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ループライン#33

【夕陽が丘駅】…………Naoki Mita(1)

 この街が好きだ――と、三田(みた)直幹(なおき)はずっと思っている。
 それこそ物心ついた頃からずっとだ。何しろ生まれ育った街であるから、大分贔屓目に見ているのは否定しないけれども。職場まで往復三時間以上かかる道のりを、入社以来ずっと通い続けている。直幹は実家から出たことがない。両親を早くに亡くして、思い出の詰まった家を離れ難かったのもあるし、二人の妹が嫁いでからは、たまに羽を伸ばしに帰ってこられる場所を残しておきたかったのもある。
 気付けば独り身のまま、四十目前だ。 
 別に自分の人生を気に入っていないわけじゃない。妹達には『自分の幸せを後回しにし過ぎだよ』などと言われたりもしたけれど、苦労はありつつもそれなりに楽しんできたつもりだ。直幹以外にも地元を離れずにいる友人は何人かいるし、ご近所仲も良好。身の丈にあった幸せを享受していると、自分では思っている。

「それれさあ、ちょっとしたお家そーどーみたいな感じれな~」

 斜向かいで溜息をついている男に追加のチェイサーを渡す。呂律がかなり怪しくなっている。直幹の向かい――男の隣で甲斐甲斐しく世話を焼いている強面に、海外ドラマのように肩をすくめて見せた。

「珍しいなあ。こいつがこんな酔い方するなんて」
「ほんとにな。色々ストレス溜まってるんだなあ……直幹、お前はどうなんだ?」
「俺?」
「今でも毎日電車で長旅してるんだろ? いい加減キツくないのか」

 最初の注文からずっとビール一択を貫いている藤岡(ふじおか)が、鼻の下についた泡をグイと拭う。

「そりゃあしんどい日もあるけど……ま、慣れだよ慣れ」

 余裕を装って、直幹はハイボールを呷った。
 年末の居酒屋は活気に満ちてガチャガチャしている。今年の鬱憤は今年のうちに晴らしてしまおうということなのか、どの団体さんも忘年会で大盛り上がりだ。こちらはというと、昔馴染みの男三人、むさ苦しくもマッタリ楽しんでいる次第である。

「藤岡は? 相変わらず休日返上してるの?」
「好きでやってるからな。それでリフレッシュさせて貰ってるとこあるし」

 この強面だけど細やかな男・藤岡は、もう長いこと地元のサッカーチームの監督をやっている。教え子が酒を酌み交わせる年齢になったなんて話を聞くにつけ、時の流れの速さに驚く。

 ――ホント、子どもの成長は早いよなあ。

 甥っ子や姪っ子も会う度に大きくなっていて、毎度驚かされるものだ。

「まあ俺達くらいの年齢になると、趣味が一番の癒しかもしれないな」

 自分にも思い当たる節があるので、賛同の意を表しておく。

「それに家にいたらいたで、カミさんに嫌な顔されるからそうダラけてもいられんらしいしな。何だかんだ出掛けた方がゆっくり出来るんじゃないかね」

 わっはっは、と大口を開けて笑う藤岡は本当に気持ちのいいやつだ。話の内容を分かっているのかいないのか、日本酒と水のグラスを両手に掴んだまま、酔っぱらいもつられて笑う。

「はははは、たーのしいな~! 元気が出るよ~」

 ついさっきまでションボリしていた守山(もりやま)が、嬉しそうにグラスを掲げた。何度目か分からない乾杯に付き合ってやり、直幹も藤岡も自分のグラスを傾けた。
 少し遅めの二十一時スタートだったのだが、帰りをあまり気にしないで飲めるのが地元飲みのいいところだ。それに加えてこの気の置けない面子。普段の晩酌では缶ビール一本程の直幹もついつい酒が進んでしまう。ビールで乾杯、三人で一本ワインを開けて、その後はそれぞれの好みに落ち着くのはいつものことだが、室内に暖房が効いているせいもあってか頭がフワフワしてきた。

 ――あ、いかん忘れてた。

「藤岡、モリ……は聞こえてたらでいいけど」

 ほのかに色褪せたトートバッグから、大判のファイルを大事に取り出す。そのままテーブルの上に置こうとして一旦膝に落ち着ける。そこかしこに点在する水の輪っかを、おしぼりでざっと拭いた。危ない危ない。

「あ、もしかしていつものやつか? 新作出来たんだな」
「今回はちょっと地味なんだけど……」

 興味津々で身を乗り出してくる藤岡に、ファイルを手渡した。細やかな男なので、もう自分の前のテーブルは拭いてくれている。さすがだ。無骨な手が厚い表紙をめくる瞬間は、毎回少し緊張する。

「おー……!」

 Oの形の口からそのままの音が漏れた。


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■2021.05.11 初出

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