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歩く会話~自動運転車いすに乗って感じたこと~

先日、出張で羽田空港を訪れた。

昔から、空港にはとにかく早く着く派で、だいぶ時間に余裕をもって手荷物検査を終えた。
本でも読みながら搭乗を待つつもりでゲートに向かっていると、長い長い通路の途中、壁際にメカニカルな車いす的なものが4台ほど置かれているのを見つけた。
近づいているとWHILLという乗り物で、「着席して目的地を入力すると、自動運転で勝手にそこまで連れて行ってくれる」らしい。

脚が悪い方向けに用意してあるのかな?と最初は思ったものの、乗ってみた感想をハッシュタグ付きで投稿してみよう!というキャンペーンシールが貼ってあるあたり、どなたでもご自由にというスタンスっぽい。
かつ、台数も余りまくっている。

めちゃくちゃ興味があるものの、乗っていいのかなーなんかちょっと恥ずかしいなーと躊躇もある、、、
が、せっかくだし搭乗ゲートまで乗ってみることにした。
(以前、海外旅行で訪れた空港で、重たいザックを背負って長い通路を歩いている自分の横を、ミニバス的なものに乗った一団が通り過ぎていくのをみて、いかにも旅慣れている感じがして羨ましかったのをちょっと思い出した、というのもある)

座ってみるととてもしっかりしている。体をゆすっても全然揺れたり動いたりしない。
小学校の教室でよくやっていた「手を使わずに体の勢いだけで椅子を引くやつ」とかは一切できそうにない(伝わります?)。
手元のパネルで登場ゲートを入力すると5秒のカウントダウンが始まって、ゆっくりと動き出した。

まず、思ったより遅い。

普通に歩いているひとと同じか少し遅いくらいの速度で、動く歩道に乗っている人には余裕で置いて行かれる。
まあ自動運転だし、実験的な取り組みっぽいしそんなもんだよね、と思いつつ、こりゃ楽でいいわいと思いつつ運ばれていたが、短い道中で2件のアクシデント?に見舞われた。

一つは、道で立ち止まっている人を避けられなかったという出来事だ。

ゆるゆると道を運ばれていると、前にいたサラリーマン風の旅行者に追いついてしまった。こちらに背中を向けて、イヤホンで何やら通話をしている。
背後に私がいることにはもちろん全く気が付いていない。

道をふさぐサラリーマンを遠目に、自動運転っぽい挙動が体験できるぞ!とむしろ期待が高まったのだが、こっちが若干ハラハラする距離までどんどん接近していき、そこで停止してしまった。
背中を向けているので、サラリーマンの方は引き続きこっちに気が付いていない。

迂回を始めるのかな?と待っていたら、急に「道を空けてください」という電子音声を発し始めたので、こちらが焦った
ある意味、向こうが通話中で全く聞こえていないのが幸いである。
自分側で乗り物をずらせないかな?と、一旦降りて本体を動かそうとしても、重たくてまったく動かせない。

まあ声をかけてどいてもらうのもなんだし、乗り捨てていくかと思ったところで、先方が通話しながら歩き出してくれたので再び動き出せた。

(ちなみに、WHILLはどこでも乗り捨てることができて、乗り捨てられたWHILLは勝手に駐車場に戻っていく)

アクシデントのもう一つは、コーナーを曲がるときに起こった。
通路を乗り進んでいった先のT字路で、ゲートに向かう車体がゆっくりハンドルを切り始めた時だ。
ちょうどT字路の真ん中にカップルがたたずんでいて、周囲の看板か何かを読んでいる。
特に気にすることもなく車体に揺られていたのだが、どうも進路がおかしい

だだっ広いT字路で、わざわざそのカップルにぶつかりに行くような進路を取っているらしいのだ。
ゆっくりとカップルに向かっていく車体をどうにかしたくても、どうにもできない。
結局、WHILLの接近をカップル側が気が付いてくれて、道を譲ってくれた。
思わず頭を下げると同時に、(どうしようもないことは自分で分かっていながら)手元の制御盤などを触って、どうにかしようとしているジェスチャーをしてしまった。

結局ゲートには着いたものの、自分にとってのWHILLの試乗体験はあまり良くないものだった。
登場ゲートが開くまでの間、結局何が気持ちよくなかったのか?を考えると、普段、人々が移動しながら取っている無言のコミュニケーションが少しわかる気がした。

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普段動きながら、私たちは中距離の危機回避を何度も行っている。
ぶつかりそうになって止まる・避けるのが近距離の危機回避なら、そもそもぶつかり合いそうな距離にまで接近することが無いように、あらかじめ互いに避けておくような動き方だ。
駅の地下道を歩いていると、無意識に、かなり器用にこの中距離の危機回避をしていると思う。

ある意味、「私たちこのままいくとぶつかりますよね。なので、私のほうが少し避けておきますね」という趣旨の、無言のコミュニケーションの形だ。

かつ、「相手側はこの危機回避のコミュニケーションに参加しているか?」という情報も我々は受けている。
例えば歩きスマホをしている相手に対しては「危機回避のコミュニケーションを期待できそうにない」と感じて自分のほうが大きめに回避行動をとる。
それはそれで一つの振舞だ。

WHILLの場合、この危機回避のコミュニケーションには全く参加できない。中距離回避の機能は備えておらず、ぎりぎりで車体をストップする近距離回避の機能のみだ。
かつ、その「乗り手にとってのコントロール権の無さ」「危機回避のコミュニケーションに参加できていないこと」がものすごく周囲に伝わりづらい

正面から歩いてくる歩行者に、WHILLがまっすぐ向かっていく場面があった。そしてその時、乗っている私と正面から来る歩行者の目が合う瞬間もあった。
互いに互いのことを認識していることは一瞬で伝わるのに、「乗り手がルート選択の権利を持っていない」部分が伝わらないのだ。
結果、向こうからは「危機回避のコミュニケーションに参加しているはずなのに、なんで回避行動をとらない」という見え方になる(と思う)。
目が合っているのに挨拶をしようとしないようなもので、最初から気づいていないゆえに挨拶をしないのとはわけが違う。

自動運転という仕組みについて、機会の召使が人間に従属してくれて、勝手に何でもかんでもやってくれる、というようなナイーブなイメージを持っていたが、「人間にコントロール権を残さない」という意味で、むしろかなり機械側のパワーが強い仕組みだと身をもって分かった。
なんとなく、普通の車いす→電動車いす→自動運転式電動車いすという進化の系譜に位置付けてしまいそうだが、

・普通の車いす…自分で動かせる仕組みだが、行きたい方向に動かすには腕の筋力が必要
・電動車いす…自分で動かせる仕組みで、行きたい方向に動かすうえで腕の筋力が不要
・自動運転式電動車いす(WHILL)…自分で動かせない

という意味で「乗り手が持てるコントロール権の強さ」という数直線では
WHILL--普通の車いす--電動車いす という並びになりそうだ。

かつ、実はWHILLは走行中にずっと電子音を鳴らす仕組みになっている。
特にアクシデントが無くても、ピコーンピコーンという電子音を鳴らしつつ動く。
要はここに私がいますという意味であり、避けてくださいという合図だ。
気にしすぎなのかもしれないが、この電子音も乗り心地の悪さの一因だった。

たとえ話だが、自転車でゆっくり走っていて、前方の歩行者に道を空けてほしいとき、ベルを鳴らす代わりにペダルを少し逆回転させてみることがある。
そうするとチェーンが空転するカラカラという音が鳴って、歩行者側が自転車に気が付いてくれるのだ。
「人をどかす」ために明示的に用意された音であるベルよりも、自転車に乗っていて自然に鳴ってしまう動作音のほうが、どいてもらう歩行者へダイレクトな要求をつきつけている感じが無い。
「どいて下さい」と席上から言うのではなく、向こうが「あ、自転車が来ている」と自然に気づいて避けてくれる、というコミュニケーションに寄せていける気がする。

それで言うと、この電子音ははっきりと「どいてください」側のコミュニケーションで、周囲の歩行者への要求の強さで言うと強めだ。

まとめると、

・移動中、人々は互いに「中距離の危機回避」のコミュニケーションに参加している
・そのコミュニケーションは「互いにそのコミュニケーションに参加している表明」「相手側の危機回避行動」「自分側の危機回避行動」から成る

としたときに、WHILLは

・「自分側の危機回避行動」が実質取れない
・「互いにコミュニケーションに参加している」という表明はしているっぽく相手側には見えてしまう。WHILL側が危機回避行動をとれないことは伝わりづらい
・「相手側の危機回避行動」へのリクエストは強め

という構成になってしまっている気がした。安全で、楽に目的地に到着させてくれたのは全くその通りなのに、なんとなくいまいちな気分になったのはこのコミュニケーションまわりのあしらいな気がする。

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なんだか「乗り心地が良くなかった」ということばかりを書いてきたような文章だが、一方で、「空港の中を一段低い視点で、ゆっくり運ばれていく」という体験は無性に面白かった。
「自分で歩かず、座っている」というこれだけで、通路のポスターも歩行者も、車窓を流れていく風景のように趣深く見えてくる。

こうした自動運転の乗り物が世の中に広く出回ったとき、特に目的地もなく、ただただお気に入りの映画をリビングで流しっぱなしにするかのように、街並みを流し見するような乗り方は楽しそうだなと感じた。
未来のチェアリングのような、「どこにもたどり着かない徘徊自動運転」という活動にちょっとファンはつくんじゃないだろうか?
少し自分はしてみたい。
空港という派手で速い移動のためのターミナルで、歩くよりも遅いような、とてもミクロな移動の未来が見え始めているのがちょっと面白かった。

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