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人は神の化身なのか、神が人の化身なのか


宗教は大きく分けて2つあります。
一神教と多神教?
そうではないですね。
人は神の化身か、人は自然のものか、この違いだと思います。


かつては、とはいっても今文明の途中まで、人間も動物も植物も鉱物も天体も気象も、ぜーんぶ同じ尊いモノで平等でした。
万物に神が宿るアニミズムです。
生物・無機物を問いません。
地球上のすべての人類は同様の考えで、自然の中の循環に存在していました。

徐々に人類が自然を制圧するようになり、人を特別視する考えになってきました。
何かのきっかけか、やはり特殊な存在の策略なのか、大陸の中央のコーカサスあたりで始まっていきます。
アーリア人によるゾロアスター教による光の神と悪の神と二元論になってから、人の善悪の宗教になってしまいました。
そこから東西に流れ、ローマギリシャの神々、ヒンドゥーの神々の多神教、これらは人と神の関係性です。人だけが自然の中の特別な存在です。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教。
一神教とは、多神教の中の神を絶対神にして、より人と神の対峙を強化します。
動物たちは人のためのモノで、「屠りなさい」と神に与えられた食物となりました。

仏教も悟りの超人の上座部仏教と、多神教になってる大乗仏教、形は変われど人と神の関係性には変わりません。


この大陸の中央地から離れたところでは、アニミズムの風習が残っているところがあります。
スカンジナビア半島やブリテン諸島など、精霊文化が多いですね。「北欧」などと表現してしまうと同じ場所なのにキリスト教文化を感じてしまいます。
もちろん遠い、ポリネシア諸島やアフリカ大陸やアメリカ大陸も精霊文化です。
全部、「神に選ばれた人」に植民地化される前の話です。


超自然観のアニミズムは原始・未開社会のことで、文明社会は神を人間のように形作って人間が前に進んでいるような錯覚がありますが、むしろこの世界観が特殊です。
多神教だって人間の形をした神です。地球人のちょっと次元が上昇した存在なのでしょう。


多神教=アニミズムではありません。
日本の神道をアニミズムとするのは誤解です。
もともと土着の自然信仰に、大陸から渡ってきた道教や陰陽道やユダヤ教やペルシャ文明がミックスされて、八百万の神の多神教です。
途中で神仏習合して、明治時代にまた都合よく分裂してるので、オールジャンルにちゃんぽんして悪酔いしてしまいそうです。
いや批判してるのではなくて、部分的に自然崇拝、部分的に大陸信仰、一言で神道は何かと言えなくなってます。

結果的に、中途半端に都合よく部分的に抽出して、自然霊的存在に対して呪術的にかかわったりしてます。これも人間を特別視した歪みです。
この歪みから「祟り神」「怨霊」などの現象が起こるのでしょう。
また、死者となった祖先の霊魂の存在を認める死霊崇拝も、アニミズムの歪みです。
日本では祖先信仰は仏教のカテゴリーですが、そもそも仏教は哲学であり、霊の存在は関係ありません。
上座部仏教のタイにはお墓がありません。遺灰を川に流します。むしろ自然崇拝です。だから別の側面として呪術が盛んになってしまってます。
大乗仏教で、お墓を大事にする日本とは違います。こんがらかるほど歪んでます。


神は人のような形をして、自然を差し置いて人が神と関係する宗教。
キリスト教本場の欧州でも、この矛盾を考える哲学者・スピノザなどが現れます。
汎神論、全ては創造主の現れです。全ては創造者を内に含んでいる考えです。
もう現代のスピリチュアルですね。
スピリチュアルはニューエイジ思想で時代の先進的な考えのように語られますが、むしろ元に戻ってると言えます。

何千年にも続いた、人は神の化身なのか、神は人の化身なのか、人だけが特別扱いされる思想でした。
無神論、唯物論は、さらに人は神を超えて、自分自身を絶対視する、一神教ならぬ、自分教です。自分狂であり自分凶の危険性があります。


アニミズム、人と自然は同列。さらに言えば、人と自然と神や高次元は同列です。
一神教も多神教も、自然を支配する人が神に支配される、そんな主従関係です。
そうではなく、人も自然も高次元も、お互いに尊重しあう同列の関係性なのでしょう。


世間一般知識の宗教分類ではなく、あくまで私の見解です。
昔を取り戻そうと啓蒙したいわけではありません。ただ神を考える上で、思い込まされたベースになったままになってるかも、という話でした。

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