宇想月(usotsuki)

かつては、ハルキストを自認する活字中毒者。遠藤周作、吉行淳之介、安岡章太郎といった「第…

宇想月(usotsuki)

かつては、ハルキストを自認する活字中毒者。遠藤周作、吉行淳之介、安岡章太郎といった「第三の新人」の作品で、本の世界に没入。また、クルマ大好き。愛車は、ちびっ子のレンジローバー のディーゼル。趣味欄に、必ず「洗車」と書くオジサンなのです。遠藤周作さんを真似て、この雅号にしました。

マガジン

  • 小説 ケーススタディ 初クライエント  

     守秘義務厳守のデリケートな世界です。あくまでフィクションとして書き綴りました。今まで経験したことを一般化させたケース・スタディとして、お読みいただきたいと思います。好奇心に任せて、実在の人物を想定したくなるとは思いますが、トワイライト・ゾーンにでも迷い込んだように、感じていただけると幸いです。事実は、フィクションに絡み合わせて、悟られないようにしてあります。どうぞ、クライエントになったつもりで読んでいただきますように。

  • ブログ「面白半分」

    HPの「カウンセリング本荘」https://agu1981.comでは、66編ほどのブログを面白半分に書き綴ってきました。 HPの容量が小さくて、表示速度も遅くなりつつあるが故に、場所をnoteに移しました。HPに載せている駄文も、読んでみてください。どうぞ、ご愛顧のほどよろしくお願いします。

  • 私小説2 J.H.S.

    日本一のナンパ大学の生活が終わった。目的意識なく就職活動をした結果。中学教師になった。マグレで採用試験に受かり、待っていたのは「ビーバップJr.ハイスクール」だった。波瀾万丈な物語は、単なるフィクションにあらず。今は時効なれど、実体験満載。これぞ、真のブラック勤務と呼ぶべきだ。

  • 私小説1 Exam 1Q80-1Q81

    一浪した大学入試は、1勝13敗1補欠という結果であった。田舎から脱出したい思いだけで、その唯一の手段として臨んだ。その時々に小さな事件が発生して、刺激を受けた。もう半世紀も前のことで、少子高齢化問題なんてなかった。倍率50倍は当たり前の、「受験戦争」とも言われた。バブル景気はまだまだの古き佳き時代であった。

最近の記事

ノンアル・ライフ

 いわゆる「酒」を飲まなくなって、7年になります。アルコール類の摂取に関して、ドクター・ストップになったためです。今となっては、飲みたいという願望は無くなりました。しかし、様々な場面で、ありとあらゆる酒類を飲み尽くしたという思いは、その強烈さ故に今も残っています。  まず、一晩で飲んだ酒量記録!職場全体の宴会の後に同僚と行った居酒屋。一次会でも散々飲んでいる状態なのに、2人で2升半!これが、最高記録です。飲んだ後、自宅に帰り、普通に寝て、翌日は普通に授業、部活をしていました

    • ケース1998②

       予約した時刻に、Tさんの訪問。予想通りの話から始まった。 「無理でした」 「高2のと、3歳の頃とでは、何もかも違い過ぎます」 「3歳のような接し方をする前に、私と目を合わせてもくれないんです。声をかけても生返事しか返って来ないんです」 「あれから、何も進んでいません」 「こんな子にしてしまったのは、私のせいなんです」「私が悪いんです」  どうやら、自己否定的な話が、どんどんエスカレートしていきそうだったので、ちょっと話題を変えてみた。できれば、一人称の話から、三人称の話

      • My identity

         「アイデンティティ」とは、エリクソンが提唱した心理学の中で、最も優れたテクニカル・タームだと思います。自分は何者であり何を成すべきか」の自己問答によって解決すべき、青年期の発達課題と言われています。その結果、自分らしさが明らかになります。  別の言葉を使うと、パーソナリティの形成とでも言えばいいかと思います。いわゆる青春の真っ只中。心身共に、大きな変化を遂げる時期です。例えば、私など、中学校入学時には、身長が150cmだったのが、卒業を迎えた時、180cmにもなっていまし

        • 老前と老後

           先に「若者浴again」で、自分を対象とした老人論を述べてみました。老後のスタートをできる限り遅くさせる効果的な手段として「若者浴」をモチーフにしてみました。今回は、私論の一般化をねらいにして書こうと思います。さて、どうなることやら?  まずは、金銭へのの考え方です。長年、働いているとか雇用されているというような感覚もないまま、勤務していました。金銭は、結果ではなく過程だと捉えていて、手取りの金額は、与えられて当然の金額とは、大きく乖離しているので、明細書なども見ないで、

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        記事

          若者浴again!

           10年ぶりの学校勤務になりました。10年前に転職したからです。生徒数500人余の中学校から、乳幼児数70人余(正職員10名)の託児施設へ移りました。以前の1億分の1の楽な仕事に不労所得。超運動不足に、暴飲暴食と、生活は悪化する一方でした。  転職と同時に、第一子が高校に入学。1歳7ヶ月ずつ離れた3人の我が子たち。3番目の子が中学校に入学。その時、何枚かの一幕を下ろした感じでした。そして、時間経過だけを待つ生活に耐える日々が、続きました。60歳の定年まで、まだ8年もありまし

          若者浴again!

          学校のカイダン

           私は、幽霊を見る能力がないようです。しかし、その存在を感じることはできるようです。シンボリックに言えば、上に示した2つの赤い目とでも言えるでしょうか。見えはしませんが、背後に感じるのです。この視線により、背中を射抜かれる感じがするのです。  もちろん熱さや痛みなどありません。しかし、レーザー光線でも当たっているかのように、ジリジリ音が出ている感じです。目の前に現れるより、恐怖感があります。かえって急に目の前に出現して「オバケだジョー!」とやってくれる方がいいと思います。

          学校のカイダン

          ケース1998①

           どこから聞いてきたのか。Tさんが訪ねてきた。私がまだ独身で、実家暮らしだった頃の話である。一応、日本◯◯心理学会から、心理士のライセンスをもらっていた。  あの家の学校の先生やってるのが、悩みを何とかしてくれるという根も葉もない噂が狭い街を駆け巡ったそうである。しかし、認定証なる紙切れ一枚しか持っておらず、臨床経験は、演習等で学んだだけであった。  母の安請け合いを反故にできず、渋々相談するに至った。子どもが登校拒否になったとのこと。独身貴族を満喫している自分には、当然

          サウイフモノニ

           大学院の指導教官の先生は、常にジーパンとポロシャツ、トレーナー姿を貫くちょっと変わった人でした。学位記授与式の記念写真でもスーツ姿の修了者たちに囲まれて、やはりジーパンとトレーナー姿で写っているという徹底ぶりでした  35歳の若さで助教授になるという優秀な心理学者。しかし、出世志向はゼロ。教授会など出席ずに、マイペース&マイスタイルを貫き10年。年寄り連中と相当なバトルのためのペルソナとして、ラフな格好に加えて出勤は正午過ぎになったそうです。  羨ましい限りの生活です。

          サウイフモノニ

          サヨナラ

           生まれ育った田舎に戻ることになった。昨年度から、2校目の全校生徒160名余の新潟県最北の中学校で、平穏な2年目を過ごしていた。林業の町で、校舎は新築数年目の杉の木満載の贅沢な建物で、何と、体育館の天井の骨組みまで曲げ木とか言う珍しい木造工法で、竣工時は県内外から視察団が多かったと聞いた。教室は、自由自在の可変式で、時に応じたスペースができる便利さだった。  地獄から天国に来たというのは、決して大げさな表現ではなかった。そんな素晴らしい環境を満喫していた平成元年。友人から、

          依存と非行の末に

           シンナー中毒の生徒発見!夜中の呼び出しにより勤務先の学校に駆けつけました。閉鎖されているはずの屋上で奇声を発している男女1名ずつを発見。とりあえず、(まともに歩けなくなっている2人を両脇で支えて、保健室へ。歩いた後の廊下には、大小とも点々と排泄物が残されて、私はその処理係でした。  保健室は入ってすぐに、息もできないようなシンナーの臭いで充満し、通常の人間は息もできないような状態になりました。とりあえず座らせた生徒2人とは、もはや会話も成立せず「エヘヘ」と笑ってばかり。開

          依存と非行の末に

          時間泥棒は誰だ?

           生きている長さと時間泥棒の被害件数は、確実に比例していると思います。そして、被害者が時に加害者になっていることも、少なくないとも言えるでしょう。  時間泥棒の定義の重要な点は、相手が生活を共にしていないことです。時間は、誰にでも平等に与えられています。しかし、自分以外の時間に無頓着になる時が、人の時間を搾取していると考えるべきです。  すなわち、時間を奪われる場合に、その不快感をもつ場合、時間泥棒は立件します。そして、往々にして、不快感を相手に伝えた時に、異なる意味での

          時間泥棒は誰だ?

          キョウモ オサケガ

           マンモス校職員全員での宴会は、大座敷を連ねた場所で行われた。総勢60名以上を受け入れられる場所は限られていて、学区内には2軒しかなかった。1人に1つのお膳が用意されて、必ず個別の鍋物が付いていた。  昭和60年代は、校務員も含めた全員参加の宴会が、2ヶ月に1回行われていた。当時の月給は現金払いで、手取りが10万円弱。車のローンで3万円、アパートの家賃や光熱費等が3万円。すなわち、残り3万円が1ヶ月の生活費の現実だった。  4,000円会費の宴会の後の生活は、ちょっとした

          キョウモ オサケガ

          オチャクミ

           新採用2年目も学級担任にはなれず、またもや学年所属の使いっ走りだった。それが、通常のルールだとばかり思っていたが、単なる思い込みだった。他校の新採用同期のほとんどは、学級担任2年目を迎えていた。  今度は、1年部。学年主任を筆頭に、総勢11人。学年所属は1人だけになった。最初に学年主任に命じられたのが、朝のお茶汲みだった。これには、驚いた。学年部の誰よりも早く出勤して、一人一人にお茶を出せというのだ。昨年度は、2校目の女性教員の役割で、新採用の男2人は、朝から巡視役。今と

          ノックアウト

           N中の教務室は、エラい人が横にずらりと並ぶ4年部の雛壇とコの字方にセッティングされている3つの学年部に、1つずつ電話とマイクが設置されていた。やたらと細長いので、「鯨の寝床」なんて呼んでいた。  朝の打ち合わせは、遥か遠くに座っている教務主任のアナウンスにより進められた。各学年部からの連絡等も、当然マイクを使って行われた。そのため進行が遅くて、次の予定時間に食い込むこともしばしばであった。  その間は、学年所属による見回りが行われた。朝自習どころか、出鱈目のやり放題の状

          エスケープ

           3年部所属を命じられた。学級担任ではない。使いっ走りといったところである。学年部のメンバー構成は、学年主任、副主任、学級担任8名、学年所属3名という、13名の構成だった。  臨時講師も非常勤もいない学校だった。つまり、こんな大規模校でもパートタイマー教師は、1人もいなかったのである。後に、これが珍しい体制であることに気づく。しかし当時は、何の疑問ももたなかった。  学年所属も若者が3名も配置されているということも、1、2年部が1名しか配置されていなかったことの意味も、後

          マンモス

           赴任校が決まった。言われるまま3月29日に、新潟県某市の教育委員会に行った。すぐに、赴任校まで車で送ってくれた。その車中、市役所職員の皮肉っぽい話を聞いた。 「N中ですか。そりゃご苦労様ですねえ。」  昨年度まで総学級数36クラスを有する県下第2位のマンモス校だったそうだ。今年度から、分離してOJ中学校ができて、24クラスまで減った。しかし、新設校には、多くのお利口さんが行き、減ったとはいえ、その学校には「荒れ」がそのまま残ったそうだ。  N中学校に着いた。1階の事務