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自己紹介〜マナってこんな人〜

【自己紹介】マナってこんな人

はじめまして、マナです。


20歳の長男と
13歳次男
(軽度知的+自閉スペクトラム症+睡眠障害)をもつ、
アラフィフ2児の母。

HSP(HSS型 HSE)気質の
いわゆる“かくれ繊細さん“です。


私は、幼稚園から4年間、
学校や園では、一言も話せない子でした。


それにより、いじめられて
靴を隠されたり、捨てられたり
通せんぼされたり
『あ、って言ってみ』などと揶揄われたり

辛く悔しい思いもあったけれど、


小3の頃
初めていじめっ子に言い返せたことで克服し

中学入学時に、
式辞を任されるまでになりました。


それでも、
まだまだ10代の頃は、自己肯定感が低く、

電車の中ではうつむきがちで、

ひそひそ声が周りから聞こえたら、
なぜか自分のことを言われてるんじゃないかと
思っていたほどでした。


高校は人気進学校に進みましたが
部活・部活・部活の日々。


早朝の電車に乗り学校へ行って朝練、

休み時間に小分けに弁当を食べて、
昼休みはまるまる昼練、
放課後に夕練と精神をすり減らしつつも、

どうにか三年生までやり遂げました。


自分の適性にあっていたかというと、
そうじゃなかったかもしれませんが、

日々やり遂げるのに必死で、
辞めるという選択肢すら考えることもできませんでした。


その後、短期大学在籍時、
親に無理を言って、ニュージーランドに
2ヶ月弱の語学研修とホームステイに行かせてもらいました。 


そこで、ありのままの私でいいんだ、という感覚を得ました。
全肯定・全承認してもらえる場所でした。


帰国後、就職活動。

就職超氷河期だったのと
インターネットなどなかったということもあり

ハガキで資料請求を100通送って
返ってきたのは2〜3通。

学生時代のニュージーランドでの体験から、
旅行会社に入ることを熱望し、
しつこく、ありとあらゆる旅行会社に電話で問い合わせ

大手旅行会社の説明会に辿り着き

書類選考・筆記試験・一次・二次・三次面接を経て無事入社。


圧迫面接は当たり前の時代でしたが、
そこで、乗り越えたことが
自分の自信にもつながりました。


結婚を機に、退職。

ライフスタイルの変化から

子ども英会話家庭教師や、
大手子ども英会話教室の保育園内指導、
小学校での外国語活動指導にたずさわりました。


長男がお腹にいることがわかった後、

夫が一緒に仕事をしていた仲間に売り上げの全てを持っていかれ、
私の失業保険で暮らす日々。


その頃、「切迫流産」と診断され
絶対安静と言われていて、働けませんでした。

長男が小さいうちも、収入不安定が続き、
このままでは貯金が底をついてしまうということで、

昔お世話になっていた古巣の旅行店舗で繁忙期のお仕事を、
実家に里帰りすることで、お世話になりました。

それを3回ぐらい繰り返して、
そして、次男が授かるまでの間も
3回「自然流産」を経験しました。

お金の心配のみならず、
その悲しい事実に打ちひしがれ
メンタルがボロボロの時期がありました。

夜になったら勝手に涙が流れるような日々を過ごしました。


そして、2人目の子どもを諦めた頃、
次男を授かりました。

妊娠中も、やはり「切迫流産」で
長男にも心配をかけました。


次男が無事生まれたと思った矢先、
口腔内に水腫があるとわかり、
『それは先天奇形だ』と言われた時、

その言葉のインパクトの強さに・・
ちゃんと産んでやれなかったと悲しみました。

生後3ヶ月で全身麻酔を経験し、
無事切除してもらいましたが、

こんどは、長男とは全く違う子育てが始まりました。


夜中1時間おきに起きるような子で、

赤ちゃんの頃は、立ち上がって抱っこして、
歩きながら授乳しないと寝ない子でした。


夜中はいつだってフラフラ。
夫は遅くまで仕事で、
いわゆるワンオペ育児を長年やってました。


長男のときは、よく寝る子だったので
とてもしんどかったのを覚えています。



これが、あと何年続くんだろう・・と思いながら
泣きながら授乳することも多々ありました。


癇癪を起こすと、床に頭を打ちつけたりして、
ヒヤヒヤする毎日でした。


そして、案の定、3歳の時に自閉スペクトラム症と
軽度知的障害の診断をうけることになります。


保育園に入園してからも、

園に送る時
道を一本早く曲がってしまうだけでパニックになって、
また途中からやりなおさないと
おさまらないぐらい、こだわりが強かったです。



当時、小学校の外国語活動のお仕事をしていたので
仕事に遅れてしまうという焦り、

母としてしっかり向き合ってあげたい想い。


保育園に送る時は 特に
パニックの引き金をひかないようにと、
気を張った毎日でした。



運転しながら、
涙が止まらなくなり

『消えてしまいたい』と
思ってしまっては、自己嫌悪。


慢性的な寝不足。

孤独感。

時折感じる周りからの白い目。


我慢ばかりさせた
お兄ちゃんへの申し訳なさ。


胸が締め付けられるような気持ちが
度々襲いました。



『あなたは、じゅうぶん頑張ってるよ。
 もっと自分を大切にしていいよ。』と、


あの頃の自分に声をかけて
あげたいです。



次男の保育園が、
インクルーシブ教育に力を入れておられる園で、
温かい指導を受けていました。


2年目に入る年に、制度の変更があり

私の働き方では、
認可保育園に継続できないという危機に。


温かい園長先生が、

とてもこだわりが強く
変化に順応するのが難しい我が子のために、
わざわざ市に掛け合ってくださったものの、撃沈。


外国語活動の指導をする傍ら、

知人のお子さんのニーズもあり、
自宅で細々と英会話教室を開くことで、
急遽『個人事業主』になり、

認可保育園に継続して入れる条件を
なんとかクリア。


2年目も温かい園で過ごすことができました。


思えば、綱渡りのようで、
毎日必死でした。



我が子の睡眠障害がきつくなり、

かつ、
小学校入学を機に
まずは小学校に慣らすことに
向き合ってあげたくて、

大好きだった外国語活動の仕事を
辞める。

知り合いのお子さんに英語を
細々と教えていたけれど、

収入面の不安や、
時間の融通、教育への関心から
自塾をスタートさせました。



入学時、単語や二語文だった息子が
二年生の時の参観で、手を挙げて
拙いながら発表できた時は、
涙が止まりませんでした。


先生方への感謝はもちろん、
これからの成長に
楽しみしかありませんでした。


ところが、小3の頃に
大きなトラウマを作ってしまい

学校にほとんど行けなくなりました。


部分登校

同伴登校


母は必死になり、


はじめは、
ほんの短い間でも
『行くこと』を
ゴールにしてしまっていました。


でも、
『行くこと』は目的じゃない


《心穏やかに》学ぶための手段である
という、当たり前のことに気づき

無理強いしなくなって、
いま、息子の心は安定しています。


ピアノだけは習い続けて6年
(教室だけで練習するというこだわりがありますが笑)

そこは心の安全基地になって
いるようです。



静かな時間帯に公園に行ったり、
負担の少ないドリルをやったり

気を許せる人に時々会ったり
しながら、模索しています。



仕事では、
英語指導11年目、
学習塾運営8年目に入りました。


次男のおかげもあり、

また、ユニークな生徒さんたちのおかげで、
様々な個性・特性に向き合って
仕事をさせていただいています。


そしてライフコーチングやメンタルトレーニングを学び

私自身、ずいぶんマインドの変化があり、
人間関係が以前よりずいぶん楽になりました。



育てづらさを感じる子育て。

親としてのフラストレーション、


感覚過敏という
特性からくる偏食や

人混みがこわく
こだわりも強いなど

様々な理由で、

出かける場所も、
食べるものも選択肢が少なくなり、

当たり前に感じていた日常を回すことが、
こんなにも難しいことなのかと

孤独感を募らせるママさんや
発達を心配しているママたちの心を
上向きにできたら嬉しいです。




また、教育現場で、
指導者たちと関わる中で 

熱心に、子どもたちの個性・特性に
向き合っている人ほど、

子どもたちの学習指導や
発達支援の試行錯誤の中で疲弊し、

周りとの温度差、
理想と現実のギャップに
苦しんでいると気づきました。


コーチングや資格取得講座を通して、
(自己肯定感アカデミー 中島輝先生主宰の講座 認定講師)

毎日奮闘するママさんや
熱意はあるのに対応に苦慮している 
子どもに関わる先生たちの力になり、

大人が幸せになることで、
間接的に幸せな子どもを増やせたら幸せです。


子どもたちは神経発達の途中。
発達の仕方もさまざまです。

みんな個々に発達特性があり、
それが障害になるか否かは環境次第。


1人でも多くのママや子どもの未来が
光に照らされますように。


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