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敵がいない競争。 -「競争」について考える時間

 先日、「「競争」について考える時間。 #1」を開きました。1回目は9:30〜10:00の30分で「競争」というキーワードで話す時間にしてみました。いろいろと競争に関して話は出ましたが、僕が気になったのは「競争の目的化と手段としての競争」という話でした。
 会での意味合いとしては、競争の目的化は「それに陥ってしまう」みたいな感じであまり良くない結果として話がされました。それに対して手段としての競争とは、競争があることでよりいいものを生み出しやすいみたいな、比較的良い意味合いで出されました。例えば、ノーベル賞を受賞する人は競争を意識しているのだろうかという質問を投げかけてみたのですが、そういう探求物や創作物に関する活動では競争があった方が本人もいいのではないかという話が出ました。たしかに、他の人の作品や成果が刺激になって意欲を掻き立ててくれるイメージが湧きます。
 競争が目的化することが良いのか良くないのかは一旦おいといて、僕は「競争が目的であるとはどのような状態のことをいうのだろうか」と気になりました。残念ながら時間切れでこの話はあまり深掘りできなかったのですが、気になります。そこで少し考えてみたいと思います。

 ノーベル賞の人のことはそれを目指したこともなくよくわからないので自分の体験を振り返ってみます。そうして競争の体験を振り返っていると、「そういえば、競争に敵っているんだっけ?」と思えてきました。
 例えば、受験では合格者何百人という枠に入ることや偏差値〇〇以上を目指します。スポーツのインターハイ予選では出場枠である5位以内とかを目指して、インカレでは大学としてのポイントが入る15位以内を目指したりしていました。就職活動も採用人数内に入ることを目指します。仕事ではコンペみたいなものへの参加経験はありませんが、利益を上げることを目指します。思い返してみると、具体的な敵が見当たりませんでした。ただ、これは僕という個人の特性である気もします。あまり1位を目指したことはなく、もし1位を目指していたら明確な敵がいたのかもしれません。なのですが、1位を目指すわけでなく合格圏内や利益などを目指していても競争をしている感覚はある。これは単なる勘違いなのか。
 勘違いとか思い込みのような気もしますが、やはりそうでもない気がします。なぜなら、合格圏内に入るにしても利益を積み上げるにしても、他よりは努力しなければいけないと思っているからです。つまり敵は具体的な誰かではなく、漠然とした「他」であるということになります。他より努力をするということは具体的には、「最低限、練習を休んではいけないだろう」とか「軌道に乗って余裕が出てきたら次の一手の準備をしなければいけない」と思ってその通りに行動することです。これが動機づけとなって活動が促されることは良いことのように思います。動いていないよりは動いている方が心身ともに健全でいられる気がするし、自信も深まるような気がするからです。しかしそれが逆回転したときには困ります。最低限練習を休んではいけないと思うのは、例えばインターハイに出るような選手は練習を休まないのが常識であり当たり前に実行しているだろうと思っているからです。だから、どんなに疲れていても練習に向かう。場合によっては練習を1回でも休んだり少しでも手を抜いてしまったことが不安として残ったりする。

 少し話を変えてみます。「人生はたったの4000週間」「もう2月、2024年がもう12分の1も過ぎてしまった」といった投稿がSNSやWebメディアにあったとします。これを見ると焦ります。焦ると頑張ろうとします。しかし、何に対して頑張るのでしょうか。
 仮に資格の試験が控えていた場合は、試験日まで〇〇日というカウントダウンを共有するのはストレスにはなりますが合格を目指す上では必要なことな気もします。合格に足りないものをリストアップして残りの日数で逆算してスケジュールに落とし込んでいけば合格の可能性を上げてくれるはずだからです。明確な目標に対するカウントダウンは意味があるように僕は思います。
 でもそういうカウントダウンの使い方を思い返すと、目標が特にない人にとっては意味がありません。むしろ害悪になるのではないかとも思えてきます。なぜなら、目標があればそれに近づくことができますが、目標がなければ近づくこともなくただ不安や焦りだけが残り続けるからです。だからカウントダウン、言い換えると、時間との競争というのはある区切られたクローズドなコミュニティだけで共有されるべきものなのかもしれません。漠然と言い放すと、ただ不安や焦りだけを世界に生み落とすことになります。
 もう少し話を進めると、これからゆっくりと目的や目標を考えようとか、そんなものもなく毎日をおもしろく生きていこうとしている人にとって、カウントダウンは分かりやすい目標を握らせてしまう結果になるのかもしれません。生まれてしまった不安や焦りを拭うには、目標を決めて努力することが一つの解決策になるであろうからです。せっかくゆっくりと何かを考えようとか、競争とは離れて生きていこうと思っている人にとってそれは害になります。

 「私の競争に敵はいるのか?」が今回まず気になりました。いる人もいるのだと思いますが、僕の場合は思い当たりませんでした。今になって気づいて不思議な気分になりました。

(よしだ)

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