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The Restoration of Communication

コミュニケーションはむずかしい。
生きていく中で、何度もぶち当たる壁だ。

英単語communicationには、他者の存在を前提とする接頭辞co-が付いている。だから僕らのコミュニケーションは、常にひとりのもとで完結することはない。思考の流れも、見た目も、何もかもが異なる他者と、僕たちはコミュニケーションを取らなくてはならない。その絶対的な分からなさに、それでもなお、向き合わなくてはならない。

これはほんとうに、絶望的なことだ。

一人では成り立たない、複数人の存在によって初めて成立し得る試み。断絶、分裂、回復、再生の収束しない無限のプロセスの中で、僕はあなたを見つめ、あなたは僕を見つめる。
コミュニケーションは恐ろしいものだ。
絶対的に分かり合えない他者に、裸体で挑むのである。不安定で、不完全で、スリリングな体験だ。僕が言ったことが意図しない形であなたに受け取られ、あなたを傷つけてきたことは、もう数え切れないほどある。

しかしその中でも、不思議と惹きつけられるようなコミュニケーションの奇跡がある。僕たちはたぶん、そうした瞬間を求めて、スリリングな体験を厭わず、今日もコミュニケーションに挑むのだろう。


僕は今まで、自分の意見を持つのが怖かった。自分の言葉で世界を語るのが怖かった。それは今でも、たぶん変わっていない。自分の貧相な脳味噌から生まれた信念のすべてを、どうしても誇れなかったのである。

ある日そのことを、友人に話してみた事がある。世界に対するじぶんの思いを、赤裸々に語ってみたのだ。自分の言葉で自分のことを話すのには勇気がいる。どもり、つっかえ、淀みながら、それでもぼくは、ゆっくりと自分の信念を言葉にして、友人に伝えた。友人は目を閉じ、大きく頷きながら言う。

「おまえ、そんなことを考えていたんだな。」

その瞬間、僕はコミュニケーションの奇跡に出逢った。僕は、今まで秘めてきた思いの断片を世界に発露したことで、初めて「僕」になることが出来たのである。みずからを表現し、みずからの思考を彼に差し出したことで、僕は裸となり、そのスリリングな体験の中で自らを獲得したのだ。



真のコミュニケーションは、失われた僕たちのつながりを回復し、断絶された魂のかかわりを取り戻す。けれど、効率や分かりやすさを狂ったように神格化する現代において、コミュニケーションは希薄なものとなってきている。SNSのプロフィールには、性格診断で得られた4文字のアルファベットが並べられ、リアルな会話の中で得られる絶え間ない情報は、そうした「分かりやすい」文字列によって覆い隠されている始末。

「きみって、A型っぽいね笑」

こうした、人をどこかに所属させてしまう言葉は、それによって言い残されてしまうすべての部分を覆い隠し、更なるコミュニケーションの必要性を無に帰す。
そもそも僕らは、言葉や数字には還元されない豊かさを持って、世界に存在しているはずだ。けれど、単純化されたコミュニケーションは、そうした現実の複雑さを、コミュニケーションの真の難しさ、面倒臭さを忘れさせてしまう。

これは持論だが、面倒なことほど重要なものは無い。そもそも、性格診断や心理テストによって数字やアルファベットに還元された生には、アクチュアリティが無い。容易に固定化された結論の中には、生のリアルは無いのである。
コミュニケーションは本来、面倒で難しい。だが、そこにこそ、僕たちの生のリアルは顕現する。だから僕たちは、面倒なことほど、しっかりと、ほんとうにしっかりと、向き合わなければならないのだ。

なのに、それでもさみしいコミニュケーションがなされているところを目の当たりにすると、ほんとうに泣きそうになってしまう。コミュニケーションを開始した者たちの勇気が、飛翔が、蔑ろにされてしまった気がするのだ。

周り道、複雑な内容、理解し難いこと、その全てがコミュニケーションであって、ここにおいて僕たちは、他者の真なる理解に近づこうとするのである。他者を真に理解できないことに、僕らはしばしば絶望する。しかし僕らは、それでもなお、他者のもとへ飛翔し、コミュニケーションを確かに成功させてきた。そしてその体験に酔いしれたからこそ、僕たちは今日も飽くなき挑戦を続けるのだ。

僕たちは、常に揺れ動く存在である。しかし言葉は、揺れ動く僕たちに対応するのにはあまりにも静的だ。だから僕らは、面倒なコミュニケーションを厭わず、常に自分たちの情報をアップデートしていかねばならない。絶え間なく流れ続ける情報のすべてが、僕たちを形作るのだから。

今こそ、真のコミュニケーションを取り戻そう。
僕たちが失ってしまった、魂の関わりを。

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