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Vol.37 西城秀樹

72年デビュー、昭和歌謡界のトップをかけ抜けたスーパースターです。
2018年に68歳の若さで残念ながら亡くなってしまいました。
いまや彼を知らない世代も増えてきていると思いますが、ぼくらの世代からみればそんなことが信じられないほど日本中の誰もが知っている存在でした。「ヒデキ」という言葉だけで彼の顔や声、その存在がはっきりと浮かび上がってきます。
この頃のスターは雲の上の存在であると同時に生活の一部とも言えるとても身近な存在でもあったのです。

ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんがヒデキの大ファンとして描かれていますが、昭和40年代後半の小学校高学年の女の子の多くがヒデキの虜でしたから、とてもリアルに感じます。

「新御三家」という呼び名で共に活躍した郷ひろみはその甘いルックスと声でキュート路線、野口五郎は大人の渋さと成熟感を押し出していましたが、西城秀樹は「パワフルでかっこいいお兄さん」という70年代青年の一つのテンプレートとなっていたように思います。

スピード感のあるパワーポップから絶叫系のバラードまで、まさに彼ならではの名作を多く生み出していて、そこには彼の歌唱力の高さが溢れています。声質や声量もさながら、当時の環境や機材でいつでもあれだけ正確な音程で(しかも踊りながら)歌える歌手はそれほど多くなかったはずです。恐るべし70年代。

日本人ソロアーティストとして初めてスタジアムコンサートを行ったのも彼だそうです。
当時はまだ珍しい野外コンサートも多く行っていて、彼がかなりのチャレンジャーであったことも伺えます。当時の機材で野外コンサートはアーティストにとっても運営にとってもかなり難しかったはずですから。

また彼は役者としても大きな足跡をのこしていて、当時大ヒットした久世光彦ドラマ「寺内貫太郎一家」のなかでも欠かせない存在感を出していました。樹木希林(当時は悠木千帆)との掛け合いで見せるコミカルさも70年代のお兄さんのあり方を導いていたように感じたものです。
ぼくはこのヒデキが大好きでした。

彼の野外コンサートの記録映画「ブロウアップ・ヒデキ」のトレーラ-を貼っておきます。まさに70年代感にあふれています。
よっぽどモニターが悪いのかヘッドホンでライブです。
イヤモニどころかワイヤレスもない時代。

こうなるともう逆にかっこいいです。


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