見出し画像

独白

昔から、歌詞を聴く人に憧れていた。
だってそんなの、メロディーだけを追っている自分に勝ち目なんて無いんだから。

「この歌詞に影響された」とか「この歌は歌詞が良いんだよね」とかの言葉を聞くたびに、自分の感性を嗤われた気がした。自分がほんとうは歌詞なんて聞いていなかった、なんてことは口が裂けても言えなかった。だから僕はただ頷いた。共感の言葉を口に出した。「歌詞で音楽を聴いている人間」をひたすらに演じた。好きなバンドの歌も、実はそこまで歌詞聞いてなかった。ライブにまで足を運んでいたのにごめん。僕が好きなのは、メロディーだけなんだ。


でも今になって、これはそんなに恥ずかしい事じゃないんじゃないか、なんて思ってきた。だって、歌詞を聞かなくちゃダメ、なんて決まり無いし。感情にも正しさがあるみたいで疲れちゃう。そう、感性に正解なんて無いんだよ、ほんとは。でもやっぱりどうしても、他者を前にすると演じちゃう自分もいて。そのジレンマの中で息が苦しくなる。圧死しそうになる。「ひとはみな俳優である」みたいな言葉を聞いたことがあるんだけど、心から同意する。みんなが仮面を被って生きているこの世界は、まるで舞踏会みたいだ。憧れの自分を演じて、ぼろぼろになって帰る日々に嫌気がさす。

ずっと嘘をついているような感覚がどこかにある。
自分の裸体を曝け出すことに対する、猛烈な拒否反応。そうした防衛規制が、僕のありのままの姿をミルフィーユのように覆い隠して、僕が本音を言うことを許さない。だから苦しい。ほんとのことを言えなくなったのはいつからだろう。仮面を被って、他人の顔を気にして、心から笑えなくなったのは。泣いてるだけで良かったあの日々に、僕らのもっとも原始的なかたちはあったはずだ。

だから文の中でだけは、せめて裸体を晒したい。恥ずかしさは拭えないけれど。それでもなお、自分に覆い被さった何枚もの衣をゆっくりと脱ぎ去って、僕はみずからの輪郭を描き出したい。これが、僕が文を書く上でもっとも大事にしたいことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?