日記 2024/04/22〜2024/04/28 ランドセル購入

2024/04/22

昨日観たcoachellaのBlurのライブが最高で、繰り返し3、4回観た。

日曜だったし酒を飲む予定なんかなかったのだけれど、あまりにもテンションが上がって赤ワインを開けて飲んだ。Girls & BoysからTenderまでの流れが痺れまくりで、特にTenderは先週にも増して最高だった。最後の方でこのライブがおそらく最後のギグになるとデーモン・アルバーンは言っていたが、最初から気持ちが入っているように見えたのは、だからだったのか。ネイティブ・アメリカンの人たちもすごい楽しそうにしていて、両脚を交互に踏みならしながら右に左に回るその踊り方が、そのリズムの取り方がまた見ていて気持ちがいいもので、Tenderの曲も終わりがけの頃、そのうち1人の男性が自身の子どもと思われるおそらくは3歳から5歳くらいの娘さんを抱っこし、デーモンはひたすら気持ちよさそうに歌っていて、その光景はとても微笑ましく美しかった。胸がいっぱいになって、酒も進んだ。良い夜になった。

それだけ酒を飲んだら熟睡できるわけもなく、ほとんど寝た感覚を持てないまま朝を迎えた。それを覚悟のうえで飲んだのだから問題はないのだけれど、こんな日に限って娘は僕の布団へころころと転がってきて、ずっと僕の顔の前で寝ていた。で、笑っちゃうのだけれど、本当に笑っちゃうのだけれど、いや本当の本当のところは悲しくてやりきれないのだけれど、娘は朝起きた瞬間に吐き気がすると言って泣き始め様子がおかしく、それで幼稚園を休ませたのだが、よくよく聞いていみると僕の息が酒臭かったから気持ち悪くなったんだと! 心配して幼稚園まで休ませたのだが、それは僕が酒を飲んで、そのことによって吐く息が酒臭かったから。決して冗談を言っているような顔ではなく、本当に臭かったらしい。娘は風邪気味ではあって鼻水は出ているからする休みというわけでもないのだけれど、朝以外はなんともなく家で気持ちよく過ごしていたのだ。

酒を飲むときには娘は絶対に近づけないようにするか、いっそのこと別の部屋で寝るか。初めて娘に臭いと言われ、それはこんなにもショックなのだと知ったわけだが、あと10年もすればそれがデフォルトになるかもしれない未来を想像してさらに悲観してしまいそうになっている…。

首と肩の痛みはまだ取れない。

『カフカの日記』が届いた。

2024/04/23

年長になってから2週間程度経った。

娘は同じクラスの年少の子たちと積極的に関わっているらしく、先日は担任の先生から、「今日はたくさんお世話していたから疲れていると思います」と言われた。僕はまだ娘が年中のように思っている節があって、年中のときの感じを引きずっているような気がするが、娘は年長としての自覚らしいものが出てきたのか、すっかり年長さんになっている。年長になってまだ2週間とは言えど、幼稚園は休みの日も多いから、油断していたらあっという間に1年が過ぎ去ってしまうのではないかと、今日焦りのようなものを感じた。今週にはランドセルも買う予定で、1年前にして小学校の準備も始まってきている。もっともラン活は年々早まっているらしいのだが。ランドセルは、いつ、どのタイミングで買うかなど気にしたことがなかったが、どうやらそうなっているらしい。

ここ最近、毎日野球の中継は追っているが、どうもこれまでのように身が入らない。おそらくはテレビ中継で観る機会が減少したせいだろう。

毎週火曜日はスペイン語レッスンで、たいてい火曜日は野球の試合があるが、レッスンが始まる19時までしか試合を追うことができない。ベローチェでコーヒーを飲みながら、そしてこの日記を書きながらラジオで野球中継を聞いて、いつもいいところで中継を切らないといけない。そこまで中継を追うことに執着しているわけではないのだけれど、先週はスペイン語レッスンに加え、そのほかの曜日も野球中継を聞くことができない日があって、週に2日以上もそういう日があると、冷めるまではいかないにしても、毎日欠かさず中継を見ていたときのような情熱を維持することができない。いや、情熱ではなく執着だったのかもしれない。野球中継を追わないと気が済まない神経質の状態になっていたのかもしれない。物足りなさを感じているが、今くらいがちょうどいいのかもしれない。

火曜日はたいてい仕事が忙しので、仕事後にスペイン語教室に行くのはどこか落ち着かない感じがある。ベローチェでコーヒーを飲むくらいの時間はあるのだけれど、実際のところ30分くらいしか時間がなく、その間はずっと日記を書いているので、仕事中にタイピングしていたときと地続きのようで休まることがないのかもしれない。まだ通い始めで余裕がないのかもしれないのだろう。本当であれば、直前にも復習をした方がいいのだろうが、日記を書くことを優先してしまう。日記を書くことに対するこの執着心もなんなのだろうか。書かないと気持ち悪い体になっていることだけは確かだ。

...

と、今まさにヴェローチェでこれを書いているのだが、一体何を書いているのかわからなくなってきた。頭がぼーっとする。今日のレッスンは大丈夫だろうか。ホークス対ロッテは両先発が好投していて点が入る気配がない。ロッテの先発は佐々木だ。佐々木だ。どうなるだろう。そろそろスペイン語教室へ向かわないと。

2024/04/24

月一の診察の日。この1ヶ月は特に気になる症状はなく、よくもなければ悪くもなかったので問診はすぐに終わると思いきや、よく眠れているかとの質問に対して、眠ることはできているが何度も覚醒すること旨を伝えると、うーむと考えこむような表情をされた。寝ている間に何度も覚醒するのは何もミオクローヌスの症状が出始めてからの話ではなく、寝ることに関しては僕にとっては子どもの頃からセンシティブな問題で、症状が出るずっと前から入眠できなかったり睡眠中の覚醒覚醒するのは珍しいことでもないはずなのだが、それはミオクローヌスが原因だと考えられると言われた。たしかに考えてみれば、症状が出る前は今ほどの頻度、その頻度はほぼ毎日ということだ、そこまでではなかったような気もする。そうか、覚醒するのも病気が原因なのかと思って少しがっかりした。医師はいっとき考えながらも現時点では睡眠薬を処方するまででもない、僕もそれは望んでいないので、一旦様子見として今までと同じ薬を処方され、また1ヶ月後に診察してもらうことになった。

もうこの症状に関しては完治するとは思っていないし、ずっと付き合っていくものだと覚悟している。いや、覚悟というほど強い意志があるわけではない、諦念のようなものだ。症状や薬との相性が悪いから、酒を飲むことも諦めた。しかしたまには飲んでいるし、飲むときには寝られないことを覚悟しないといけないけれど、そんなに飲む機会もないから、今のところは問題はない。眠ることができないのも、先述したように症状が始まってからの話ではないので、今さら大きく悩むこともない。そもそも眠れないことに対して悩むのはよくない。

さて、「La casa de papel」もシーズン4に突入した。もう終わってしまう。個人的にはシーズン2までが面白くは感じたけれど、シーズン3以降も十分に面白い。そして、シーズン3以降は、出てくる固有名詞がオッと思うものが多く、ゲスト出演したネイマール、ネイマール自体は好きでも嫌いでもないが出てきたときにはオッなるもので、ネイマールはポルトガル語を話していたようだが、スペイン語とポルトガル語は似ているものだと感じた。そしてVan Morrisonだ。Van Morrisonはラケルが教授に勧めたミュージシャンとして名前があがってくるのだが、その後のエピソードでVan Morrisonの音楽が流れてきて、Romantica! Bonita! (この表現があっているかはわからないが)と思った。そしてラ・マンチャ。ドン・キホーテのラ・マンチャだろう。風車が出てきて、ドン・キホーテが攻撃した風車なのか?、400年以上前に書かれた物語なのだからきっと違うのだろうけれど、ラ・マンチャの風車なんだからみんなドン・キホーテと結び付けて考えるだろう。そういう1つ1つにオッと思いながら楽しんで観ることができていて、これからどう展開するか想像できないが、最後まで楽しめそうだ。

昨日、佐々木朗希相手に勝ったホークスだが、近藤が先制点を入れたところでスペイン語レッスンが始まり、スペイン語が終わったときにはちょうど試合が終わっていた。昨日の試合を観られなかったのは残念だった。だから今日は最初から最後まで試合を観たい。雨天ノーゲームなどにならなければいいが。

2024/04/25

それで昨日は雨天中止とはならず雨天コールドになったわけだった。大量得点を奪い、あとは試合成立を目指す必要があったわけだが打線がつながり、早く試合よ進んでくれとこれまでにない気持ちで試合を見守った。大関が好投、そして川村3出塁した試合はゆっくりながらも5回まで進んで成立し、記録として残ってよかった。

で、今日は大津が先発でどんなピッチングをしてくれるか楽しみなのではあるが、スタメンを確認するとレフトにウォーカーとあって驚いた。オープン戦で現地観戦したとき、ウォーカーの守備は素人目に見ても危なっかしい感じがしたが大丈夫だろうか。それだけ近藤の脚の状態が万全ではないということだろうし、そのリスクをとってまでウォーカーのバッティングに期待してのスタメンということだろうから、今日のウォーカーには期待したい。早くウォーカーの笑顔を見たい。

福岡市博物館で藤城清治さんの展覧会が開催されていて、前回の展覧会で藤城清治さんにサインをもらった「風の又三郎」の絵本があるので娘に読んであげようと先日に書棚から久しぶりに出したのだが、初めて読んであげたその日から「風の又三郎」の不思議な話が気に入ったらしく、それから毎日のようにリクエストされるようになった。ところが、「風の又三郎」の絵本は、文章だけ読んでいても意味がほとんどわからない。娘も話は理解できないと言っているが、藤城清治さんが描く又三郎の姿に心を奪われている様子で、意味がわからなくてもいいから読んでほしいらしい。
本来であれば僕が補足して読んであげた方がいいのだろうが、宮沢賢治の原作は何度か読んだことがあるものの、補足できるほど内容を記憶していないのだ。「銀河鉄道の夜」であればまだ内容を覚えているし、アニメ映画もあるからそれを観てもらうこともできるのだが、「風の又三郎」は僕が補足するしかない。ということで、また久しぶりに「風の又三郎」を読もうと思っている。1日で読める長さだとは思うが、せっかくであれば時間があるときにゆっくり読みたいところ。今はレベッカ・ソルニットの「ウォークス」を集中して読んでいるが、明日には読み終えると思うので、明後日には読めるだろうと思う。

「風の又三郎」といえば、小学校の頃に祖父が見せてくれた実写映画が今も記憶に残っているのだが、あれはどの映画だったんだろうか。内容は娘に説明するほど覚えてはいないが、「風の又三郎」の物語の不思議な雰囲気は映画も含めて記憶に残っていて、娘も藤城清治さんからその雰囲気を感じ取っているのだろう。藤城清治さんの「風の又三郎」が初めての「風の又三郎」というのも豊かな体験だし、記憶に残りそうだなぁと思う。

2024/04/26

仕事が終わってすぐ岩田屋へ。ランドセルフェスティバルなるものが今日から開催されていて、明日になるとGWで混雑することが予想されたので、今日のうちに行っておこうとなったのだ。

もっとも、先日岩田屋に下見に行った時に娘には一目で心に決めたランドセルがあって、その決意は固いようだった。ランドセルフェスティバルではそのときにあったランドセルの何倍もの量が並ぶとのことで、娘は決めた!と言って聞かなかったのだけれど、なんとか娘を説得して今日まで待つことになった。

娘は17時までピアノ教室で、終わって夕飯を食べ、妻と先に岩田屋へ向かっていた。僕は仕事が終わり次第追いかけることになっていた。で、仕事が終わって岩田屋に着くと、娘は僕のところにやってきて「もう決まっている」とキリッとした顔で言ってきて件のランドセルを指した。他にも可愛らしいランドセルはたくさんあったのだけれど、一通り見ても決意は揺らがなかったらしい。その他に一つ気になるランドセルがあってからってみたようだが、やはり目当てのランドセルがいいとなったようだ。そのランドセルは薄水色といえばいいのだろうか、空色といえばいいのだろうか、とにかく薄い青色で、僕が子どもの頃にはランドセルとしては見たことのない色だったのだが、色も含めてもそれが一番よかったらしい。先日ランドセルを見たときにも店員さんに言われたが、今は紫だとか水色とかが人気があるとのこと。黒と赤だけの時代は変わり、ランドセルも多様になったのだなぁと思った。

今はまだ4月。4月だ、春だ、始まりの月だ、先日まで桜が咲いていたのだ。先日、一つ年上の娘の友だちのお父さんがLINEでランドセルの写真を送ってきたばかりだったのに、1年前にしてもう購入、これは早いんじゃないかと思うが、購入時期を逃して買いたいものが買えないということもあり得そうだし、わざわざ先に延ばす必要もない。しかしランドセルを買ったことで、娘も僕ら親としても小学校入学まで1年もないという事実を強く感じさせられることになった。もう小学生か。

ランドセルは予約のみして後日届けてもらうパターンも多いそうだが、今回購入したのは在庫があるとのことで購入後即持ち帰ることになった。10キロ以上あるランドセルを、やや満員に近い電車に乗って持ち帰った。

帰宅後、娘は早くからってみたいと言ってすぐにランドセルを出していた。6年は使うことになるランドセルだ。少なくとも今のところは気に入ってくれているようでよかった。なんせ一目惚れを貫いたランドセルだ。

ところで、どうやら「からう」というのは九州の方言らしい。知らなかった。背負うという意味です。

2024/04/27

昨夜、娘はランドセルを横に置いて就寝し、今朝起きたらすぐにランドセルを愛でていた。何度も開け閉めをしたり、からってみたり、どこに何を入れるのかを想像したり、僕や妻にランドセルを見せては説明を繰り返したり。実際に使うのはまだまだ先だが、そんなにも気に入ってくれてよかった。たぶんそのうちランドセルの存在は一旦忘れるかもしれないが、小学生としての日常の一部分を先取りしたような感じで、入学する頃にはランドセルに対する初々しさだけはなくなり、自分のものとして扱い小学校に向かうことになるかもしれない。

しかしランドセルはなぜランドセルなんだろう。なぜあの形で、そしてランドセルと呼ばれているのだろう。

からう形である理由はわかる。
重さの負荷を両肩に分け、背中にからうことで、重さにもよるだろうが、重心は土踏まずよりやや後ろ側になる。荷物は背面にのみある形になり、両腕は自由。両腕を自由に扱えることはとても大事なことだろう。

からうことの楽さ、そして両腕が自由であることの便利さは、娘が生まれてから僕もリュックを主に使うようになって身をもって知っている。リュックであればパソコンを2台入れたって、さらにそのうえに分厚い単行本や降りた畳み傘、水筒を入れても30分以上は問題なく歩ける。これがショルダーバッグだったら、30分でも歩き終わったあと肩が使い物にならなくなる。

娘が生まれてから購入したリュックは、からったままの状態で背面ポケットに入ったスマホや財布を取り出すことができ、チャックが他のリュックより下までいくように設計されているので、横にあるチャックを上げれば本だって楽に出すことができる。ストレスなく本をスッと出せるこのリュックを僕はとても気に入っていて、最初大きいサイズを買ったが、普段使いように別途一回り小さいサイズも買って、サイズ違いで同じブランドの同じ形のものを2つ持っている。買って2年以上は経ち、いまも毎日使っているけれど、日常使いでこれ以上便利を感じる物は他にない。とても気に入っている。

ところで、リュックはスペイン語でなんというのだろう。鞄はbolsaだが、リュックは別の言葉が当てられているのだろうか。リュックは世界共通で使われているはずだから、きっとあることだろう。

調べてみると、リュックはmochilaというらしい。

私のお気に入りのリュック。
Mi mochila favorita.

ランドセルはといえば、Google翻訳で調べる限りではbolsa para la escuelaであり、学校用の鞄といったところか。学校用のリュックではなく鞄。ちなみに英語でもSchool bagだから意味は大体同じになる。

ランドセルは横文字だから外来語だと思っていたが、違うのだろうか。

「ランドセル 語源」で調べるとすぐに出てきた。ランドセルも出しているらしい鞄メーカーのホームページによると、下記のようにある。

江戸時代(幕末)に、幕府が洋式軍隊制度を導入する時、もちものを収納するために、オランダからもたらされたバックパックを利用したのがランドセルの発祥とされます。
またそのネーミングは、オランダ語呼称「ransel(ランセル)」がなまって「ランドセル」になったとされます。

https://www.nakamura-kaban.net/faq/history/

なるほど、軍隊制度がもとになっているから、革で作られているということなのか。

リュックとランドセルの違いといえば、革製品であるかどうかということだ。リュックでも革製のものを使っている人もいるが、一般的には革のリュックはあまりないイメージだ。僕のリュックも布製で、しかしだからといって耐久性に問題があるわけではなく、2年以上ほぼ毎日使っていてもくたっているところは全くない。しかし布よりも革の方が傷にも強いことは間違いないだろう。6年間使う物なのだから革であることはもっともだし、さらに言えば万が一後から自転車などとぶつかったとしても(考えたくはないことだが)、革であるランドセルとあの形が身を守ってくれる可能性はある。

和製外国語ではあるが、ランドセルがオランダ語由来であることがわかったとして、果たしてランドセルは外国でも使われているのだろうか。

これも調べるとすぐに出てきた。「一般社団法人日本鞄協会ランドセル工業会」という社団法人が存在するらしく、そのホームページにまとめられていた。

日本のランドセルと同じ背負い式の鞄を通学用として使っているのはイギリス、韓国、ノルウェーの3国のようで、その中で日本と同じようなランドセルを使っているのは韓国だけのようだ。
しかし、背負い兼手提げとして、革製の鞄はヨーロッパで普及しているらしく、写真を見てみると、手提げも兼ねているためランドセルとは形は違うものの、横長の頑丈そうな鞄であることが窺える。ランドセルとは異なるが、ランドセルに近いというのか、今後日本でも手提げ兼のランドセルとして売られることになってもおかしくない形をしているように思われる。

娘は夕方からダンスレッスン。ダンスに行っている間、僕はランドセルのことを任された。テレビのそばにランドセルを置き、ホークス戦を観ていただけだが、パステルカラーのランドセルがよく目に入る。そのおかげでもないのだろうが、今日は今シーズン初のサヨナラ勝ち。もうコボちゃんとは呼べないほどしっかりとした顔立ちになった川瀬が打ってくれた。

ランドセルの色は気分を明るくするものであることには間違いない。

2024/04/28

しばらく藤城清治さんの絵本「風の又三郎」を読んでいたが、ここ数日は自分で読みたい気分のようで、おしりたんていの短い同じ絵本を連続で読んでいる。基本、僕が読むことはなくて、娘がつまずいたり、何かを尋ねられたときに答えるだけだ。娘が読んで、僕はそれを聞くという、今までと立場が逆転している。

毎日同じ絵本なので内容は把握しているはずだが、まだ文字を追うことに慣れていないからか、知っているはずの話の内容に文字が追いついていっていない。

ふ・む・ふ・む・に・お・い・ま・す・ね

のような感じで一文字ずつ区切って読むから、まだ文章にならないどころか、単語にもなっていない。

ところが、一昨日くらいから、確実に単語として捉えられるようになり、文章にもなってきた。同じ絵本を繰り返し読んでいるからというのもあるだろうし、文字を読むことになれてきたということもあるだろう。

読むスピードも速くなった。「ふ・む・ふ・む」だったところは「ふむ・ふむ」くらいになっている。
一文を一度読んだ後は必ずそれを繰り返すのだが、二度目には文章として認識できているらしい。

正直なところ驚いている。少し前までほとんど読むことができなかったのだ。

ランドセルを買った効果だろうか。学びたい欲が強くなっているように感じる。

今日は昼前からダンスレッスンだった。どんたくの本番まで1週間もないので、先生も気合いが入り、厳しさを増しているらしい。昨日も、そして今日も娘は注意されまくったらしく、昨日はかなりショックだったようで、注意を受けた直後は両手が顔を覆って泣いていたらしい。そして今日も注意を受けたのだと。

今日はお姉さんクラスの見学をするために早めに練習場所に向かったのだが、お姉さんたちは娘とは比較にならないほどビシバシと注意を受けていた。それを見た娘は、注意を受けるのは怒りたいからではなく、見てくれる人に披露するダンスをよりよくするためであることを理解したらしい。妻からLINEで今日も注意を受けたことを聞いていたのだけれど、帰ってきたとき娘はケロッとしていて、「注意を受けたけどだいじょうぶ! もうだいじょうぶになった!」と言っていた。

間違いなくしんどいだろう。
だが、僕は娘のダンスを3歳の頃から見ている。習い始めて1ヶ月でどんたくの舞台に立ち、大勢の人の前で臆することなく踊ったときから。本番になれば、練習のときよりも力を発揮する姿を見てきている。ギリギリまで練習しないといけないことには変わりはないが、きっと大丈夫だ、大丈夫だよと何度も声をかけている。

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