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ループライン#30

【スカイプラザ駅】…………Shuu Negishi(5)

 窓の外に広がる空は晴れてはいるのにどこか霞んだように薄い。文句のつけようのない快晴が続く真冬が終わり、確かに季節が春へと移ろっているのを感じる。
 じっと外を眺めている間に運転士がやってきて、すぐにモノレールは夕陽が丘駅を出発した。歩けばそれなりに時間がかかる距離を、モノレールは空を滑るように結ぶ。焦れる思いを宥めていればあっという間にスカイプラザ駅だ。

 ――あれ、は。

 車窓から見覚えのある顔に気が付いた。車両のドアが開くより先に、彼女達もこちらに気付いたらしい。驚いたように目を瞠り、それからぱっと笑顔になって真ん中から先頭の車両へ歩いてきた。

「根岸のおじいちゃん! こんにちはっ」
「こんにちは、根岸さん。偶然ですね」

 おじいちゃん、と呼びかけられはしたが、楸に孫はいない。彼をそう呼ぶのは近所の子ども達と、以前、偶然知り合って以来親しくしている女の子。やってきたのはまさに当の彼女とその母親だった。

「久しぶりだね。もう春休みかい?」
「ううん、まだだよ。だけど午前中で学校終わりだから、ちょっとお出掛けしてきたの」

 ハツラツとした女の子の笑顔に、少しだけ不安が和らぐ。

「おじいちゃん、一人でお出掛け?」
「それが……家内と待ち合わせをしていたんだが、ちょっとハプニングがあってね」

 揃って首を傾げる母子に事情をかい摘んで説明する。話している間に早くも次の駅、中央公園駅が近付いて来る。各駅の間隔が二、三分程しかないため、話をするとなるとあまりゆっくり出来ない。彼女達は桜台駅に住んでいるからまだ少しは余裕があるのだが。
 モノレールが速度を落として中央公園駅に到着する。その時、女の子がパッと立ち上がり、母親と楸の袖を引いた。

「おじいちゃん、お母さん、降りよう」
「え? ちょっと!?」

 返事も聞かずに開いたドアからホームに出て行ってしまう。一瞬戸惑ったものの、彼女がショルダーバッグからスマートフォンを取り出したのを見てハッとした。彼女の母親にすみません、と頭を下げて、結局三人でホームに降り立つ。

「急にどうしたの? ビックリするじゃない」
「ごめんなさい。でも、あのね、あたしおばあちゃんの番号知ってるの。だから」

 はい、と薄いそれを差し出す。その画面には“根岸のおばあちゃん”と表示されていて、楸は思わず拝みたくなった。

「はやく電話してあげて? おばあちゃんきっと心配してるよ」

 母親に目を向けると納得したような顔で娘を見ていた。こちらの視線に気付いて笑顔で頷く。ありがたい。全き救世主だ。
 お言葉に甘えてスマートフォンを借り受け、慣れない手つきで通話ボタンをタップした。数度コール音が繰り返され、そのまま留守番電話サービスに繋がった。和らいだ不安が再び募る。

「ああ……ええと、もしもし、楸だがね」

 ギクシャクととりあえずメッセージを録音して、楸は通話を切った。見るからに意気消沈していたのだろう。二人が心配そうにこちらを窺っている。

「出ませんでしたが……とにかくこちらの状況は伝えられた。本当に助かりました」
「おじいちゃん、メールもしておく?」

 申し出に少し悩む――と。不意に、返そうとしていた小さな機械が手の中で震えだした。私的な電話かもしれないとは思いつつも、タイミング的に思わず液晶を見てしまった。

 ――椿だ。

 楸の様子で察したらしい。そのまま電話に出るように促してくれる。

「もしもし、椿?」
『楸さん? ああよかった! 驚きましたわ。留守番電話を聞いて、とにもかくにも安心しましたけれど』

 情けないことだが、妻の声を聞いた途端、楸は安心して思わずへたり込みそうになった。何とか足に力を入れて話に耳を傾ける。

「今どこにいるんだい? 私の事情は録音した通りなんだが」
『病院ですわ。だから先程の電話に出られなくて。今は通話可能なところに移動して来ましたの』

 病院。

 その単語を聞いて血の気が引いた。しかし続く言葉や声からは、頭をよぎった悪い想像に繋がる要素は感じられない。気を取り直して詳細を訊く。

「病院って、どこか怪我でも? 具合を悪くしたようではなさそうだが……」
『わたしは付き添いです。大丈夫』

 本人の口から無事を告げられてようやく肩の力が抜けた。ハラハラと成り行きを見守ってくれていた二人に、大丈夫だと目配せをする。

 とりあえず安否確認は取れた。借り物の電話で長々話しているわけにもいかないと、楸は病院の場所を聞いてそちらに向かうことにした。住所をメモして、今度はきちんと妻の電話番号も控えておく。場所は夕陽が丘駅から電車の線路を挟んだ反対側すぐのところにある個人病院だったので、楸は再び夕陽が丘駅に取って返すことになった。上がったり下がったり、行ったり来たり、何とも慌ただしい日だ。

「おばあちゃん、何ともなかったみたい?」

 まだ少し不安げに、少女が問うてくる。安心させるように大きく頷いて、楸は心からお礼を言った。

「本当に問題ないらしい。付き添いで病院にいるそうだよ。何度でも言うが本当に助かった。どうもありがとう」

 少女は嬉しそうにはにかんで、『どういたしまして!』と明るく言った。 
 まもなく新たな学年に進級するからだろうか? しっかりした子だと知ってはいたけれど、秋頃ショッピングセンターのフードコートで初めて会った時より、また少しお姉さんになったように感じられた。
 そんな彼女を眩しげに見つめる母親にも、きちんと感謝を述べる。

「せっかくのお出掛けの最後に色々と気を揉ませてしまって、すみませんでした。今度改めて妻と共にお礼をさせて頂きます」

 母親は苦笑いで手を振った。

「私は何もしてませんから。お礼なんて必要ないですよ。困ったことになっていなくてよかったですね」
「はい、ホッとしました」
「根岸のおじいちゃん! いいから早くおばあちゃんのところに行ってあげて。お話はまた今度!」

 両手を腰に当てて少女が場を仕切る。幼いながら頼もしい限りだ。将来大物になりそう。

「また遊びに行ってもいーい? 算盤教えてほしいんだ。この前面白かったから」
「もちろん大歓迎だよ。いつでもおいで」

 ちょうど挨拶が落ち着いた頃合を見計らったように、環状部をくるりと回ったさっきのモノレールがやって来るのが見えた。

「携帯直ったらメールで知らせてね!」
「これからも娘と仲よくしてやってください。おばあちゃんにもよろしく伝えてくださいね」

 笑い顔がそっくりな母と娘に見送られて、楸は本日三度目のモノレールに乗り込んだ。


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■2021.04.21 初出

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