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外に向けてではなく、自己を問い、自己を見つめる

何度も同じことを書く…。

なぜ同じことを書くかって、

その時、
私が感じていたことや、
その時の経験は、
今、ここ、
同じことで思い悩んでいる人の希望になるから。

同じことを乗り越えた人がいるとわかるだけで、
思い悩んでいることは、
乗り越えることができる課題となり、
思い悩むことを手放し、
課題をこなすために、
考える対象となるのだ。

あなたの経験は、
やがて誰かの、
生きるための、
希望となるのだ。

「脚下照顧」という禅の言葉がある。

一般には、
「はきものを揃えよ」
という教えとして受け取られることが多いが、
「はきもの」を揃えるのであれば、
「はきものをそろえましょう」と書けばいいのだ。

「脚下照顧」とは、自分の足元をよく見よという意味で、
他に向かって悟りを追求せず、
まず自分の本性をよく見つめよという戒めの言葉である。

私たちは、無意識に外へ向かっての観察は行なうが、
内に向かって自己を観察することはしない。
しないと言うか、苦手なのだ。

例えば会社において、
「今日の上司は機嫌悪いな…」
「今日の会社の雰囲気悪いな…」
「この仕事はやりたくないな…」
「なんだよあの怒り方…」

外に意識が向くと、
「あいつは自分のことは棚に上げて…」とか、
「だから部下がついてこないんだよ!」とか、
余計な意味づけまでしてしまう。

そして、その意味づけに対して、
さらなる意味づけをして、
自分の精神的エネルギーを自ら消耗してしまう。

このように私たちは、
1日の内のほとんどを外へ意識を向けています。
意識を外に向けるということは、同時にエネルギーも使う。
だから気持ちがすっきりしない。
気持ちがすっきりしないから疲れる。
気分転換をして、一時的に元気になっても、
外に意識が向いている限りまた疲れてしまう。

これをすぐに解消する手段はない。
ただできることはある。

・今、感じている感覚に意識を向ける。
(嫌だな、ムカつくなど、今の感覚に気づいておく。)
・まわりで何が起ころうと気にしない。
・つい気にしてしまったら「あ、今、気にしたな」と気づいておく。
(ただ気づいておくだけ)
・気にしたことを単に今起こっていることとして第三者の目として見る。

頭で分かっても実施するのは本当に難しいのですが、
「淡々と」続けていくことが大切。
「淡々と」続けていくことで、
内に向かって自己を観察する能力が向上する。
そう、内に向かって自己を観察することは技術である。
だから、トレーニングすることで、その能力は向上するのである。

少し話は脱線するが、
トレーニングと言えば、
インナーゲーム理論の中に、
「ACTトライアングル」というものがある。 

A … Awareness 観察
C … Choice 選択
T … Trust 信頼

自分を観察して、観察にもとづき、自分の行動を選択して、自分を信頼して行動するということだ。ACTトライアングルが整うと自修作用が働く。
乱れた自分の心が整い、笑顔で心穏やかに生きることができる。

話をもとに戻して…、
「脚下照顧」、
自分の足元をよく見よ、
他に向かって悟りを追求せず、
まず自分の本性をよく見つめよという戒めの言葉である。
つまり、何事も自己を問い、
自己を見つめることが、
大切ということだ。

コーチングでも同じ質問をする。
「本当はどうしたい?」
「何の制約も無かったら何がしたい?」
「何でもできるとしたら、何がしたい?」

これは、自己を問い、
自己を見つめる質問である。
この質問を受けて「考えたこともなかった…」という人もいる。
私たちは、自己を観察することが苦手なのだ。

「脚下照顧」
奥が深い言葉だ。

答えは自分の中にある。
そして、
未来は対話の中にある。

人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。