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診断を受けることの意味

私は発達障害ASDの診断を受けました。
診断を受けたとき、納得感は確かにあったし、嬉しくもありました。
でも特に治療法があるわけでもないので、「だから何なんだ」という感じもあります。
以前は「グレーゾーンか発達障害の診断が下りるか」ということにすごくこだわっていて、悩んでいました。
でも、今はどちらでもいいように感じています。

診断に関わらず私は私です。
「発達障害」という言葉でカテゴライズする意味は何なのでしょうか?

私が思うに、発達障害の診断を受けることのメリットは
同じ発達障害を持つ人とつながることができる
他人に説明するときに使える(職場での配慮など)
だと思います。

こう考えてみると、診断を受けることの意味は自分自身のためではなく、他者との関係性の中で意味が生まれてくるものなのかもしれません。

そもそも論で言えば、自分の「名前」も、世界に自分一人しかいなかったら必要ないですよね。
人に呼んでもらってこそ意味があります。
ASDも同じだと思います。

カテゴリーは便利ですが、とらわれすぎる必要はないと思います。
カテゴリーはあくまでカテゴリーであって、すべてを表すことはできないからです。
カテゴリーは社会生活上、便利なものではあるので、利用するのは有益だと思います。
でも「ASDだからこれはできないに決まっている」という決めつけは自分に対してしたくないと思います。
すべてのASDの特徴が自分に当てはまるわけではないからです。

発達障害の診断が支援や精神疾患の治療に必要なことは言うまでもありません。
しかし、私のようにそのような目的ではなく、単に「自分が知りたいから」という動機なら、診断を受けるかどうかは自由で、こだわりすぎる必要はないと思います。自分が必要ないと思うなら、別に必要ないと思います。
(障害者手帳の取得などになってくると、話が変わってくるかもしれません……)

発達障害のことを理解した上で、自分が無理せず過ごせていて、周りの人にもある程度理解してもらえたら、それで十分であり、診断がついたからどうこうということはないと思います。

診断が下りたとき「これからは無理するのはやめよう」と思いました。
でもそれは診断がなくても同じことですよね。
みんな苦手なことはあるし、無理せず生きる権利があります。
自分のことを大切にして生きたいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もよい一日になりますように♪

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