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「あり方」と「品」、「品格」の考察

先日、とある商談で、

考え方、行動において一貫性のない場面に遭遇した。

自分たちの利益を優先して、

相手を利用しようという意図が透けて見える。

尊重、信頼、一貫性を生きる「あり方」の基軸に据えている私にとって、

許容できる態度ではなかった。

そういう意味で、

「あり方」とは、

自分の中の正義なのかもしれない。

相手に自分の正義を押し付けていたのだろう。

そして、

一貫性のない相手の考え方、行動も、

相手の「あり方」であり、正義である。

私は、お互いの正義を争うつもりはない…。

そういうことを感じながら、

ふと、頭に浮かんだのは、

「品」がないという言葉だ。

相手の考え方、行動の本質が「品」がないのだ。

「品」というより、「品格」がない。

そうだ、「品格」がないのだ。

「あり方」と「品」、「品格」というのは、

どこか繋がるものがあるのだろう。

直観的にそう思った。

「あり方」とは、

どのような存在でいるとか、

あるべき姿とかそういう意味であり、

そういう意味であるべき姿とは、

私の中において正義ということになる。

ところで、「品」ってなんだろう?

「品」、「品位」、「気品」、「品格」という言葉がある。

「品」とは、「人や物事に備わっている好ましい品格・品質」のこと。
「品がある」や「品の良い」「品の悪い」などと使われます。

「品位」とは、「人や物事に備わっている上品さや気高さ」といった意味を持つ言葉。
「品位を保つ」「品位に欠ける」などと使われます。

「気品」とは、「人や物から感じられる上品で気高い様子」。
見た目や身のこなしから、どことなく感じられる上品さを「気品」といいます。使い方としては、「気品のある話し方」「気品の感じられる作品」など。

そして「品格」とは、「人や物から感じられる上品さや気高さ」のこと。
物に対して使うこともできますが、人の立ち居振る舞いや雰囲気、見た目などから、「あの人は品格が備わっている」などと使われることが多いです。
例えば、優雅で洗練された雰囲気を持つ人や、気品あふれる人、マナーや教養が備わっている人は、「品格がある」と言われやすいです。

このように、「品」、「品位」、「気品」は、「品格」と同じような意味を持つ言葉ですが、特に「品格」と「品位」に関しては、人に対して使うケースがほとんどです。

だから、私は、従前の文章の中で、「品格」がないと感じたのだろう、と思うわけです。

ところで、どんな人が「品格」があるのだろう?

一般的には、

1:清潔感があり、身だしなみが整っている
2:言葉遣いが丁寧
3:礼儀やマナーがきちんとしている
4:身のこなしが美しい
5:教養がある

ということがあげられる…。

私はさらに、
一貫性、
自分の生き方に一貫性があることを追加したい。

相手を尊重し、
信頼を大切にし、
一貫性のある生き方。
これが大切なんだよ…。

そんなことを考えた出来事だった。

人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。