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自己評価が低い理由は自分にできることは他の人もできるという錯覚である

僕は20代の頃、
ブラック労働をしていた際に
社内でも社外でも
けちょんけちょんに叩かれまくったおかげで
自分に対すると信頼と
自信を喪失してしまいました。

おかげさまで
しばらくの間
自己評価がめちゃくちゃ低かったのです。

口癖は
「自分なんか」

しかし40を手前にした時に
ふと気づきました。

意外とみんなできなくない?って。

僕はユーティリティプレイヤー

傲慢でもなんでもなくて
僕は大抵のことはなんでもできる
と思っています。

今だって仕事として
客先へ出向いて営業は当然するとして
マーケティングや戦略を練ることもあるし
広報物のデザインもするし
動画の編集もするし
Web戦略やコンテンツ作成もする。
経理だってできるし
事務仕事なんてむしろ得意。

他にも言われれば大抵の仕事は引き受けます。

もちろん、高いレベルのクオリティを求める場合は
専門家に外注しますが
ある程度で良い場合や
スピードが求められる場合は
自分でやってしまった方が
早いと思います。

自己評価が低かった頃って
「こんなこと誰でもできるでしょ」
(※だから自分はすごくない)

って思っていました。

確かに、ひとつひとつを見ていくと
できる人は無数にいるし
なんなら自分より高レベルでできる。
でもこれら複数のことを
そこそこのレベルでこなせる人って少なくない?

確かにスペシャリストはすごい。
でも、その人実は他のことでは
全くのポンコツだったりする。

ユーティリティプレイヤーとして
使えるじゃん、自分
ということに気づくと
パァッと視界が開けたのでした。

普通ってなに?

僕は自己評価が低いことで
自分にできることなんて
「誰でもできるでしょ」

と思っていました。

しかし、意外とできない人が多いことに気づきました。
話している感じだと
めっちゃ頭良さそうで
めっちゃ仕事できそうなのに
いざお願いしてみると
「なんでそんなミスするの?」
と思ってしまうことだらけ。

これ、僕が悪かったのです。
「誰でもできるでしょ」
って思っているから
説明の仕方が
できる・理解している前提でしていました。

え?
普通ちょっと説明したら
これまでの経験から
自分で考えてできるようになるでしょ。
と。

そもそも「普通」とはなんぞや
ってことですよね。
自分にとって「普通」でも
他の人にとっては普通ではないわけで。

よって自分にできることを
あの人は簡単にできないし、
あの人が簡単にできることを
自分はできない。

みんな能力が違うんだということを
改めて体感したのでした。

「こんなこと誰でもできるでしょ」
と思っていると
自分自身の自己評価が低くなるという害だけでなく
他の人に対してもその人の自己評価を下げてしまう

という弊害が発生するのです。

みんな違ってみんないい

詩人・金子みすゞの有名な作品に
『私と小鳥と鈴と』
という詩があります。

「みんな違ってみんないい」

という有名なアレです。

僕はこの詩がとても好きなのですが、
自己評価においてもこれが重要なんだなと思います。

つまり、
みんなそれぞれできること、
得意なことが違っていていいよね

ということ。

見下すものでもないし
見下される謂れもない。

20代当時の僕は確かに経験不足だったし
実力不足だったと思います。

しかし、
「こんなこともわかんねぇのかよ!」
と怒鳴るくらいなら
丁寧に説明して欲しかったし
「バカじゃねえの!?」
とけなしているあんたは
僕の得意なこと、できるんですか?
知っているんですか?
と言いたかった。

若いやつができないのは当たり前
できないことを叩くのではなく
どうしたら次できるように導けるのか
が先輩の役目
なのではないでしょうか。

最後に

自信を失っている皆さん
自己評価が低いと気づいている皆さん、
みんな違うんだから大丈夫。
あなたにはあなたの得意なことがある。
それをうまく仕事に社会に還元できたら
めっちゃ感謝されるようになるよ。

それを見つけられたら
これが天職っていうやつなんだ
と気づくから。

自分に対して
こんなこと誰でもできる
って思ってしまうと
それは回りまわって誰かを傷つけることになる

そうじゃなくて
こんなことできる自分ってスゲー
って思えるようになると
他の人に対してもリスペクトできるようになる。

「みんな違ってみんないい」
んです!

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!