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ファーストジェネレーションの遠吠え

獣医学生の企業就活よもやま話

※Facebook獣医学生グループの企業就活コラム修正再投稿
※奨学金帳消しプロジェクトの話題に関連して、閲覧が伸びており、一部個人情報に関わるところを修正しました(2024.3.10)

あなたの友人を10人、心に思い浮かべてください💭

10人が思い付かなければ5人でもいいです。

……浮かびましたか?その中に高卒の方はいますか?

本日の更新は、幕間として「格差と就活と戦い方」についてのお話。お気軽にお読みください😃

⚠私の個人的な自分語りも含まれます。苦手な方はブラウザバック推奨です。自己責任で摂取おねがいします。


先ほど思い浮かべて頂いたご友人、その中に約半数、高卒の友人がいなければ、貴方のコミュニティは高学歴に片寄っています。私もそうです。日本の大学進学率は2020年でも58%前後。東京ですら70%を越えません。しかも、両親共に高卒の場合、その子供が大学以上の学歴を取得する確率は高くありません。例え、両親が子に学歴をつけようとしても、その格差の壁は多くの人が想像する以上に、金銭的精神的文化的な点で高く険しいものになります。

私は地方の出身で、親族で初めての大学進学者です。後者に該当する人を近頃では、ファーストジェネレーションと呼ぶそうで、格差問題に対するアプローチの一つとして、支援に乗り出す大学もみられます。しかし、実際の格差はこの一言で表すにはあまりにも根深く、私たちの前に立ちはだかります。進学で、大学生活で、就活で。自身が大卒で戦おうとすると、理不尽に打ちのめされそうになります。

▪東工大、親が大卒でない「ファーストジェネレーション」に奨学金/2019.10.7

▪大学は格差を是正できるか:「第一世代」を知っていますか/2018.1.3


私が大学生活を経験できているのは、幼い頃に両親が「子供を国立大学に行かせるために、教育に投資する」と決断してくれた、それに尽きます。今思えば相当無理をしてその環境に掛かる金銭を工面していたのだと分かります。残念ながら私は色々とやらかしが多く、私立大学に入ったのですが、入学金と学費と上京の一人暮らし費用そのどれも途方もない金額で進学の際に大層揉めたことを覚えています。交渉の結果、「入学祝いのPCと初期費用の半分以外は全て自分で何とかする」ことを条件に大学に入れてもらいました。

親族に保証人を頼める人間がいない者にとって「全て自分で何とかする」というのは、想像以上に厳しいことです。奨学金を借りるにしても機関に毎月1万円近い保証料を払い、家を借りるにても私だけの名前では借りられず、保証機関にプラスアルファの金額を払って契約しています。教科書は購入指定されても1日以上働かなければ買えませんし、図書館の本だってずっと借りておくこともできません。ネットもタダではありませんし、家にいても光熱費がかかります。これらのコストは皆さんの親御さんや更にその上の世代が分散して払ってきたものです。そうしてやっと「東京の普通の大学生」が誕生します。私は一口にファーストジェネレーションと言っても相当恵まれている方の人間です。


違えてほしくないのは、私は決して「だから大卒/東京の家庭は恵まれている」とか「同情してほしい」とか「こんなに頑張った自分すごいだろう」と言いたいのではないということです。それぞれの人生に悩みや苦労は付き物で、他人がそれを勝手に決めつけることはできません。例え、金銭的に恵まれていたとしても、保護者の方が協力的でなければ、所得制限によって公的な援助を受けらないにも関わらず、非常に厳しい状況に置かれることでしょう。(だからと言ってその置かれた環境から抜け出さない理由にはならないのですが。)格差や不幸の連鎖から抜け出すには、とてつもないお金と時間と精神的負担がかかってしまう、その現実に行き先のない怒りを感じているだけなのです。

多くの人が山の中腹からケーブルカーに乗る中で、その麓からバックパック一つで登る。想像しにくいかもしれませんが、社会的文化的な格差というのは目に見えるものだけではありません。言葉や立居振る舞い、教養、時間の使い方への考え方の違い。ケーブルカーの上からの富に無自覚な「努力しなよ」という言葉は、理不尽が詰まっています。この文章を読んでいる人でどれだけの後輩が私と同じような状況なのかは全く分かりませんが、どうか少しでも励ましとなるように、「社会との戦い方」を残しておきたいと思います。


企業就活をしていると様々な学生に出会います。そして、その戦場が大企業になるにつれ、周囲の学歴や纏う雰囲気は所謂上層階級の様相を呈します。(もちろんそうでない学生もいます。)当たり前のように、海外留学に行き、ボランティア活動をし、アルバイトも自分の"価値”を高められるようなもの。起業している人も少なくありません。帰国子女や海外の長期インターン経験者なんかもざらです。そんな中で私たちファーストジェネレーションは勝ち目のない戦いを強いられているように感じることでしょう。

私は、大した学力もとんがった研究実績も、華々しいアルバイトもボランティア活動も、もちろん海外経験だってありません。しかし、大変ありがたいことに選べるだけの企業さまに内定をいただきました。早期に第一志望群の一つから内定をいただいたため、本選考のエントリー数自体は多くありませんが、ES落ちの一社を除き、ほぼ全ての選考を通過し、内定した企業以外は途中で選考を辞退しています。


一見不利に見える地味な経歴でさえも、伝え方次第で魅力的な内容に変化させることはできますし、私たちが歯を食いしばって、涙をのみながら過ごしたその経験は、言葉の重さとなって説得力が増すようです。特に内定を受諾した会社の最終面接では、「いままで意識の高いことを述べ、やってきた学生はいっぱいいた。また気持ちのよい表面だけを述べる学生もいっぱいいた。だが、あなたが経験してきた様な泥臭く、一歩一歩地に足を付けた努力を胸を張って述べられる学生はあまりいないから、自分の財産だと思って大切にするといいよ。」と言っていただきました。安心してください。驕らず自己と向かいあう限り、ちゃんとその思いは伝わります。

私の就活は生きてくための手段の一つであり、目的ではありません。自分の肩に乗る8桁の奨学金を返しつつ、やりたいことをやるためには、ひとまず企業就職するという選択肢がベストであると自分の責任で判断したまでの話です。何度も繰り返すようですが、内定した会社の価値は自身の価値ではありません。今までの人生で何を見て、何を考え、今後の人生で何を成したいか。それを自問自答するのが「就活」です。そこに内定が加わっても、自問自答の答えがでるわけではありません。ですが、自分の考えを開示したうえで、自分を雇いたいと考えてくれた人がいるという事実は、非常に重要なことです。


ファーストジェネレーションの経歴は地味でしょう。しかし、それ以上に血反吐をはきながら努力している人を応援したいと思ってくれる大人は沢山います。私たちの戦い方は、誰かの真似でも、誰かの後追いでも、"何者か"を目指すことでもなく、遥か先の未来に同じような思いをする世代を作らないという意思で、その険しく開けていない道を顔をあげて歩む姿に他ならないのです。

苦しい時は声を上げて泣きましょう。私なんかは踏み台です。みなさんのその一歩を心から応援しています。


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