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千と千尋の神隠し - 3/5 マチネ&ソワレ (帝国劇場)

 東宝が海外スタッフを招聘して90周年の作品を作る。
 それがオリジナルとはいえ、原作もの。
 しかも、ジブリとはいえアニメ。
 それも、ブラッド・ハークを招聘したというのにミュージカルではなくストレートプレイ。

 そう思った人はひとりやふたりではないと思う。

 ジョン・ケアード筆頭に、招聘されたスタッフに瞠目し。
 プリンシパルキャストのトップレフトには橋本環奈、醍醐虎汰朗、田口トモロヲ、夏木マリと、映像を主戦場とする面々が並び。
 ライトサイドはミュージカルを主戦場とする実力派がずらり。
 カオナシに至っては菅原小春と辻本知彦という自我を前面に打ち出すことができるスーパーダンサーがふたり。
 舞台を支える共演者たちは、ストレートプレイのそれとは違い「アンサンブル」と呼べるミュージカルを主戦場にする人が大半を占める。

 ジョンはいったい何を企んでいるのかー

 観終えた今ならば、ジョンが何故このキャスティングを求めたのかがよくわかる。この物語は「舞台」=ストレートプレイでなくてはならなかったし、そして極めて高い身体能力が求められるという点で、ハイレベルなダンススキル、もっと言ってしまうと体幹の確かさが絶対条件だった。

 私がスタッフィングに大興奮したのは、名前を見ただけで彼らが何を企んでいるのかがわかりーそして、その予想をはるかに上回るレベルで観せてくれるーいや、裏切ってくれるということが容易に想像できたからだ。
 特にToby Oliéの名前には文字通り絶叫した。
 ロイヤルバレエのAlice’s Adventures Wonderland を劇場で観たときの衝撃は忘れられない。コンテンポラリーなどではない、所謂トゥシューズで踊る新作バレエがあまり好きではない私だったのだが、Aliceは最早バレエを超越した無言劇の域に達していたのだ。斬新な新作バレエを無言劇のレベルまで引き揚げていたのが、将にToby Oliéのパペットたちだった。
 直近では劇団四季の「ロボット・イン・ザ・ガーデン」のタングも期待以上だった。
 舞台「千と千尋の神隠し」を観に行きたいと思わせてくれたのは、「人間ならざるものたち」を最適な形で我々に見せてくれるToby Oliéの名前があったからこそだ。

 パペットにオーケストレーション、照明に演出と書きたいことは山ほどあるのだが、何と言っても公演が始まったばかりで、そう言ったことを書くのは憚られる。
 私自身が舞台を観る際に「ネタバレ」をとにかく嫌っているからだ。
 そして、「千と千尋の神隠し」は映画がメジャーであるが故に、ストーリー展開は既知のもの。つまり、今回の舞台化の醍醐味は演出そのものなのだ。どのような手法を駆使して「千と千尋の神隠し」の世界を舞台上に出現させたかというところにこの舞台のコアはある。
 なので、そういった細かな感想は名古屋の千穐楽以降に。
 今は、キャストについてのみ言及したいと思う。

 幸いにして、初日が開けてすぐの3月5日のマチネとソワレ、2公演続けて、それもこの日は昼夜のキャストが総入れ替えであったため、すべてのキャストを拝見することが叶った。
 チケットを取ってくれた友人、そしてWキャストは全員観たい思っていたものの、結局上手くチケットを入手することができずー菅原小春さんと橋本さとしさんも観たかったとぶつぶつ呟いていた私にお声かけくださった方に感謝したい。

3/5 マチネ S席1階L列センターブロック
3/5 ソワレ B席2階L列下手サブセンター

千尋 - 探索の橋本環奈、技術の上白石萌音

橋本環奈

 舞台はまったくの未経験とのことで実は少し心配していた橋本環奈さん。
 だが、とぼとぼと登場したその歩き方に有無を言わさぬ「千尋」らしさが見え、その心配無用であったことを知る。
 ちょっとふてくされた千尋の幼さ、不安と不満入り混じる転校生の心情、寂しさ、かわいらしさがセリフを発する前からきちんと表現されている。
 ひとつひとつのセリフに千尋の気持ちが丁寧にのせられている点もよかった。
 橋本さんの千尋が魅力的だった点は背中に見える感情だった。客席に背を向けているとき、他に役者がいるときにも彼女の背中から伝わってくるあどけない小学生の女の子の感情の数々がひしひしと伝わってくる。
 背中越しに、橋本千尋がどんな顔をしているのかが容易に想像できるのだ。

 その一方で、役者「橋本環奈」は今は「千尋」に引っ張られている。
 役になりきりすぎているともいえるが、「橋本環奈」という役者の体を「千尋」が奪っているように私には見えた。
 千尋の感情が走り出すと、早口になった瞬間に滑舌が甘くなったり、声の安定性が損なわれたり、忙しなくも落ち着かない子供の動きがポロリと抜けてしまうところがでてくる。そういったシーンが気にならないと言えばそれは嘘になる。
 橋本さんが千尋を自らのコントロール下に置くことができていないというのが今の状況だろう。

 ただ、舞台に出ずっぱりの、それも大人が子供を演じていることを感じさせてはならない役を初日あけてすぐの段階で高いレベルで演じることに彼女は成功している。間違いなく、この先どんどん進化する。
 願わくば、最終盤(名古屋)にもう一度観てみたいと思っている。

 橋本さんの中には元々「千尋」がいたのだと思う。
 彼女にとっての稽古は、その千尋を探し出し、揺り起こし、動かすことだったのではないだろうか。
 初日があいたばかりだったこの日は、目覚めた千尋が無我夢中、全力で走っている途中だったのだろう。今の彼女はまだ「千尋」なのだ。
 意識的に「舞台で魅せる」ということ、そして、心の動きを身体と切り離してーそれは頭の中に冷静な橋本環奈を保ち続けるということを意味するがー体と演技のコントロールができるようになったならば「橋本環奈が演じる千尋」はもっともっと魅力的になっていくはずだ。

 私が観たいのは「千尋」ではない。
 「橋本環奈が演じる千尋」なのだ。
 粗削りながらも魅力的な千尋が、舞台に立つとはどういうことかということを経験として蓄積していくことで、どう成長していくのか。
 千尋の成長は舞台女優としてスタートラインに立ったばかりの橋本環奈の物語そのものだ。
 それを目撃するのが今はとても楽しみだ。 

上白石萌音

 大劇場も小劇場も経験が有り、舞台で如何に立ち居振る舞うかをきちんと理解しているというのはこんなにも強いことかということをまじまじとみせつけてきたのは上白石萌音さん。
 彼女の柔らかな雰囲気からは想像もつかないがしっかりとしたダンスの基礎と体幹の確かさが小学生の少女を舞台の上に出現させる。
 今回の「千と千尋の神隠し」はジョン・ケアード演出としては驚くほど多様な道具が使われているが、その演出は実はとてもシンプルだ。そのシンプルな舞台を支えるのは役者たちの確かな実力であり、そこには身体的能力も含まれる。

 上白石さんは演じる人物の感情が高ぶり溢れ出る瞬間を観客に届けるー観る者の心を掌握する能力が高いが故、兎角その芝居に目が行きがちだが、それを支えているのは実は表現したいものを確実に表現しきる技術力だ。
 アニメならでの、平面上でキャラクターが演じるからこそコミカルになる動きを実に自然にさらりと演じてみせる。アニメの動きをそのまま再現しては不自然になるところを実にうまく、あたかも振付のように織り込んでいる。
 今回、アクロバティックなシーンが多々あるが、これらのシーンがしっかり決まる=型にはめられるのは体幹の確かさと全方位から自分がどう見られているかを客観視できる能力に外ならない。
 とあるシーン、千が風を感じるシーンがあるのだが、上白石さんは小さな動きで自分の周囲に風を発生させた。観客は小さな魔法を観たかのような気持ちになる。神々の存在をそこに感じさせることができる。

 特に1幕においては「その動きを舞台で再現するのか」と、唸るシーンがいくつもあり。これは上白石さんの力量をジョンが十分に理解しているからこそ、実現できたシーンであり「振付」であったと思う。

 なお、舞台における技術力や舞台向けの演技という点において、橋本さんはどうしても上白石さんに劣後してしまう。それは勘の良し悪しだけではカバーしきれない。こればかりは経験値がものをいう世界であり、初舞台の橋本さんにはどうしようもない問題である。
 だが、そんな橋本さんも、観客の目にしっかりと耐えられるだけのエグゼキューションレベルに達していたということはしっかりと書き添えておきたい。舞台経験で「一日以上」の長がある上白石さんを前提とした演出をしっかりとこなしていた。
 初演のWキャストで各々が得意とするシーンを作ることで、作中で役者を成長させるというところに、ジョン演出の憎さを感じずにはいられない。

 そして。よもや「千と千尋の神隠し」でまさか泣くとは思わなかった。
 「ナイツ・テイル」において幼馴染のエミーリアに「もうひとりは…フラヴィーナ…だった?」と尋ねた瞬間、エミーリアのこみあげる感情が劇場内に伝播し、ぽろぽろと涙が零れて仕方なかった。
 オーケストレーションとエミーリアの音月桂さんの芝居が相乗効果で観客の心の扉を勢いよく開け放った。おふたりの芝居が素晴らしかったことが一番にあるが、観客を「泣かせる仕掛け=演出」がしっかりとできていたということも大きかった。
 一方、「千と千尋の神隠し」では上白石さんの千尋はひそかに、とても静かに観客の心の間に入って来た。幕が下り、舞台を後にする千尋は耳をなでるほど小さな風を起こし、両親のもとへ駆け出す。
 千尋が足を止める一瞬、かすかに作られた表情そして、その小さな風が柔らかく客席に広がったのだ。
 余韻とは本来、観客が受動的にー「感じる」ものであるが、上白石さんは余韻を「演じ」てみせたのだ。脱帽のひと言だ。

 そして、「ナイツ・テイル」においても、公演最終盤に演技プランをがらりと変えた上白石さんだからこそ。またもう一度観たいと、そう思ってしまう。
 (リンクは「ナイツ・テイル」博多座千穐楽レポート)

 橋本さんは自らの「千尋を掘り出す」作業をするのとは反対に、上白石さんは自らに「千尋を宿す」ことを自らに課している。
 なんと面白いふたりなのだろう。
 実は、私はあまりWキャストを好まないのだが、アプローチが全く違うだけに、興味深かった。

ハク - ふたつの光を纏う三浦宏規

醍醐虎汰朗

 大変申し訳なくも、今回のキャスト発表で初めて聞いた名前で、調べたところ「天気の子」の主人公を演じていた。先に観劇された原作ファンの方から、千尋との身長差や、少年感が強く出ており原作にあるような、そして思い描いた通りのハクだったと聞き及んでおり、楽しみにしていた。
 ただ、残念なことに私が観た日は、1幕の声はずっとくぐもっており、セリフもこもり気味で聞き取りづらく。
 「ハクってふたりいるの?」と千に言わしめる二面性も見えなかった。
 なお、音響スタッフの名誉のために書いておくが決して、マイクセッティングの所為ではなかった。
 2幕に入ると声も通るようになり、演技も溌剌としたもののが2階席後方にまでしっかり伝わって来た。1幕とは全く違う醍醐ハクがいた。
 それだけに、このパフォーマンスが1幕から見られたならばと残念でならないし、故に現時点において彼のハクについて感想を書くことができない。
 ベストコンディションで拝見する機会を得られたのならば、その時に追記したいと思う。

三浦宏規

 ハクを演じる上で求められるものは「異質であること」。
 その異質さとは、纏う空気であり、同じ空間に居ながらも異なるレイヤーに存在しなくてはいけないというものだ。「ハクは怖い」と油屋の面々は言うが彼らが怖いと感じるものは将にこの「異質感」にある。
 三浦さんのハクは目の前にいるが、触れようとすると触れられないー彼と周囲の間には透明で硬質なガラスが存在する。

 三浦さんが所謂2.5次元出身の俳優と聞いたときに、正直なところ不安がなかったわけではない。彼はすでにグランドミュージカルなどに出演しており、自分の役を演じることはできる。だが、アニメが原作の本作において、彼が「ハク」ではなく「三浦宏規のハク」を作り上げられるのかという点は心配だった。
 2.5次元はキャラクターを活かす=自己犠牲の上に成り立つ演劇であり、確固たる原作がある本作で、原作に忠実に演じるのではなく、己を活かすー魅力を十分に投影させることができるのかが焦点だと思っていたからだ。

 油屋に迷い込んだ上白石さんの千尋を追いかけていた私の前にハクは突然現れた。油屋の賑わいの中、ハクが息をのむ音で彼の存在に気が付いた。
 その時-ハクが人間の千尋に気が付いたそのとき、そこに空気の層が見えたのだ。それは琥珀川に千尋が落ちたときの映像に通ずるような、温かな色彩乱れる舞台セットの中にハクが落ちてきたかのような。
 服の色だけではない。寒色系の光を一瞬、強く感じさせるものがあった。
 舞台に登場した瞬間の「異質感」が三浦さんをしっかりハクたらしめた。

 また、上白石さんの項でも書いたが、彼の身体的能力がハクを表現するに十分な才能であったという点も書き添えておきたい。
 どこを切り取っても美しいのだ。
 それはハクの佇まいであったり、龍の強さであったりするわけだが、滞空の一瞬でさえ美しいのだ。
 バレエ特有の体を引き上げる動きと、ハクというキャラクターの居住まいとでもいえばいいだろうか、そこに不思議な親和性が見えた。

 三浦さんのハクは原作にある少年よりも少しばかり歳を重ねた青年のような雰囲気がある。それは身長差といった目に見えるものではない。
 千尋を見守るときにだけ見せる一瞬の暖かさ。ハク自身でさえ気づかぬほどの柔らかな感情。それがとても自然で、ハクという記憶を失くした「青年」の自然の姿をすっと受け入れることができたのだ。

 そして、千尋にとってハクは恋とも愛とも言えない、でも確実にこれまでに抱いたことのない感情を抱いた相手だったのだなと思わせる。
 舞い上がる桜の花びらを、初夏の木漏れ日を見上げるようなー眩しさに思わず目を細めてみたくなるような美しいものへの憧憬のようなもの。
 もし、その感情、いや感覚に近いものかもしれないが、そこにあえて名前を付けるなら「はつこい」なのだと思う。
 酸いも甘いも、甘酸っぱいというものですらない。
 漢字にすらならない「はつこい」は今は失われてしまった琥珀川のせせらぎの音と澄みきった水が千尋自身の体に染み入るようなもの。
 ただ、それは特別な感覚であり、千尋がそれを忘れることはないだろう。

 なお、醍醐ハクはあくまでも涼やかな空気であり続け。
 「はつこい」を感じさせるものはなく、原作に忠実なキャラクターとして私の目には映った。

 千尋が元の世界に戻った後、ハクは舞台に一瞬現れる。
 かつての青白い光ではなく温かな柔らかな光を纏って。
 だが、三浦さんの表情は過度な感情や感傷に浸るものではなく、ごくごく自然なものだった。上白石さんが余韻を「演じた」のと同様、三浦さんは淡々とした佇まいで余韻を「作って」みせた。
 いいコンビを見せてもらった。
 橋本さんとのコンビではどんな終幕が待っているのだろうと思うと、その組み合わせもとても興味がある。そして、きっとそれを拝見するとまた上白石・三浦でももう一度観たくなりあれやこれやと空想したくなりそうだ。

 なお、原作ファンの方が三浦さんの身長の高さが心配=身長の所為でハクに見えないのではと懸念していたが、原作にさしたる思い入れがあるわけではない、純粋に舞台として楽しみたいと思っていた私の目には三浦さんの身長は一切気にならなかった。
 原作が好きな方にとっては彼の身長は高すぎると思われるのかもしれないが、取るに足らないつまらぬことであるし、そういった点が気になる方は舞台という芸術を楽しむのにそもそも不向きであろう。

カオナシ - 孤高の菅原小春、調和の辻本知彦

 今回、ジョンがキャスティングした中で、絶対に両方観なくてはと思っていたのは「カオナシ」だった。
 個性のかたまりである菅原小春と辻本知彦を自由裁量でどれほど躍らせるのか、コンテをメインに据えつつ、豹変したカオナシにどれほどアグレッシブな振付をするのかという点がキャスト発表時の一番の興味だった。

菅原小春

 菅原さんには大変申し訳ないのだが、彼女がカオナシのダンスを踊るのに一歩足を踏み出した瞬間、私は笑いをこらえることができなくなっていた。
 カオナシの面を被っているというのに、そしてこの日の私は2階最後方の席に座っていたというのに、いや、最後方に座っていたからこそ、カオナシの登場や動き出しが見え。
 そして、隠しきりようのない「菅原小春」の圧倒的存在感をそこに見てしまったのだ。
 私が菅原小春というダンサーを知らなければ、ただ圧倒されて終わったのだろうが知っていたが故の悲劇かもしれない。
 1幕のカオナシはとても静かだ。その中でコンテンポラリーを基調としたダンスを踊る。ひとつひとつの要素が鋭角的で明確な菅原さんはちょっぴりコケティッシュな要素を入れてくる。

 先ほど「千尋」ではなく「橋本環奈が演じる千尋」を早く観たいと書いたのだが、菅原小春のそれは「カオナシ」ではなく「カオナシの服を着た菅原小春」に見えていた。
 ジョンは役と役者の中間を目指して演出を付けるが、カオナシについてはその点、不問だったのかもしれない。

 ただ、これが一転するのが2幕だ。強烈な個性を放つ菅原小春が放つパワーが豹変するカオナシのそれと重なり舞台上ではじける。
 彼女のカオナシは2幕の動と静のコントロールが圧巻だ。そして、油屋を離れ本来の姿を取り戻したカオナシの静けさの表現が見事なのだ。
 舞台全体の中でのバランスというよりも、カオナシのストーリーのバランスをきっちり抑えにきたとの印象である。
 カオナシの振付はひとりだけ異質なものとなっている。その異質さは決して調和させてはならないのだが、ひょっとしたら舞台に現れた瞬間、踊り出す直前2秒ほど、カオナシに自然と視線が向かうような演出があると異質感ーそれは菅原小春という稀有で特異なダンサーがストレートプレイと出会う瞬間とも言えるだろうーがちょうどいいレベルに調整されるのではと感じている。
 普段、セリフのある舞台に立つことのない菅原さんがダンスで雄弁に語るのを観るのは実に面白かった。
 なお、踊りを頭で再生しながら振付の意図を考えているが、まだ答えは見つかっていない。

辻本知彦

 対する辻本カオナシは組織の中で踊った経験が存分に活かされたものだった。特に1幕のカオナシは菅原小春に感じたまでの鋭角さはなく、カオナシとはいったいどんな生き物(?)なのだろうかと想像をしたくなる踊り方だ。

 触れても彼が何者であるかが分からない。
 菅原カオナシには一本通った芯があり畏怖の念が沸き起こるが、辻本カオナシにはおっかなびっくりしながらも触りたくなる雰囲気がある(青蛙よろしく、飲み込まれることを覚悟する必要があるが)。
 辻本カオナシに感じるのは「可愛げ」であったり、得体が知れないというのにもかかわらず「愛らしさ」であったりする。

 辻本さんはおそらくカンパニーの中で自分がどう存在するべきかどう見えたら作品が良くなるかという公の視点をそれなりに持っておいでのように思われる。それ故か、豹変するカオナシをわずかにおとなしいと感じてしまうのだ。
 1幕の表現を控えめに押さえているからこそ、もっと爆発的にできる表現があると思った。
 おそらく、様子を見ながら自分を解放していくと思われるので、そんなタイミングで拝見出来たらとても嬉しい。

 ひとつの役を踊るのにも、1人のダンサーたることを選ぶ菅原小春に対し、作品のパーツの中で自分を表現する辻本知彦ー作品に吹く風が全く異なる。
 ジョンはいいダンサー、そしてコリオグラファーを選んだと思う。

リン/千尋の母
 - 原作に寄り添う咲妃みゆ、自然派の妃海風

 近年、宝塚を卒業した娘役が活躍する場が増えてきた。
 昔はトップ男役の方が舞台に立つ姿はよく見たが、相手のトップ娘役でなかなかプリンシパルキャストに定着する人が少ない印象があった。
 今回のキャスト発表で、よくぞこのふたりをキャスティングしてくれた!と思ったのが咲妃みゆと妃海風だ。宝塚時代から魅力的なふたりだったが、退団後に更に進化を続けている。タイプは違うが真摯な姿勢と、体当たりしながらきっちりと役を作りこむ魅力的なふたりの役者だ。

咲妃みゆ

 リンと母親という千と千尋、それぞれにとってパートナーたる女性をどう演じるのかとても楽しみにしていた。

 今回、意外だったのは咲妃さんが原作に寄せるという作業をしてきたことだった。彼女ほどの演技力があるならば、原作の世界を押さえつつもっとキャラクターを発展させることができたであろうに、セリフ回しや間、そしてちょっと大げさに見えるアニメ特有の表情ー
 そういったものをひとつひとつ拾い上げ、つなぎ合わせるという手法を取っていたのだ。千尋の母も、リンも同じ手法で演技を組み立てていた。

 彼女の明瞭な滑舌は歯切れがよく、リンのちゃきちゃきとしたキャラクターによくあっている。丁々発止のセリフを一か所噛んでしまったところだけ本当にもったいなかったのだが(そういった僅かな綻びで、どうしても観客は現実に引き戻されてしまう)、どこまで行っても実に気持ちがいい。

妃海風

 柔らかくちょっとおっとりとしたイメージがある一方「ぶっ飛んだ」役柄も躊躇なく演じられるのが妃海さん。
 きっと楽しくコミカルなリンを演じるのだろうと思っていたら、妃海リンは正統派の演技でぶつかって来た。
 咲妃リンが少し大げさに動いてみせるところを、控えめに、ナチュラルに演技をする。観ているこちらの気持ちを途切れさせない工夫があった。
 だが、要所要所で押さえるべき型はしっかり決めているので、演技が流れるようなことは決してないし、彼女のところで目が思わず止まる。

 ふたりのこれまでの芝居を思い起こすと、リアリティを追求する咲妃さんと2次元の再現性を追求する妃海さんという構図になるかと思っていたので、いい意味で裏切られた。
 観客は、再現性を追求する咲妃リンには正対することとなり、結果客観的に舞台を観ることになる。片や、妃海リンを目の前にすると自分が千になったかのような錯覚に陥る。
 いずれもいいアクセントを添えているのが流石である。

窯爺 - ハートフルな田口トモロヲ、チャーミングな橋本さとし

 似た者同士をキャスティングしたなぁと思ったのは窯爺。
 映像と舞台とルーツは異なるふたりだが俯瞰能力が高く、細やかな対応ができるという点がよく似ていると感じた理由かもしれない。

田口トモロヲ

 田口窯爺はジブリに出てくる口下手だが実は暖かく優しいという人物をしっかりと再現している。そんな彼の窯爺にはハートフルという言葉がしっくりとくる。
 映像をベースに活躍される方だが、舞台が生物であることを強く意識されており、臨機応変さが光る。

橋本さとし

 橋本さんの鎌爺は呼吸の仕方だろうか…今にも歌い出しそうという瞬間が幾度もあった(実際歌うシーンはあるのだが)。
 田口さんの窯爺を先に見ていたので、全く異なる演出があるのかと思っていたが、役者の特性に合わせた演出の違いはなかった。
 開演前の「あれやこれや」にはじまり、サービス精神の塊の橋本さんも舞台で起きることを丁寧にレシーブしていく。爺と呼ぶには少々若くハリツヤがある声はチャーミングだ。

 なお、開演前、終演後にはそんなふたりからちょっとしたお楽しみがある。開演3分前には座席にてお待ちいただければと思う。

湯婆婆 - オリジナルの枷を嵌められた夏木マリ、夏木マリの枷を嵌められた朴璐美

夏木マリ

 「東宝は本気だ」
 舞台の発表からこの方、そう感じるシーンが数多あった。
 夏木マリを再び舞台の上に引っ張り出したことはそんな彼らの本気を感じる事象のひとつだった。

 今回、キャストの中では唯一の「オリジナルキャスト」の夏木さんは一番辛い立場だったのではないかと思う。演技を変えてしまえば、原作を知っている人からは「湯婆婆ではない」と言われる可能性が極めて高いからだ。
 また、100%の力で1回を吹き込む映画と、3時間を毎日務める舞台では力の持って行き方が全くと言っていいほど異なる。

 夏木さんはどう調整していくのかー
 夏木さんの出した答えは明快だった、20年前の声を、継続できる声量で。
 こういったところのバランス感覚が流石だなと感心した。

 ただ、同時に少し勿体ない気もした。
 アニメの公開から20年余経った今、夏木さんは当時よりも「婆」になっている。映画から舞台に場を移して、新たな発見もあったに違いない。そういったものを織り込みづらい状況にあるのは間違いない。
 夏木さんが自由にお芝居をしてくださる日を観客のひとりとして私は待ちたいと思う。

朴璐美

 夏木マリさんとは異なる意味で辛い立場にあるのは朴璐美さん。
 誰もが知るアニメのオリジナルキャストの夏木さんとWキャストを組むということのプレッシャーを朴さんは映画における「夏木マリの湯婆婆」を踏襲する手法で出てきた。

 何もかもをというわけではない。
 映画で印象的だった湯婆婆のセリフを「夏木マリの湯婆婆」の間で演じてみせたのだ。結果として、それは成功を収めているし、魅力的ではあるのだが、前述の通り私が観たいのは「朴璐美の湯婆婆」である。
 原作のインパクトが強いうえにオリジナルキャストまでいるという枷が彼女から演技の自由度を奪っている。そのことがもったいないという感想に繋がってしまっている。

 何故なら、朴さんは銭婆のやさしさやかわいらしさというものを夏木さんのアプローチとは少し変えて演じている。ハクやカオナシに見せる表情や声音は夏木さんのそれとは違っていて、相容れない双子の姉妹の演じ分けがとても魅力的だったのだ。
 7月の御園座まで公演は続く。それまでの間に、朴さんが思う湯婆婆を拝見できればと願ってやまない。

 夏木さんも朴さんもアニメから抜け出てきたかのように演じるものだから、今自分が何を見ているのかということを忘れそうになってしまった。

兄役/千尋の父 - 大澄賢也

 ジョンが演出を付けるとき、演じる役者と役の境目を目指すように役作りを誘導するというのは前述したけれども、大澄さんについてはジョンの中に確固たる「大澄賢也」という役があるのではないだろうかと思ったが兄役のとあるシーン。
 「ナイツ・テイル」のフローラの森だったのだ。
 首の使い方、扇の扱い、腰の落とし方、狂言回しのような振る舞いー
 ジョンが大澄さんに求める役割がよくわかる。

 そして、大澄さんはやはりいい役者だなと思ったのは、実は出番が少ない千尋の父としてのシーンだった。どこにでもいる平凡な父親。彼と母親、千尋の3人で「神隠し」に会う前の人間の世界を場内に広げる必要があった。
 そして、それは終幕のシーンにおいてもだ。
 「神隠し」の世界が成立するのは「人間の世界」の確かな描写がなされているからだ。短いシーンだが、そこが丁寧に表現されていなければこの舞台の成功は有り得なかった。
 千尋の母を演じる咲妃さん、妃海さん含め、実にいい組み合わせだった。

 また、子供の頃の記憶ではあるが、映画を見たときに荻野家は何らかの理由で辛うじて家族の体裁を保っている一家、家庭崩壊しているとの印象を持っていた。父と母の間に流れる微妙な空気感、そして父の転勤にふてくされている千尋が隠そうともしない不平や不安ーそういった感情が重なり、何とも居心地が悪かった。
 序章においてはその居心地の悪さ、そして終幕においてはその不和の空気が和らいでいたのが面白いと感じた。人間だった時の記憶を失っていた両親=神隠し前から変わらないふたりと、多くを経験し成長した千尋が再び家族に戻った時に流れる空気の変化には思うことが多かった。

青蛙 - おばたのお兄さん

 WAITRESSのキャスティングが出た時、本音を言うと「芸人の人が出るのか」と思った。オギーというキャラクターを考えるときに、芸人が演じるというのは「あり」ではあるものの、他にできるミュージカルの俳優さんがいるだろう、客寄せパンダ的な役回りなのだろうかと逡巡した。
 ところが、1幕が終わった時には私は彼に対して心の中で謝罪することになった。歌える、踊れる、芝居もいける。寧ろ、貴方はなぜ芸人(お笑い)をしているのと思ったぐらいだ。

 そんなおばたのお兄さんが演じる青蛙は、彼のものまねなどにも対応できる芸人としての多彩な表現力と実力、体育大学を卒業できるだけの見事な身体能力、演技者としての勘所の良さ。そういったものが完璧に合わさっている。
 映画でもおなじみの青蛙が気絶をするシーンが舞台においても再現されているが、そのシーンは是非見逃さないでもらいたい。また、カオナシに取り込まれてしまった後、カオナシの中心にいるのも彼だが、その動きが安定しているのも観ていて心地が良い。
 表情の付け方、声の抑揚、黒子に徹するべきところとそうでないところの判断、状況に応じた身のこなしー
 よくぞこんな役者を見つけてきたと。
 最初に彼をミュージカルにキャスティングした人に感謝したいし、青蛙に彼を抜擢したジョンにGood jobと伝えたい。

「アンサンブル」

 ストレートプレイなので「アンサンブル」という表現は適さないのだが、アンサンブルの皆さんにもぜひ注目して頂きたい。
 ただ、アンサンブルの動きについて書いてしまうと、完全なネタバレとなってしまうので、それはまたの機会に。
 ミュージカルをご覧にならない方にはなじみの薄い名前の方も多いかもしれないが、アンサンブルだけで1公演できるほどの実力者揃いだ。
 アンサンブルをその他の人々などと侮るなかれ。彼らひとりひとりをじっくりと観たいのだがとにかく見るべき場所があまりに多く、目が足りない。
 舞台の面白さにのめりこむこと必至である。


 漫画やアニメなどの原作ありきの舞台が増えてきた昨今、2.5次元とそうでない舞台の違いは何ぞやということを観劇を趣味にしていると嫌が応にも考えさせられることがある。
 「千と千尋の神隠し」の舞台化が発表になった時、正直お金をふんだんに使った2.5次元の舞台になるのではないかと危惧していた。それが杞憂に終わったことに今の私は安堵している。

 私の中で2.5次元とそうではない舞台の違いを未だ明確にできていない部分がある。だが、今回の観劇を通じて、違いの最たるものは演じる役者の役に対する解釈を選択できるか否かにかかっているのではなかろうかというものだった。
 それ故、私は映画にあまりに寄せ過ぎた、本役になりすぎている人を勿体ないと感じたのではないかー
 異なる役者が演じるからこそ起きる、それも現場でなければわからない化学反応が舞台の大きな醍醐味であると思っているからこそ、役者にはその役者として与えられた役の人生を生きて欲しい。
 そう願っているのかもしれない。


 また、たくさんの方から質問を受けるので席についても書いておく。
 今回の舞台、どの席からでも楽しむことができるが、1回しか観劇予定がないという方には是非2階S~A席をお勧めしたい。もっとも、チケットを選択できるような余裕は完売の本作においては全くないのだけれども。

 ジョン・ケアードが作る世界は本当によく作りこみがなされている。舞台の世界観を十二分に味わうには2階席がベストだ。
 また、1階席でも是非後方を候補に入れて頂きたい。
 好きな演者をできる限り間近で観たいといった方には全く適さないアドバイスかもしれないが、作品を堪能したいという方には絶対に2階をお勧めする。私は好きな演者がいても作品として楽しみたいという意識が強いので、そういった人の意見だと考えて頂きたい。

 なお、経験と周囲の話を総合すると前方席1階F列より前になると、床が見えず、楽しい演出のあれやこれやが観えづらいということも書き添えておく。

 また、今回に限ってはA席とB席の差は大きいと感じた。
 ジョンが演出する舞台の中ではとびっきり道具が多い今回の舞台は、舞台スタッフ含めて精鋭部隊が揃っている。だが、そんな百戦錬磨の精鋭部隊をもってしても、どうしても「カラクリ」が見えてしまう瞬間がある。
 純粋な驚きを得られるという点において、今回の公演に関してはA席とB席の差、もっとはっきりと書くと値段差がしっかりと反映された料金になっていると考えて頂き差し支えない。
 

 そして、これから「千と千尋の神隠し」をご覧になるという方に是非お願いしたいことがある。特に、これまで劇場に足を運んだことのない方に。
 また、観劇が大好きな方にも。

 劇場のエンターテイメントはコロナ禍が始まってからの2年間、失われた時を過ごしてきたし、今もその状況は続いている。
 舞台の幕が上がるまではスタッフはおろか、役者同士でさえマスクで互いのフルフェイスが見えない状況で稽古をし。スタッフひとりにコロナが発生しただけでも、仮に出演者が全員陰性であったとしてもその度に公演を最低3日は中止するという厳しい対応を続けている。

 観劇をする方々、お願いします。

① 劇場に入ったら、おしゃべりはやめましょう。
 


ひとことふたこと、必要最低限の会話まで自粛する必要はありません。
 ただ、何往復もする会話はNGです。

② マスクは不織布のマスクを正しく装着しましょう。
 
布やウレタンのマスクは飛沫を防ぐ効果は低いことが科学的に証明されています。不織布のマスク、それもできるならば、N95やKF94といったマスクを使用してください。
 不織布のアレルギーがある方は、布マスクの上に不織布を重ねて装着といったことも候補に入れて頂きたいです。
 ちなみに私は劇場にいる間はSHARPのクリスタルマスクの上にKF94を重ねています。

③ 思わず笑ってしまうのはOK、でも感想は終演後、外に出てからに。
 面白いシーンも驚くような演出も、舞台の醍醐味が詰まっています。このご時世、大声で笑うのはいただけませんが、マスクの下でわっと言ってしまうのも、くくっと笑うのも大丈夫、問題ありません。
 ですが。
 「すごかったね!」「どうなってるの!?」
 気持ちは分かりますが、上演中に感想を語り会わないでください。上演中の会話は他の皆様に迷惑です。貴方が座している場所は「劇場」です。

【2022/3/22追記】
④ 拍手は自分の顔の高さまでで。

 「とっても良かった!」ということを舞台に携わる人たちに伝えるのに拍手は最高の手段です。特に発声ができない今、拍手で気持ちを伝えるということは大切です。
 ですが、頭上で拍手をするのはやめましょう。貴方の後ろの人の視界を妨げることになります。

⑤ 携帯電話は絶対に切りましょう。
 静かになったシーンや終幕のシーンであろうことか携帯のアラーム音が鳴り響くというシーンに遭遇してしまいました。1階で鳴ったものが2階にまで聴こえます。また、開演しているのにLINEをしている方にも遭遇したり。
 ちなみに、少し離れた場所でバイブレーションが鳴っていても分かりますし、電子機器の明るい画面も同様であったりします。
 劇場という非日常空間をみんなで楽しむため、開演前の確認にご協力ください。

【2022/3/11 追記】
 おばたのお兄さんがアナウンスの記事を書いてくださいました。


 普段、舞台や劇場に縁のない方々が劇場に来て下さることを舞台ファンはとても嬉しく思っています。そして同時に。

 出演者やスタッフ、公演に関係する人が誰一人欠けることなく、「千と千尋の神隠し」の全119公演を完走して欲しいと切に願っています。

 公演完走のために、貴方と同じように舞台を楽しみにしている方々のために。

 どうか、ご協力のほど、よろしくお願い致します。


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