ロング2008)。

このような事実から、歴史言語学における言語の音変化が基層言語によるものという考え(Substratum theory)は古くから存在する。これは、征服などによってある地域に入り込んだ言語が、基層言語による影響を受けて変容するという仮説である。有名なものとして、ゲルマン語の第二次子音推移は、ケルト民族が高地ゲルマン民族による征服を受けて基層言語であるケルト語の音声特徴を反映させたものとする見方がある(Fennell 2011)。また、音の変化状態から、ケルト人の到来以前、ベルギー・オランダ・北西ドイツには特有の基層言語が存在していたと考えられている(河崎2002)。また、古英語の発音は基層のケルト語の影響を受けているとされ(Schrijver 2009)、ラテン語の方言から派生した言語のうちフランス語の発音は他のラテン系言語とは異なるものが多いが、そのうちいくらかは基層のケルト語の特徴が反映されていると考えられる(Pellegrini 1980, Craddock 1960: 18, Matasović 2007)。

「ズーズー弁」(裏日本方言)にも、その母音体系に基層言語が存在したという見方が複数提示されている。方言の音声差異の起源を縄文時代まで求める説(小泉1997、2003)、日本海側の方言の発音は基層言語の残存であるとする見方(真田2002: 32、中井2003、2004a: 69、2004b: 218)、遺伝子学の視点から中央日本語とは別の「東日本基層語」を想定する見方(崎谷2005: 159-160、2009b: 113-115)等がなされている。

本稿では裏日本方言の基層言語である「裏日本基層語」が存在したと考え、より踏み込んで、裏日本基層語の属性(どの言語に近縁か等)を推定する。

舌前後の母音調和を持つ基層言語

「ズーズー弁」を生じる母音力学は上述したように、「共通日本語のイは[ɨ]または[e]になろうとし、ウは[ɨ]または[o]になろうとする。」というものであった。よって、裏日本基層語の母音体系は究極的には[a],[e],[o],[ɨ]の4母音体系と推定できるかもしれない。しかしこのような4母音体系の言語は世界を見渡しても見当たらない。安定した4母音体系の中で、[i]も[u]も有しない母音体系というのは非常に考えにくい。

むしろ、視点を変えて、裏日本基層語に、舌の前後の母音調和が存在したと想定すれば、この特異な母音現象を説明できるのではないか。実際に、母音調和を持つトルコ語やモンゴル語の母語話者が日本語を話すとき、母音調和の規則に従って音のズレを生じることが知られている(蘇2010、石山2019)。

母音調和にも様々なタイプがあるが、舌の前後の母音調和を有する言語では、前舌母音と後舌母音が同一語内で共存することができない。もし、裏日本基層語が元々[i]と[u]の対立による舌の前後の母音調和を有していたとすれば、同一語中に [i]と[u]が共存する語を元来は持たなかったと考えられる。このような状態で、母音調和のない日本祖語と接触し、前舌母音[i]と後舌母音[u]が共存する語彙を大量に取り入れることになれば、元来の裏日本基層語は、舌の前後の母音調和という発音特徴に則って、それらの語内における[i]と[u]を、「中舌母音」(母音調和において中立的)である[ɨ]で発音せざるを得なくなると考えられる。これが「ズーズー弁」の始まりではないだろうか。([ɨ]は最初は[i]と[u]が同一語内で共存する語彙だけで用いられたと思われるが、やがて全てのイ段、ウ段音にこの音が波及していったと考えられる。)

また、[i]→[e]、[u]→[o]という変化は、母音調和に関与する母音が[i]と[u]だけであったと想定すれば説明がつく。すなわち、裏日本基層語では、母音調和に関与する前舌母音[i]と後舌母音[u]、母音調和に関与しない中立母音[ɨ],[e],[o],[a]という6母音体系であった可能性が推定される。(あるいは[ɨ]は異音であり、元来の音素としては存在しなかったことも考えられる。)「ズーズー弁」の起源はしばしば議論の的になるが、本稿ではこのように「基層言語における舌の前後の母音調和の存在」に起因するという説を提唱したい。

まとめると、裏日本基層語は、「[i],[u],[e],[o],[a],(および[ɨ])の母音を持ち、そのうち[i]と[u]のみが舌前後の母音調和に関与し、その他は中立である」という特徴をもっていたと考えたい。

世界を見渡すと、舌の前後の母音調和を持つ言語はウラル語族とチュルク語族である(小泉1994、松本1998)。すなわち、裏日本基層語はウラル語族またはチュルク語族に由来する可能性があるということになる。

「ズーズー弁」の起源はウラル語族の一言語

世界を見渡し、母音調和を持つ言語の特徴を概観すると図3のようになる。

図3 諸言語の母音調和と母音体系。エルジャ語は(Fejes 2020)、ハンティ語は(Gulya 1966)、ハンガリー語は(Rounds 2001: 10-12)、その他は松本(1998)を基に作成。
表1 母音調和の特徴の整理 裏日本基層語はハンティ語、エルジャ語と同じ前後型に属す。

この中で、裏日本基層語のように舌の前後のみによる母音調和を持つのはウラル語族のハンティ語とエルジャ語である(表1)。ウラル語族のハンティ語ヴァフ方言は前舌と後舌の対立による母音調和を行う(Gulya1966)。ウラル語のエルジャ語は[a],[e],[i],[o],[u]の5母音体型であり、舌前後の母音調和を持つが、母音調和に主に関与するのは[e]と[o]である(Fejes 2020)。これは、前章で推定した、裏日本基層語において[i]と[u]のみが母音調和に関与していたということに類似している。以上を勘案すると、裏日本基層語の母音調和は、ハンティ語やエルジャ語に近い構造と考えられる。

ここから導き出される推論として、ウラル語族(ハンティ語やエルジャ語に近縁)の一言語を話す集団が、過去のある時期(日本祖語を話す集団が日本列島に渡来する前)に日本海側に渡来したことになる。

次記事では、実際に、ウラル語族の一言語を話す集団が、日本海側にやってきたという人類学的証拠について見ていく。

・現代東日本や山陰方言の/u/の発音は[u]ではなく[ɯ]であることから、裏日本基層語でも/u/は[u]ではなく[ɯ]であった可能性も高い。

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