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私がイラストレーターを仕事にした理由

みなさん初めまして、こんにちは!

パリから帰国してイラストレーターになったMarie(マリー)です。

ここnoteではイラストレーターとしてのクリエイション方針、

そしてパリでの生活を中心に更新していこうと思っています。

イラスト作品は主にインスタグラムの方で

ポートフォリオ形式でアップしていきますので

気になった方は見てみてくださいね。


さて、わたしがイラストレーターという職業を選んだ理由について

今日は書いていきたいと思います。

もともと、物心ついた時から絵を描くことが大好きだったというのが原点にありますが、

もっと他にも、今のわたしの原動力となっている理由があります。

それはここに来るまでの挫折と紆余曲折、

わたしのクリエイションの核を作った経緯です。

絵を描くことなら、どんな形でもできると思います。

ですが、職業としてイラストレーターを選び、

自分に責任を持って活動したいと思いました。


絵を描くなんて思ってもいなかった会社員時代

前職はアパレル業界に従事していました。

企画サポート、営業、商品管理、直営店店長、ラグジュアリーブランド勤務

20代のすべては「わたしにとって服がすべて」というほど

それだけに打ち込んで仕事していた時期でした。

決して整っている職場環境とはいえないアパレル業界で

心身ともに疲れ果てて体を壊し、

原因不明の体調不良と発声障害になりました。

全く声が出ない時もあり、現状を変えたい一心で

初めての転職活動を始めたのが27歳の時。

” 自分はこれからどうなりたいんだろう ”

自分の得意、不得意を整理しながら

やっと探した会社との需要と供給を考える作業は

自分が本当にやりたかったことをもう一度

思い出させてくれる機会となりました。

” そういえば私が一番やりたかったことは絵を描くことだ。

そして自分のルーツであるフランスに行きたい。

両親が見てきた景色を私も見てみたい。”

どちらも小さい時からのわたしの夢でした。

新たな進路が定まった頃、新しい会社で働きながら

渡仏準備と、フランスで始める仕事の準備、3足のわらじがスタートしました。

結局、場所を変えても同じアパレル業界ならどこも大変さは同じということが分かり、

また新しい環境でゼロからのスタートは負担が大きく、思った以上に大変な準備期間でした。そうして、実際に行けるまでの期間に1年半かかり、

満を持して向かった単身パリ生活では過労で入院することに。

これまで挫折はたくさんあったけど、その中でも

夢を掲げてやっとの思いで向かった先、行くまでも大変だったのに、

慣れない海外生活で起こった入院という出来事は

当時のわたしを相当に落ち込ませました。


退院した翌朝、気持ちの良い陽が差し込む自宅のキッチンで

” 同じように辛い思いをして働いている女性の生活を変えられたら ”

と、心から願った日。この時の強い感情が今でも体中に鮮明によみがえり、私の原動力となっています。

NOTE 記事の写真.001

(パリのキッチンから見える風景)

・現状に苦しんでいる人が自分の生き方に満足する人生を送れる世の中にしたい

・デザインを通してすべての人に精神的な豊かさを提供したい

様々な可能性と体現性のあるデザインを通して理想の世界を描いていきたい。

より多くのプロダクトと融合できるデザインにはそれが出来ると思っているし、

私自身が本業として責任を持つことで、この目標を確実なものにしていきたいと思い、イラストレーターで生きていくことを選びました。


きっかけは小さい頃に夢見た"  画家になりたい  "という想いからでしたが、

それを自己満足ではなく、ビジネスとして価値ある形に昇華させて、多くの人と共有することで

社会に良いエネルギーとして循環させたい

それが私が一生をかけて成し遂げたいことです。


だから今日も私は絵を描きます(^^)

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