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なんとなくで真ん中を生きていく。

私が決めた真ん中、とは「陰気と陽気の真ん中」ということである。
人によって違いすぎる、微妙で絶妙なところ。
一般的な表現ではハマりきらない(であろう)絶妙な心を残そうと思いたった。
そんなふわっとした気分のままふらっとnoteに登録して、ぽつぽつっと、つらつらっと書き綴っている次第です。

真ん中を考えたきっかけは、生き辛さを感じていた数年前までの私の人生。
そこに感情のレベルをつけるとするならば、自分はどういうレベル分けをし、ラベリングするのかと、興味本位で考えてみたことにある。
それがもし0〜10段階あるとするならば、私の感情は次のように分けられた。
(何を基準に?とか諸々ある疑問はとりあえず置いておいて、やってみたのです)


0・絶望的な悲しみ、引きこもりなどなど
1〜4・ドラマティックに寂しさを感じる、悲観的
5・諸々ある真ん中、冷静
6〜9・笑顔が絶えず楽しすぎてコントロール出来ません的楽しさ
10・盲目的になり異常な行動力を発揮する(執着する相手あり)


こんな感じ。ものすごく偏っていて、やりすぎ感がすごい。
10ある内9が感情的。それで毎日、生き辛いと嘆いていた。
自分を感じるのではなくて、感じたい気持ちを自分で作りだしていたように思う。落ち込みすぎるのもイヤだし、ほどほどにかわいそうでいて、楽しんでる人と思われたい。そこに向けられた努力たるや。すごい熱量でしたね。
それよりも何よりも!真ん中の振り幅が狭いせまい!
そしてその狭い「5」にだけ感じられる冷静さ、それを私はこう感じていた。
「退屈です。」
なんでやねん、とハリセンフルスイングしてツッコんであげたい。
狭い中で考えてるから「冷静」を「楽しさがない、悲しさもない」的な
喜怒哀楽に欠けるものとしてしか捉えられないんだよ。
とはいえ、親兄弟や親友からのツッコミは全力でスルーしていたので、未来の自分からのツッコミも、当時の私はとっても上手にスルーしそう。

気づいた時が、かわり時。
自分で変わると決める、これほんと大事。
私のかわり時はアラフォー。
30代後半。
遅いと思いますか?いえいえ、私の最適かわり時はそこだったのです。
どこでも良いのだと、いつでも良いのだと、そういうものなのだと分かるようになりました。
そのきっかけは持病の悪化。これはまたゆっくり綴ることにします。

さてさて。
せっかくなので、これからの人生の真ん中のラベリングはそのまま、レベル分けの変更を自分に要求することにした。

「5」のみだった「諸々ある真ん中、冷静」を、2〜8へ変更!
その他、荒ぶったり楽しんだりはその時々の自分に任せることとする。
以上!!

一番の嬉しみは、その時々の自分にまかせて大丈夫と思えるようになったこと。
幅広く、なんとなくでもいられて余裕のある「真ん中」が素敵よね。


私の持病は、潰瘍性大腸炎というもの。
その生活に彩りを与えてくれる趣味が色々あって。
そのあたりをメインに書いていこうと思っています。
各SNSから撤退して数年。
noteで発信をしていきます。
ゆるりとお付き合いくだされば幸いです。

また会う日まで、お元気で。

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