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療育から見た小学校入学〜多様性・インクルーシブをセサミストリートに学ぶ〜

対人援助論の授業だったかな、
2回生の時に受けた授業で、チラッと紹介されていたセサミストリートのYouTubeがずっと印象に残っています。

こちら

自閉症のジュリアの話です。

児童発達支援の施設で療育の仕事をしていた時、年長の子どもたちの小学校入学が近づいてくるにつれ、迫られる選択に保護者の方と話し合いが頻繁になされていました。
普通級か支援級か、それとも特別支援学校か。

発達検査の結果を参考にしたり、幼稚園・保育園での様子を見てもらったりしながら、最終的には親が決めることになっていました。
それはもうすごく難しい選択です。

ひとりの子どもでも色んな側面があって、その日の調子によっても出来ることに差があるのに、選択肢がすごく少ない。
普通級では皆の出来る事を同じようにやることが良しとされ、支援級では他児との交流が極端に少ない。

オルタナティブスクールなどの選択肢も増えてきていますが、その選択肢を考える親御さんはほぼ皆無でした。
私自身もですが、公立小学校への入学が当たり前の時代に生きてきた親世代にとって、それらの学校へ我が子を入学させるにはまだまだ勇気のいる決断かと思います。
情報や窓口の普及、横のつながりのあるフレキシブルな選択肢がまだまだ足りないのではないのでしょうか。

このセサミストリートの世界のようになれば良いとも言い切れないけれど、まずはこのように理解を深める教育があってこそのインクルーシブなのでは。
なんなら小学校に入る前から多様性の教育が必要だと私は考えています。

現在多くの保育園や幼稚園では、さまざまな発達段階の子どもが4月〜3月生まれをひと学年として、一斉保育がなされています。
その中には療育手帳を持っている子どもも一緒に過ごしています。
皆が座っている中で1人走り回る子、切り替えや自己制御が上手く行かず癇癪を起こす子、会話のキャッチボールが無い子を、他の子どもたちも見ながらなんとなく一緒に過ごしています。
たまに先生に言われて、しっかりしていると思われる子がお世話をすることもあるかもしれません。

これはインクルーシブ教育とは言えません。
もっと多様性の理解を促す場づくりが必要なのではと思うのです。
話せば子どもは理解しますし、大人の接し方をよく観察しています。

理解の先にまだまだ課題は残ります。
それでも、まずは正しい理解から。
学んだ立場からはそのように思います。


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