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多神教と一神教、だから、抽象化と具体化


日本の文化表現の特徴は、モノを抽象化します。
極みは枯山水の庭、アブストラクト抽象して宇宙を概念表現します。
円の禅も、要素を単純化した概念です。
浮世絵も、デフォルメした描写する抽象化です。
アウトラインでモノを捉え、形を脳内で輪郭化します。

海外の文化表現の特徴は、モノを具体化します。
中東イスラムも中華インドもカトリックも豪華絢爛に表現します。
装飾が華美であるほど価値高くなります。
自然現象を複雑に再現し、幾何学模様、曼荼羅、写実描写します。
陰影の光でモノを捉え、グラデーションで細分表現します。

王家のゴテゴテ紋章の西洋と、自然を抽象する家紋も違います。

この違いの原因は、自然環境であると私は思います。
日本は森林が生い茂り、草花が四季満たされた世界の中で、そぎ落としたシンプルさを見出します。
海外の多くは荒野であるから、草花は富の象徴で、豪華さは華美表現することが求められます。

そして、自然に対する考え方が違います。
庭に対する表現が違います。
海外は、自然を征服するシンメトリー左右対称の庭です。不自然を良しとします。
日本は、自然を箱庭のようにミニュチュア再現し楽しみます。自然を良しとします。
建物まで海外はシンメトリーで、日本は寝殿造りの非対称です。
しょうがないです。日本の自然が豊かだからです。

森の中では多様な生命に囲まれ、八百万の神、多神教になります。
荒野に立てば、何もない地で自分が神と対峙し、一神教になります。
多神教だから表現過多になるから削ぎ落とし抽象化に、
一神教だから唯一のモノを華美に装飾する具体化に、
当然の流れかもしれません。
自然に溶け込むか、自然を超越するか、入口と出口の違いで、同じとこに終結するかも。


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