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子どもの気持ちと親の気持ち

トモエ幼稚園で、ある光景が目に留まった。女の子4人でドレスを着ながら楽しく遊んでいたグループだ。
その中の1人の女の子の元に親がやってきた。名前を呼んでも来ないからか、わざわざ連れ出しにきたのだ。その場にいた僕のことは見ないようにして、そそくさと子どもを抱いて行った。
とっても楽しそうだったのに。

「◯◯どこ行ったのー?」
子どもたちも少しざわつく。しかし、切り替えの早い子たちなので、「ま、いっか」とまた遊び出す。

お昼どき。一緒に作った秘密基地でご飯を食べる女の子たち。最初に一緒に遊んでいた子がいないことをまた思い出した様子。
「一緒にごはん食べよう!」
彼女らが誘うとその子はお弁当を持ってやってきた。するとどこからかまたその子の親がやってきて、今度は無言で女の子を抱き上げ、お弁当も持って連れて行ってしまった。
『この子たちとは一緒に遊ぶな』
ということなのだろうか。

「何で行っちゃったんだろう」
また秘密基地がざわついた。

親の気持ちはわからなくもないが

その子の親には、きっとグループの子たちと遊んで欲しくないなんらかの理由があるのだと思う。子どもが過去に泣かされたとか、嫌だと言っていたとか。子どもが嫌な思いをしないように守りたい、という親心はわからんでもない。でも、強制的に排除するのはいかがなものか。2度とも子どもたちは楽しく遊んでいたし、グループに混ざったのもその子自身の意思だ。強制されたわけでも、嫌々いたわけでもない。
そして、連れていった後を目で追っていくと、子どもにその理由を説明している風でもない。有無も言わさず言うことを聞かせているように見えた。

子どもの気持ちをどのように尊重するか

遊んで欲しくないのは親のエゴ。それでも一緒に遊びたいのが子どものエゴ。どちらかが気持ちを押し殺して我慢してしまうのは不健康だ。それをどのように折り合いをつけていくのかが、「子どもと向き合う」というプロセスなのではないだろうか。
今回、その子の親がした行動は、子どもと向き合わないで自分の気持ちを押し付けているように映った。強い存在から行動を制限され続けていくと、自分で考えることを辞めてしまうのではないか、自分の気持ちを押し殺すような子になるのではないかという懸念が頭をよぎる。

『子どもの意思に関わらず、事前に守るのが親の務めだ』
という考え方もあるだろう。他の場所ではそれが常識なのかもしれない。でも、ここはトモエ幼稚園。子どもの意思を尊重する、子どもと、自分と向き合うことを是としている場。せっかくこういう場にいるのに勿体無いなと僕は感じてしまった。


『ペアレントハラスメント』な親子関係

親子の関係で言ったら当然親の立場が強い。それを利用して上から言うことを聞かせるのは、
『ペアレントハラスメント』
なのではないだろうか。「ならぬことはならぬ」なんて上から押さえつけた物言いは時代錯誤もいいところ。そんなこと言う奴は、何か失敗したら切腹してしまえ。

子ども自身が本当はどうしたいのか、どう思っているのかを聞き、そして自分たち(親)がどうして欲しいのか、どう思っているのかを親という強い立場を利用せずに伝えることが大切なように思う。
その子自身も、自由に自分の気持ちを表現できるようになって欲しいなと願いつつ、子どもとしっかりと向き合える親を増やしていきたい。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!