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あり方を探求する

10年以上同じテーマを文字にしているのだけど…、
それでもわからない。

あり方とは、自分が存在する状態のことなので、
「あり方を探求する」と言うのは、
自分の存在する状態に対する、
意味を探し出すということになる。

意味なんてわからないにしても、
自分の存在を探し続けているということ。

めんどくさい話だな…と、思うかもしれないが、

私たちは、日々の生活であり方を問われることは少なくない。

「将来どんなことをしたいの?」
「将来どんな仕事をしたいの?」
「どんな暮らしや働き方をしたいの?」
「家族や恋人とどんな関係を築きたい?」
「未来がどんな世界(社会)だといい?」

「あなたってどんな人?」

「あなたは何者?」

「世界は、あなたに何を期待していると思う?」

以上の質問は、あなたの「あり方」を問うているわけで、

今までの私たちは、
「いい大学に入って、いい会社に入りたいです!」
このように答えていたら概ねOKで、

でも、その答えって、
よくよく考えると、
自分の「あり方」について答えているわけではない。

なのに、今まではそれでOKだった。

〇〇商事の△△です。

それは立派なところにお勤めですね。

会社が私たちを幸せにしてくれるわけではないのに…。

どんなに出世しようと、地位や名誉は私たちを幸せにしてくれない。

働くために私たちは生きているわけではないのに…。

地位や名誉に執着しすぎると、部下から尊敬すらされない現実…。

そして、過労死…。
人は働きすぎると死んでしまうのだ、これって何なの?

幸せになるために私たちは生きているのに。

幸せになることを考えるなら、

まず、考える必要があるのは、

「どんな暮らしがしたいの?」だろうと思う。

その次に、

「どんな働き方がしたいの?」

これを考える必要がある。

昨今、「働き方改革」と叫ばれているのも、
時代の流れを反映している。

今までの価値観では幸せになれないのではないか…。

「あり方」って、皆が驚くようなことではなく、

「自分が何を大切にして暮らしているのか?」このようなことだと思う。

何が好きで、何が嫌いで、どういう時が心地よくて、

徹底的に自分本位で考えていい。
自分の感情を解放する。

自分本位で考えるからこそ、

相手を認めることができる、尊重することができる。

尊重することができるからこそ、

力を合わせることができる。

だから、「あり方」を明確にする必要がある。

「あり方」を明確にしなくても、

そこそこ生きていける。

「ふわっ」と生きていける。

だけど、人生の最後まで「ふわっ」としたままではいられない。

と、私は思うわけです。

あるアンケートによると、

90歳を超える人に「あなたの人生はどうでした?」と質問をすると、

ほどんどの人が「もっとチャレンジすればよかった!」と答えたそうだ。

「ふわっ」と生きても、人生に後悔がつきまとう。

だからこそ問い続けなければならない問いでもあるのだろう。

簡単には、答えは出ないことを前提に…。

もちろん「毎日問答しよう!」と言っているわけではない。

ただ、「将来どんなことをしたいの?」、
「どんな暮らしや働き方をしたいの?」、
といった具合に、
時にはあり方を問うことで、
今の自分を省みるきっかけとなり、
自分が望む未来に進みはじめることができるのだ。

「より良く生きる」という言葉があるがあるように、
あり方を探求する意義は、
自分の人生を生きている実感を手にすることだと私は思う。

より良くの基準は、自分本位でいいんだよ。

自分は人生の主人公、主人公の役割は人の数だけある。

だから、正解なんてどこにもない。

答えは、自分の中にある。

そして、未来は対話の中にある。

自分の中にある答えを生きる。

しかし、それは、とても難しい。

情熱と勇気を必要とする。

そして、応援してくれる仲間が。

人はひとりでは生きていけないから。

ひとりでは生きていけないから、
仲間と力を合わせるために、
あり方を探求する。

人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。