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若者が自分の意見を言う 後編

昨日の続きの後編です。

新卒採用の就職活動において、いまだに学生に問われていることがあります。
いったいあなたは何者なのか?
学生なんか、な〜んにもないすっからかん。
アイデンティティーなんか何もありません。
そのすっからかんの中に、学生時代に勉強したことや経験したことを詰め込んで、私は何者でありますと表現しなくてはなりません。

バブル崩壊して就職氷河期でのベビーブーム子ども世代の激戦時、数十年前の私の経験はもはや参考になれませんが、私が当時感じたことは、面接官は学生ごときが言ってる中身は大して聞いてませんね。
話してる全体像を見て人間性を見てますね。
なので、就職活動が始まった時点で対策しても間に合いません。
20年余りで何を考えて生きていたかが問われるわけで、数ヶ月考えたところで付け焼き刃です。
志望動機を練ったり、自己PRを改善しても、しないよりはした方がいいですけど、取り繕いが上手くなるだけ胡散臭くなるかもしれません。
出たとこ勝負という乱暴なこと言ってるわけじゃなくて、人間性は積み重ねたモノでしかできてないんだと当時に思いました。
(話はズレますが、採用人事部も上司の目を気にします。役員にイイ学生を選んだなと思われて自身の評価を上げたくなるような、そんな学生を選ぶでしょう。内定式での無駄で豪華な専務役員室での面接で確信しましたよ)


いい大人だってそうですけど、特に若い頃の社会人も自分は何者なのかとか問われます。
何者でもないくせに、何者であるかのような発言をすることで、自分の何者でもない中身がないことに耐えられず悪戦苦闘しています。

虚勢を張ることだけが巧みになった社会人ばかり増え、地道に中身を増やそうとしている不器用な社会人が苦しい思いしてます。
自分の意見なんかを上手く表現できなくても地道に自分の責任を果たす人の方が、私は信頼できるし好感も持てます。

嫌われる上司のあるあるネタで、「意見を言え」と言われたから意見を言ったら、「黙ってやれ」と言われる、などの話があります。
まぁ上司の言葉足らずですけど、何となく意味わかります。
意訳をすれば、「中身がある考え方を構築していって下さいね」ということなんでしょうね。


長々と、中身のない自分が意見を言ってることで、ブーメランとして返ってきそうですけど。
教育論者の「意見を持て」を聞いてると、“矛盾してる”という「意見を持って」しまいます。
まあなんというか、意見をうまく言えないけど責任感ある良い人を軽く見る風潮は、なんか嫌なんですよね。


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