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ループライン#22

【中央公園駅】…………Nonoka Hasegawa (5)

 大泣きしている間にも当たり前に時間は流れていて、街の空に五時の音楽が響き渡る。この放送もそろそろ四時に早まることだろう。辺りは既に群青に染まっていた。

「さて、私達二人とも、そろそろタイムリミットでしょうねえ」
「せっかく泣いて喋って少しすっきりしたのに、帰ったらまた元通りになりそう。あたしこわい」

 だからどうしても、ベンチから立ち上がれない。飲み終わった缶を捨てに行っていたおじさんが戻ってきて、何か考えるようにあご髭を撫でた。

「お嬢さん、よろしければ……私と協力しませんかな?」

 ――協力?

 こてん、と首を傾げると、男性はポケットから携帯電話を取り出した。スマートフォンではなくガラケーだ。

「貴女もとにかくおうちに一度連絡した方がいいでしょう? 私もそうです。そこで、うちの者に貴女から一言添えて欲しいのです。ご迷惑でなければ、私からも貴女のおうちの方に遅くなった簡単な説明をします」
「いっしょに言い訳してくれるってこと?」
「助け合い、ということでひとつ……如何です?」

 言いながら携帯を手渡される。これで家に電話しなさいということなのだろう。気は重いが仕方がない。このままグズグズしていても状況は悪くなるばかりだ。覚悟を決めて頷くと、乃々花は自宅の番号をプッシュした。知らない人の携帯に番号が残ることに少しだけ心配が頭をよぎったけれど、悪い人ならこんなに回りくどいことはしないだろうと思い直す。

 数回のコールの後、応答したのは予想外に幼い声だった。

『もしもし』
「あ、っと、もしもし?」
『……おねえちゃん?』
「うん、そう」
『どこいるのー? もうよるだよ』
「うん、今から帰るよ。お母さんは?」
『おねえちゃんいないって、おそとみにいってる』

 それはちょっと、考えていなかった。

「そっか、じゃあ、すぐ帰るってお母さんに……」
『あ、まって、いまもどってきた。かわるね』

 おかあさーん! という呼び声が遠ざかり小さくなって消える。すぐにバタバタと足音が近付いてきて、荒く受話器を持ち上げる音が耳に届いた。

『もしもしっ乃々? 今どこ?』

 その焦ったような声を聞いた途端、喉の辺りが詰まったように苦しくなった。嗚咽が漏れそうになるのを何とか飲み込んで、『中央公園駅』と小さく口にする。

 ――もっと、頭ごなしに怒られると思ってた……。

 乃々花が二の句を継げないでいると、相変わらずバタバタする物音をBGMに、矢継ぎ早な質問が飛んできた。

『駅? しかも隣駅なの? 一人で? もう五時よ?』
「え、えっと」
『ああいいわ。とにかく今から行くから。改札の所で待ってなさい。駅員室の近くの明るいところにいるのよ、いい?』
「うん……わかっ」

 た、まで言う前に通話は切れ、乃々花はポカンとしたままツー、ツー、という電子音の繰り返しを聞いていた。会話が途切れたのを見計らって、男性が問うような顔をする。そうだ。途中でかわって言い訳をして貰うはずだったのだ。でも。

「切れちゃった……迎えに来るって」
「おや。モノレールで来るのですか?」
「ううん、改札で待っててって言ってたから、多分自転車じゃないかな」
「そうですか。では下に降りましょうかねえ。私の迎えも車で来ているはずですので」

 どうやら飲み物を買いに行った際に既に何らかの連絡を入れていたらしい。帰りづらいと言いつつもちゃんとしている。やっぱり子どもは子ども、大人は大人だ。乃々花は恥ずかしさに俯きつつ、お菓子をしまってリュックを背負った。
 改札へ向かう階段を下りながら、気になっていたことを訊いてみた。

「あの、おじさん。あたしのお母さんに、なんて言い訳するの?」
「そうですねえ。“探し物を手伝ってくれた”と、お伝えしようかと。これなら嘘にはなりませんから」
「……どうして?」
「私は喧嘩の後で帰りづらくて、言い訳を――帰宅が遅くなったもっともらしい“理由”を、探していましたからねえ」

 悪びれずにそんな事を言う。目と鼻を赤くしたまま、乃々花はニコリと笑った。

「たしかに……そうだね」
「いやはや流石、何とも大人な返しですなあ」

 蛍光灯の白い光の下、改札を抜けた。開けた視界の先には真っ黒な車が一台。駅や街灯に照らされて、夕闇の中でもピカピカなのが分かる。車の傍らにはスーツ姿の若い男の人が一人立っていて、じっとこちらを見ていた。

「……もしかして、あの車おじさんのお迎え?」
「ええそうですよ」

 ――お金持ちのおじさんだったんだ。

 スーツの男の人は丁寧に頭を下げたけれど、特に話しかけてくることも歩み寄ってくることもなかった。おじさんも乃々花と並んで券売機の近くに立ったままだ。

「説明しにいかなくていいの?」

 おずおず尋ねれば、いいのです、ときっぱり返ってくる。

「見ず知らずのおじさんと車の所にいると、貴女のお母さんがいらっしゃった時に余計な心配をさせてしまうでしょうから」

 狙ったようなタイミングで、自転車のベルの音が遠くから聞こえてきた。


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■2021.02.16 初出

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