INFJ文にとっての「好き」の現段階の結論
友人と推しの話をしていた。
その方は推しができたことがない、と言っていた。
私も大学生くらいまでは推しができたことがなかった(本当にまったくいなかった)。それでも最近何人かできたので、「自分が生きられなかった人生を生きてくれてありがとう」って思える人だよ、みたいな説明をした。私は今でもそれが推しの定義だと個人的に思っている。
けれど、その方は「文にとっての定義はね」と言っていたので、「そうじゃないことが一般的なんだな」ということまで理解できた。「一般的な推しの定義」まではそこでは話さなかった。
全然話は変わり、
日本のアイドルに対して、私は正直アウトオブ眼中というか、すごく正直に言うと、うーん、正直に言うと、ルックスもパフォーマンスもレベル、低いな~という印象を持っていた(本当に失礼だねごめんね)。
「私が光りたい!」「あなたに触れたい!」相手を好きなようで、自分のことが好きなだけだ。異なる周波数のエゴがぶつかりあって渋谷のスクランブルスクエアなみにノイジーである。なので、そういう偶像チックな人を好きな人について考えるのを無意識に避けていたんだと思う。
しかし、日本のアイドルを推す人間は多い。
単純に「好きだから推す」。
その「好き」、は普通に性的な話であることが多い。
それは間違いではないけど、
その感覚がない私にとって、それを理解するのは難しい。
ちょっと話は変わり、
私は好きな人というのがほとんどできたことがない。多分、上記のような感覚がないのが一番大きいと思う。だから学生時代の必須イベントである恋バナもいまいち(というか全く)話が噛み合わない。そんなななかで。
Myukちゃんのライブを見たとき、
新田祐士さんの音声を聞くとき
とかとか…
たしかに、ありがとうって思った。
私ができなかった道を生きてくれて
私にとって大きすぎる責任を背負ってくれて
ありがとう。
そう、胸に浮かぶ時がある。
多分それが尊敬で、多分それが好きなのかなと思う。
現時点でのお話。参考になれば。
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