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角野隼斗ツアー2024KEYS 石川県立音楽堂2/4


ステージにはグランドピアノが1台、私達と一緒に角野さんの登場を待っている。

舞台袖の扉が開き、上手の端の席から全身が現れるのがよく見えた。
エレガントな黒のスーツとセットされた髪と大きめの黒のタイ。
世界各地の公演やイベントを経て一段とオーラを放つ素敵な角野さん。

【イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971】 J.S.バッハの明るく印象的な冒頭で今回のステージが始まる。

前回も思ったのだけれどまず何よりこのホールの音響が素晴らしくて。音が全方位に響く。壁は木造りであるのに何となく宇宙を感じる空気感も大好きだ。
鳴らされた音はそのまま上にどこまでも伸びていく。

この日の音の主の角野さんから繰り出される、淀みもくぐもりもないピアノの音。

金属音を含まない真綿で出来たような芯のあるそれは、身体にダイレクトに訴えてくる。

これがきっとピアノ本来の音でそれを角野さんが引き出していると感じた。 

今までの角野さんのピアノの音色はどこかふわふわ浮いているイメージが私にはあった。そんな危なっかしさ、自由さも角野さんの魅力と思っていた。

しかし京都音博でのこと。そしてホセ・ジェイムズさんとのステージの時こと。
音が地に足を下ろしその歩みの先を探しておられると感じた。

そして今日。


イタリア協奏曲はバッハがピアノが生まれる前のチェンバロの曲として奏でられていた。
チェンバロは鍵盤が2段に分かれ、上と下で音色が違うのだそう。そこから起草してチェンバロ1台でコンチェルト形式の曲を演奏しようとしたのではという角野さんのラボ(有料制配信チャンネル)での解説だった。
バッハが音楽の父だという事、素人にも腑に落ちる。

因みに今回は角野さんの手元が全く見えずというか、表情だけ見える、嬉しいような、演奏としては視覚優位の私には厳しい状況…笑

しかし。

ひと粒ひと粒の音が輪郭を持って聴こえる。
角のない迷いのない音。

「全部の音符を聴かせたい」

大袈裟でなくそんな意思が伝わってくる。
尚且つ音符の根元は繋がっていて。
その事がずっと耳を飽きさせないでいる。 

そして美しいのに人を選ばず垣根を感じさせない。
この音を嫌いな人なんていないんじゃないかと思う。
奏でる程にわくわくさせてくださる角野さんの音楽。

2楽章、僅かの間で角野さんの手により一変する空気。無音からの冒頭部分が一気に蒼い闇で皆を包みこむ。

2段の音の掛け合いが進むにつれ(実際はもっとたくさんあるように聴こえた)きっと様々な思いを抱えておられる観客席の皆さんの耳が、全て角野さんのピアノに集中してゆく。とても静かでドラマティックな旋律。

勿体ぶらない、間が心地よい、嘘がない音色。それでいて温かい音。
注意深く神経を行き届かせて、弾くのは聴いている全ての方のために。

更にひと呼吸の後、闇を突き破って高らかに鳴る3楽章。
ここでは私達がよく知ってるかてぃんさんのリズミカルなトリルと高速アルペジオの連続。隣の席に座っている娘が膝の上で両手でピアノを弾く仕草をとっていた。

目を閉じて耳を澄ませば左手と右手でちゃんと音が違って聴こえたことにため息をつく。
左手のさり気ないベースラインのような、マットな木琴のような音が転がり、右手の繰り返されながら鍵盤上を行き来するメロディラインが様々な音色で絶妙な音量バランスを取りつつ掛け合ってゆく。

ずっとずっと心の中で感嘆しっぱなしだった。

弾き終えてお辞儀をされステージから捌ける角野さん。

大きな拍手で迎えられ改めて登場する。

手に取ったマイクで話し始めた。
「こんにちは 角野隼斗です。
今日はお越し下さりありがとうございます。
金沢は前回も1年前に来て…そして今日また来れて嬉しいです。」
そして今回のツアーコンセプト、KEYSについてお話される。

次は【モーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」】。

不覚にもテレビ放送のモーツァルトのコンチェルトを見逃してしまった私に、今の角野さんのモーツァルトはほぼ初めてだった。

でも何故か「この音だ」と感じられる安心感でソナタは始まった。

一定に揃えられコントロールされたタッチが、優しいモーツァルトを実現する。揃えられ、と言っても単調なのではなくて、細かい強弱やアクセントがくるくると変化していく。
中世の時代の差は全く感じなくて、驚くほど自然にモーツァルトの音楽が耳に入ってくる。
異国の音がするフレーズ(ラボで仰っていたトルコ調?)も含め、ひたすら美しく楽しい旋律を身体ごと楽しめた。

ずっとずっと聴いていたかったとフォロワーさんが後で仰っていたけれど、私も心の底からそう思った。
だけど実際は演奏が終わってしまい、丁寧にお辞儀をされ拍手を受けながら角野さんが舞台を去る。

休憩中はやはり調律をされる按田さんが大人気で。
かてぃんピアノとして全国を旅しているアップライトピアノとチェレスタ、トイピアノがステージに増えていた。(後でわかったピアニカも)

時折曲の説明がありながらプログラムが進む。ライトの色が調が変わる度に変わるとの説明をくださった。
理解するのはついて行けない事は明らかだったので諦めて聴く姿勢を取る。

始まる24のトルコ行進曲の変奏曲のアレンジ。
これまで聴いてきた沢山のアレンジとテイストが全然違う。
すっごくしっかりしたベースの上にたくさんの音楽が鳴っているような。
そして時折聴いたことのない新たなジャンルが産み出されている感覚。
24のキーがどんどん変わるから、調音や移調が分かる方だともっと繋がりの妙を受け取れるのだろうけど…
「単なるクラシック曲のアレンジ」ではなくて、芯からアレンジされて尚崩れない大胆な角野さん編曲トルコ行進変奏曲と感じた。
娘たちの心が釘付けで瞳が輝いていた。


【大猫のワルツ】はそのまま聴かせて下さるのかと思ったらチェレスタの音色でのアレンジ。トイピアノの音も効果的。
これまでの枠を飛び越えて更にプリンちゃんが飛び跳ねたり、遊んだり…何回も聴いた曲なのにとても新鮮に聴こえた。
角野さんマジックだった。

そして私がこの日1番感動したのは【パリのアメリカ人】だった。

それぞれの鍵盤楽器で奏でられる音のフィット感。オーケストラで聴いていたときよりメロディーラインが分かりやすくて、自然と耳が傾く。
鍵盤ハーモニカが鳴ると娘達の表情がぱぁっと明るむのがわかった。
鉄琴のような音色に改造されたアップライトの不思議な音階。鉄琴も鍵盤で打楽器の仲間だと思いながら耳を傾けた。

そしてやはりグランドピアノで旋律を奏でる時の主役感は心をぐっと掴まれる。
グランドピアノだけでもそれこそ色んな音がするのだ。

そしてこれはちょっと音と違う話で…これまた勝手な想像…JAZZというジャンルをクラシックとして表現したガーシュウィン様よりもっと、角野さんはJAZZをクラシックに昇華されようとしている様に感じた。
そして時折ロックを感じる時すらあって。
その証拠かは分からないけど、24変奏曲の時も完全JAZZのフレーズは私が聴く限りはなかったと思う。角野さんの素晴らしいバランス感覚と受け取った。
こういうところが私はファンだ。
(実は入っていたかもしれないけれど…汗)

もしそうなら、角野さんなら絶対出来ると思っているし、何なら角野さんにしか出来ないのではと思う。

ラストに向け想像以上のスケールと迫力でピアノの低音の弦の音が迫ってくる。

鍛錬に鍛錬を重ねられた上での、角野さんの手の内に集約されたド迫力に、終わった瞬間ブラボー!!!!で立ち上がりたい気分だった。

会場殆どの照明が落とされる。
僅かなライティング(とは言え私達の角度からはほんのひとすじ)の中微かに聴こえてくる一定のリズム。

【ボレロ】がいよいよ始まる。

席からはどの楽器を弾いているか、どんな風に弾いているか殆ど見えなくて、それでいて色んな音が聴こえてくるのだからもう訳が分からない。笑

「ボレロはオーケストレーションの妙」
以前読んだ角野さんのインタビュー記事の言葉だ。プログラムにも記載がある。

そして私はこの「ボレロ」は究極の音楽のひとつと思っている。

スネアドラムの代わりの細かいリズムの刻みに緊張を感じながら、だんだん広がる舞踏の世界にゾクゾクする。

そう言えばピアノって音が減衰するからそれもこのボレロに余り適しているとは思っておらず…。
けれど角野さんのボレロにそんな心配は要らなかった。
ピアノを知り尽くしている角野さんが、オーケストラのオリジナルからインスピレーションを得て、音そのままではないのに真正面の音楽を奏でてくる。
リズムは常に立体的で決して潰れない。

空間を感じさせる事でよりスケール感が増すような。
角野さんがそれぞれの音を効果的に鳴らしておられるからだと思った。
YouTubeライブで最初に演奏を聴いた時終盤に入る光の風が煌めくような高音パートがめちゃくちゃ大好きなのだけど、今回も入っていて凄く嬉しかった。

そしてずっとずっと大きな曲ばかり弾き続けている角野さんの何処にそんなスタミナが残っているのかというくらい、ボレロの迫りくる歩みは観客席を音の渦に巻き込んでいた。

最終フレーズでのことだ。

俯き加減で鍵盤を弾き鳴らす角野さんが全ての音と一体化した時、溢れ出る思いが解き放たれたのが見えた。

沢山の事に考えを巡らせながらも、目の前のひとつひとつの音符に音にひたすら向き合って時間を重ね到達した、厳しくて切なくて美しい瞬間。

生きるってこういう事だ。

角野さんは音楽で体現して下さったと感じた。

涙がこみ上げる。

あたたかい、観客席からの心からの感謝の万雷の拍手と、男性のブラボー!と、賞賛のスタンディングオベーションが起こる。

確実にやり切った角野さんの姿が皆の前に現れる。
一瞬意を決したような表情で、マイクを手にし穏やかに訥々と言葉を紡がれた。

「新年から悲しい事が起こって胸を痛めて…僕は日本にはその時居なかったんですけどこのニュースを向こうで知って今日ここに来られている方は多かれ少なかれ被害を被られていると思います。
(観客席を眺めて※空いた席も見受けられた)もしかしたら来れなかった方も居るかもしれない。
(こんな状況で音楽を聴く気分にはなれなかったかも知れないけど)
僕が出来ることはピアノで明るい気持になってもらうことくらいで…後は募金とか…。
まぁそれはいっか笑(とここで手振と笑顔)(お客様も笑)
なので今日は僕のピアノを聴いている間は、少しでも楽しい時間を過ごして欲しいと思っています。
1曲弾かせて下さい。」

「僕が最近作った曲でまだ未発表の曲なのですが「ノクターン」。…ノクターンというのは夜想曲ですが…『夜明けのノクターン』です。」

新年の幕開けの北陸を襲った能登半島地震の事に角野さんはありのままの言葉で触れてくださった。

(角野さんは震災後すぐ募金をされ、またこの2024年のツアーで販売されているキーホルダーの収益金の角野さん自身の分全てを支援に充てることを発表。
更にはこの日の公演の前に石川県立図書館を訪れ、能登の木で出来たピアノを弾きに来て下さった。)

私も当日は大きな揺れを経験し、この日からいつ自分たちがそうなるかわからない恐怖に陥り…
自分の身を家族を目の前の日常を自分達で守れるか、一寸先は闇という心境に苛まれるようになった。
そして何より何の罪もない人達が一瞬で日常を失ってゆく。
コロナ禍から続く信じられないような事が起こる現実に、抗う気力が持てなくなっている。

けれど比べ物にならなくらい辛いのは実際に被災されてしまった方達だ。


それこそ音楽どころではない方がたくさんおられると思う。

それでも…。

弾いてくださったノクターンは春の夜を思わせる温かい闇だった。
柔らかい音がさざ波のように漂い、改めて聴いてる私達を包み込む。
ぼんやりと月が照っているイメージが浮かぶ。

角野さんは祈るというよりも、ただ無心に努めてアップライトピアノを奏でているように感じた。

結果として聴いた人がその演奏に救われることはあるかも知れないけど、弾いている角野さんはそうしようとは考えずに、ただただピアノやその曲への思いを音に乗せているように感じた。
その分聴いている様々な状況の私達がそれぞれに曲を受け止め、力をいただけるような、そんな「夜明けのノクターン」だと思った。

私は被災していない何も出来ない自分がその音楽のあたたかさを受け取れないと思った。

私の分は被災された方に思いを馳せた。

角野さんはご自身の、人ひとりの限られた力をよくご存知なんだと思う。
演奏も、音楽の力というよりも、僕にはこれしか出来ないから、という現実的で誠実な思いからのものだと思う。
でも精一杯出来ることはして下さる。
人並み以上に。
だからこそその心意気に触れた時、大分と年上の筈の私達も尊敬の念を抱く。

今日来ることが出来て
角野さんの音楽に角野さんに出会えて本当によかった。


「最後は明るい曲で締めます!」

恒例になりつつある撮影タイム。
「毎回同じだと飽きちゃうんで、きらきら星、金沢ではホ短調、です」

「(えっ…ホ短調…)」

観客席の戸惑いを置き去りにして颯爽と角野さんのきらきら星が始まる。

やっぱり暗いキラキラ星なのだけど笑

これまでのものとは全く違う質感。
そこから急にカッコよくなってキラキラ星が燃え盛る大きな隕石みたいにうなる。
カプースチンのトッカティーナを思わせる、ちょっとエキゾチックなアレンジ。
燃え盛ったまま華やかに長調に移調して、ほうき星となり最後は宇宙へ旅立った。

その後も2回ステージに出て来て下さり、ゆっくりと全方向の観客席に視線を送られる角野さん。

より多くの拍手で見送られ、最後にまたにこにこ出て来られ、両手を振りながら「バイバイ!」とチャーミングな姿を印象に残して今日のステージの幕を引かれた。

贅沢な悩みなのだけど…今回のツアーのプログラムのひとつひとつの聴き応えがありすぎて、眼の前で1度限りで流れてしまうのが本当に惜しい。

それが今回の1番の不満だ。

それくらい、ひとつひとつのフレーズ、音に、角野さんの拘りが感じられる。
容量の少ない古すぎるメモリー脳の私には勿体無さすぎる音楽の時間。

でも改めて角野さんのファンになった。

またファンになってしまった。

本当は…今までより間を置いて、追っていこうと思っていた。
 
鍵を開けられたのだろうか。

分からないけれど、角野さんのピアノをまた聴きたいと思っている。

生きていくことへの恐怖はまだ完全に克服出来そうにはない…けれど。

全23公演、まだまだツアーは続く。
「角野さんの戸締まり」じゃなくて。
「皆の音楽の鍵を開ける旅」。
角野隼斗ツアー、KEYS。
どうかひとりでも多くの方が楽しい音楽の時間になりますように。